毛玉
「おりゃりゃりゃりゃりゃああああッ!」
およそ女の子らしくない声をあげヒトエは林を疾走する。後ろから迫るは奇声をあげる巨大毛玉の魔物。その大きさに似合わず、しなやかな動きで軽やかに木々をかわしている。しかし、大回りだというのに距離は全く離せなかった。もし平野であればすぐさま追い付かれるのは目に見えていた。
その身のこなしゆえか、大地を震わせることがないのがヒトエにとって唯一の救いだろう。揺れによって足をとられることなく、なんとか逃げられているのだから。
けれど、それも長くは続かないことはヒトエもわかっていた。彼女が逃げている方角は三人がやってきた方角。つまり、いずれ草原に出てしまう。そうなれば障害物の少なさから一気に距離を縮められてしまうだろう。そうなった場合にいくつか抵抗の手段はあるが、その前にケリをつけたい。
だからヒトエは毛玉のことをつぶさに観察してどんな魔物か見極めようとしていた。前後方を同時に注意して走りながら、だったので、なかなか骨が折れたが、この魔物の正体をついに突き止めた。
ヒントはその動きにある。しなやかに木を避けているが、その実、直線的な動きでジグザグに避けている。では、なぜしなやかに見えるか。その秘密は縦の動きにあった。加速と減速を連続させることで緩急がついているのだ。そこへ横の直線的な動きが加わり、しなやかに見えていたというわけだ。
ヒトエはこの動きを知っている。そして地球で似た動きを生物も二種類知っていた。
そのどちらとより近いか判断するポイントは足元にあった。そこも毛に覆われているが、あの動きをするにはダイナミックな足捌きが必要となる。注視すればよくわかるだろう、足元のもふもふが後から前へ波打っていることを。
あれはジャンプするための動き。そして地上をジャンプして移動するメジャーな生き物はウサギとカエル。後から前に動く足はウサギのそれなのである。つまり――
「この子はラモビフトってことだよね」
しかし、ラモビフトは本来ヒトエが大好きな小動物クラスの大きさである。この毛玉は明らかに大きすぎる。だからソーカも見たことがないと言ったのだろう。特徴的な垂れウサミミが毛に隠れているのも理由の一つであろうが。
「というか、せめて垂れウサミミぐらい見せてよ、コラァッ!」
「フンフンフーンッ!」
奇声、というか鼻息で断られたような気がした。言葉が通じてないが、そんな気がした。翻訳魔法とはなんだったのだろうか。
「こんなに大きかったら可愛くない。世知辛いねぇ」
嘆いているが、いよいよ草原が見えてきてしまった。仕掛けるなら、今しかないだろう。
その時、ヒトエの姿が消えた。
巨大毛玉は急ブレーキで止まり、周囲をキョロキョロ見回しているが発見できないようだ。それもそのはず、ヒトエは浅く穴を堀って仰向けに寝そべって上から落ち葉や草をかけてカモフラージュしたのだから。
悪戯には奇襲せねばならぬ時もある。隠れるための技能は必須なのだ。過去、公園で子供と遊ぶ機会があった際、低学年の小学生相手に三時間隠れ続けたこともある。もちろん、隠れるだけに飽きたらず、死角からシャボン玉や水鉄砲や落ち葉吹雪で攻撃し、彼らを大いに楽しませた。帰る頃にはアサシンお姉ちゃんと慕われる女子高生であった。
「フンッフンッフンッ」
あの子たち元気かなぁ、と回想に浸っていたヒトエの頭上に毛玉が。覆われた目はヒトエを写しているのだろう。
「もしかして、消臭スプレー必須な感じ?」
音や気配は完全に断ったはずなので、原因はにおいしか思い付かない。そんな考察は置いておいて、ヒトエはゆっくりと立ち上がり、そこから全力でダッシュした。かくれんぼからの鬼ごっこ再開である。
もう、あれに賭けるしかないと考えたヒトエは草原に躍り出た。
そもそも、ラモビフトは草食魔物である。虫とかも食べたりはするが基本的には草ばっかり。では、なぜ他の生物に体当たりをぶちかますのか。それは縄張り意識にある。ラモビフトは自分の縄張りへの侵入者に敏感なのだ。
そのおかげ単独行動を好む結果となり、また好戦的でエンカウントしやすくもあるので、駆け出し冒険者にうってつけの魔物であるが、このサイズとなると話は別であろう。
なにはともあれ、ラモビフト戦で万が一ピンチになったらとるべき行動は一つなのである。それは縄張りからの脱出だ。縄張りから出れば満足してくれるのだ。
この巨体なら、その分、縄張りも広いだろうが草原までは縄張りとしないだろうとヒトエは考えた。この毛玉が本当にラモビフトであるならば、だが。
そしてついに草原へたどり着き、飛び出て、なお足は止めない。
「どう? 諦めた?」
ちらりと後ろを振り返ると普通についてきていた。障害物が一気に減った分、スピードアップである。
興奮で縄張りなど関係なくなっているようだ。ラモビフトもぶたこびっと同様に知能が低い魔物なのである。そこがヒトエの計算に入ってなかった。
万事休す、ではない。草原はヒトエの得意とするフィールドなのである。彼女のナイフよりも強い武器が至るところに生えているのだ。
「とりやぁぁぁぁぁっ!」
気合いで手当たり次第に草を結んだ。相手はウサギ系だ。数を作らないと飛び越えられてしまう。チート能力のおかげで草で罠をこさえても走るスピードは大して落ちていないので、あとは体力勝負である。もうすでに、口で息をするぐらい苦しくなっている。それでも生き残るために頑張るしかない。
ラモビフトの体当たりは普通のサイズでもろに入れば骨折する威力らしい。あの巨体の一撃は絶対に食らうわけにはいかないのだ。
「どうだ!」
「フフンッフンッフンッフフンッ!」
無情であった。毛玉の脚力は容易く草を引っこ抜いていた。なんの足止めにもなっていない。
もう、距離がなかった。
他の悪戯を仕掛けるには何もかもが足りなかった。
終わりである。
あの感覚が甦ってくる。前の世界では一度きりだったのに、この世界では何度も味わうのだろうか。
悲しみ、未練、そして諦め。
これらをどうすることもできないヒトエは力を振り絞り、一つのアイテムを作成した。
「最期ならせめて……」
ヒトエが手を頭に持っていくと、ポケットの中にあるスマホがメロディを奏でる。
ヒトエは中身を見れる状況にはないが、届いたのはメールで内容はこうであった。
【ラモビフト変種をテイムしたことで経験値が規定値に達しました。
ヒトエ レベル7
戦闘能力+05逃走能力+03
悪戯能力+22悪戯点数+23
道具召喚+06道具活用+03
精神抵抗+01聖女能力+05
魔物使役+01意志疎通+01
称号
――聖女
――変種テイマー】
ヒトエは目を疑った。あれほど暴走していたラモビフトが小さくなり、レモンイエローのもふもふとした体をヒトエの足にすり付けているのだ。
その表情は喜びに満ちており、露になっている垂れたウサミミがゆらゆら揺れている。
ペットなら犬派のヒトエであったが、表情がだらしなくなるのに時間はかからなかった。
頭につけた垂れウサミミ。それがこの勝負における最大の武器となったのだった。




