危機
「どうしよう。ツケウさん、どこ行ったかわからない」
少し走ってみたものの、手がかりは大まかな方向しかない。木々は疎らでも、数が多く、遠くは見渡せなかった。このままやみくもしかないかなぁ、思っていたら、ソーカが前に出た。
「任せてくれ。足跡や折れた枝とかで大体わかる」
「ソーカさん凄い」
これは任せて良さそうだと思ったヒトエはスマホを取り出した。
――念のためにね。
熟練したヒトエでも走りながらのフリック入力は少し手間取るが、チート能力のおかげかなんとかなりそうだ。
「あぁ、そうだヒトエ。私が聖人聖女の研究をしていることは秘密にしておいてくれないか。特にシラズの福音書を読んだあたりを」
「んー? あぁ、うん、いいよー。これでよし、と」
「そうか、ありがとう」
さすがに会話まではこなせないので適当な返事をしたところで仕掛け終わった。なにを了承したかはわからないが、何気ない声色で走りながらする会話だったので重要事項ではないとヒトエは判断したので聞き直さなかった。
もしも、この時ヒトエがソーカが何気ない調子を装っているだけと見抜けていたら何かが変わったかもしれない。
だが、そんなことは起きず、ソーカがさりげなく話題を変える。
「ところでさ」
「ん?」
「さっき何で死霊事件の犯人のように振る舞ったんだ?」
ヒトエは走りながらも少し悩む。
「うーん、なりゆき? 色々と隠していたのはホントだから。それを暴かれてるうちに犯人ぽくなったし、その流れで。それに無実を証明する手段は無いしね。実際、まだ容疑者でしょ?」
「あぁ、そうだよ。しかし、だからといってノリで犯罪者のふりをするな」
「うん、そうだよね。ごめんなさい。私は死霊事件とは無関係だと声高らかに主張することにする」
「それでいい。実のところ、私もヒトエが犯人だとはあんま思っていない」
「え? そうなの?」
あんなに追い込んできたのに?
驚きである。
「そりゃあ、疑ってたら人を操る人間と二人きりにはならないだろう?」
「たしかに」
そんなことをするのは余程のアホである。
「なのに犯人のように振る舞い出すから内心焦ったよ」
「また操られちゃうもんね」
「そうだよ、まったくもう」
ヒトエは笑って誤魔化した。
「フンフフフフフンッ」
さらに変な笑い声。ソーカがつられて笑ったのかと思ったがそうじゃない。別の方角の高い位置から聞こえてきた。
「避けろ!」
ソーカの叫びと同時だった。奇声をあげて毛むくじゃらの何かが横から突進してきたのだ。二人は間一髪のところで避けたが分断されてしまった。その巨躯ゆえに向こう側は見えない。
「無事か」
「うん! ソーカさんは?」
「問題ない」
魔物は木の間に突っ込んではまったらしく、脱出しようともがいているので、すぐには襲ってこれないようだ。
この状況をどうするべきか、ヒトエは打開策を考える。こうして足止めされている間にもツケウに危険が及んでいるかもしれない。ことは一刻を争うかもしれないのだ。悠長にしていられない。だから迅速に判断をくだした。
「ソーカさんはそのままツケウさんを追って! こいつは私が引き受けるから!」
「しかし、この魔物は私も見たことがない魔物だぞ」
「でも、私じゃ追えないからね。足跡? 木の折れた枝? なにそれ? だよ。それに逃げ足には自信あるんだ。チート能力のおかげでね」
「しかし――」
「行って! こいつに追いかけられたままじゃツケウさんを救えないよ!」
もうツケウが襲われている前提だが、気にしてはいられない。林に入ってからずっと嫌な予感がするのだ。
「わかった、くれぐれも戦うなよ」
「うん、そーする」
草を踏みつけ走り去っていく足音。行ってくれたようだ。
「さて、じゃあ私も頑張らないとね」
ついに抜け出してきた魔物の頭に落ちていた木の枝を投げつける。
見事命中だ。魔物はギロリとヒトエの方を向いた。
かなり怒っているらしく、全身の毛を逆立て奇声をあげている。毛の量は申し分のないもふもふだが、全く心惹かれなかった。目算で身長二メートルほど、体長はそれ以上ありそうな魔物など小動物には分類されない。明らか猛獣である。
ヒトエはため息をついた。
「おかしいなぁ。どうしてこうなったのかな」
場数を踏んでそうなソーカでさえ知らぬというこの魔物。それから逃げねばならないとは何とも絶望的である。なんとか不敵に笑って見せようとしたが、口元はひきつるのであった、
――――――
「くそっ、くそっ、くそっ」
なんだって、あいつらがッ!
なんだって、あいつらがッ!
林を疾走する男、フィンキーの胸中は荒れ狂っていた。恐怖と怒り、やり場のない感情が爪を握りこませ、掌を傷つける。
自分の計画は完璧だった。勇者として輝いていた。
でもそれはあれがやって来るまでのこと。無敵だったはずなのにことごとく邪魔され計画が潰されていく。
神より得たこの力は望みを叶えてくれるはずではなかったのか。
話が違うじゃないか、と、あの白き立方体に向かって怒鳴りつけたかった。
そして同時に思った。あんな惨めだった人生に戻りたくはない、と。その為だったらなんでも――
「あの、待ってください」
「ひぃぃぃぃ!?」
不意に声をかけられ、驚いたフィンキーは足をもつれさせて転んだ。純白だった服が茶色く汚れる。端整じゃない顔がさらに歪になり、怯えを表現していた。
そんなフィンキーに、追い付いたその人は優しく声をかけた。
「私はギルド職員のツケウと申します」
追い付くためにだいぶ走ったのだろう。汗をかき、息を切らしている。彼女の息づかいの他に音はしない。彼女しか追ってきてないようだった。そして追手は明らかに油断している。
まだ終わってないんだね、と、フィンキーは邪悪な笑みを溢すと目を赤く染め上げた。
――何人たりとも僕を止められやしないのさ。異世界の踏み台君ちゃん共。