通過儀礼と買い物
「おかしいなぁ。どうしてこうなったのかな」
ヒトエは一人絶望の縁に立っていた。
目の前にいるのは二メートルはあろうかと言う猛獣。元の形が不明なほどの毛の量である。
その体毛を逆立て奇声をあげ、威嚇してくる。今にも襲ってきそうだ。
ヒトエはひきつった笑みを浮かべるしかなかった。
この危機的状況に陥る前日。
「こんなのって絶対におかしいよ」
ヒトエは一人だけ絶望にうちひしがれていた。過去も未来も絶望ばかりである。ヒトエがいるのはマスタールーム。着せ替えさせるべく買い物にいこうとしたところを捕まり、ツケウやソーカと並んでふかふかのソファーに座っていた。
で、その呼び出した張本人であるタマスはと言うと、対面のソファに座り、
「まぁ、新人の通過儀礼だ。受け入れろ」
などと諭してくる。しかし、絶望を提供したのはこの男である。パワハラだ。どこへ電話を掛ければいいかヒトエは本気で悩んだ。スマホはある。しかしながら電話先がなかった。絶望である。
さらにそこへ追い討ちが。
「こればっかりは仕方ありませんよ」
あれだけ優しくしてくれるツケウでさえ助けてくれなかったのだ。よしよしと頭を撫でてくれるだけ。……許した。
職員ではないソーカは言わずもがな。出された茶菓子を上品にいただいているだけで我関せずだった。でも、美味しそうにほわわんとしているのが絵になるので許した。ひそかにスマホで写真とった。
ヒトエは心が広いのである。秘蔵コレクションも増えていくのである。
でも、だからって、だからってっ!
「ギルド職員が魔物退治の研修とかおかしくないですか!」
魔物退治とは文字通り魔物を退治することである。タマスはか弱い普通の女の子、チート能力を持っただけの、無力な一般人を危険地帯へ放り込もうとしているのだ。正気の沙汰とは思えなかった。
ソーカの警護とは訳が違う。確約された危険。得られぬ癒し。ヒトエに得なことは一つもない。この世はギブアンドテイクなのだ。
対価なしにヒトエは働かない。
「そうは言うがなヒトエよ、考えてみろ。ギルドには数多くの依頼が届く。それを冒険者たちが解決するわけだが、全てをやってくれるわけではない。それは実力不足だったり、報酬が見合う額ではなかったり、理由は様々だ。では、残ってしまった依頼はどうすると思う?」
「タマスさんが頑張る!」
ヒトエは即答した。彼女の目に宿るのは信頼。タマスなら、ギルドマスターのタマスなら面白いノリツッコミをかましてくれるはず。
「そう、基本はキャンセルだ。しかし、放っておけない案件もある。そういうのは俺が……ん? ……俺だけなわけあるか! ギルド全体でどうにかすんだよ!」
期待はずれであった。ヘボツッコミであった。
ヒトエはタマスの肩に手を置く。
「もう少し頑張ろうね」
「頑張ってるよ! んで、そのうちお前にも頑張ってもらうんだ。今回はその練習だよ」
「えー。ソーカさんとの警護はどうなるの?」
「同時進行だ。もちろんツケウにも同行してもらう。安全面を配慮して近場の弱めの敵にするからさ。行ってくれないか?」
「うーん、それなら……」
ギルド職員なのに魔物と戦わないといけないのは予想外であったが、戦う魔物はあらかじめわかるのだ。
さらにここまでお膳立てしてくれたなら上級死霊の時のようなピンチもないだろう。そう考えたヒトエは歯切れ悪くも了承した。
「怖くない相手だといいなぁ」
それでもやはり不安だった。チート能力のおかげで魔物と戦えるだけの力があるかもしれない。事実、二体の魔物を倒せている。
しかし、ヒトエはつい一週間前ぐらいまで平和な世界にいた女子高生だったのだ。そこへ軽く魔物を退治してこいと言われるとは酷な話である。
お茶を飲もうとコップを持ち上げるとソーサーがカチャカチャ音を鳴らした。もうすでに緊張してしまっているようだ。ヒトエはそんな自分に苦笑いする。
空元気から一変してあからさまにビビっているヒトエ。そんな様子を見かねたツケウが一つの提案をする。
「タマス、ヒトエにはラモビフトの討伐を――」
「がんばりまっす」
ヒトエの目に闘志が宿った。
ラモビフト、この魔物のことはヒトエはよく知っている。資料室にある図鑑に挿し絵つきで勉強済みだ。
この魔物の最大の特徴はその柔らかな体毛。もっふもふでもふもーふでももっふふなのだ。とにかく素敵なのである。一目見てみたい魔物だった。気性が荒いのがタマに傷だが、大きくても大型犬ぐらいの魔物なので見た目による圧力は皆無と言えよう。繰り出してくる突進は要注意だ。
「そうだな、ラモビフトならヒトエのスピードで十分に倒せるだろう」
「魔石にして連れて帰ります!」
「そ、そうか。頼んだぞ」
ヒトエの自信はどこから湧いて、恐怖はどこへ消えたのだろうか。タマスも引くぐらい、ヒトエのテンションはあがっていた。ツケウの狙い通りである。
「では、ヒトエちゃん、装備品を整えに買い物へ行きましょうか」
「はい! 私の装備と、ソーカさんのお洋服を買いにいこう! 着せ替えタイムだよ!」
ソーカは飲んでいたお茶を吹き出しかける。一連の話のおかげで忘れてくれる、なんてことはなくて驚いたのだ。そんなソーカの手を引いてヒトエが部屋から出ていった。
それを見送ったツケウは優雅な所作でお茶を飲んでからほっと息をつく。
「ひやひやしました」
「あぁ、あそこまで嫌がるとは思わなかった。あんだけ戦えるんだからそれなりの場数を踏んでそうなのに素人みたいな反応をするんだな」
「本当に素人かもしれませんよ?」
「なわけあるか」
タマスはそれを冗談と受け取ったのかニヤリと笑った。ツケウは再びお茶を飲んで同じように息をつく。まるでため息を隠すように。
「それはともかくとして例のアレはお任せしていいんですね」
「おう、明日までには終わらせるさ」
タマスはドンと胸を叩く。ヒトエが見たらドラミングみたいだと思ったことだろう。
その時、そのヒトエが扉からひょっこり顔を覗かせた。
「ツケウさーん? なにしてるのー?」
「タマスから装備代をせしめようとしましたが失敗しました」
「ケチー」
「誰がケチだ。だれが」
ツケウは静かにカップを置くと席を立った。
「それでは私も行きますね」
「おう。後は任せとけ」
ヒトエの武器防具の買い物は女の子にあるまじき早さで決定した。軽いナイフと軽い革鎧をツケウに言われるがまま、ぽんぽーんと買ったのである。ヒトエの生命線はスピードにあるので動きを阻害しないものを見繕ってもらった。
ナイフの素材も、革がなんの魔物の革かもわからないが、ツケウなら適切な品を選んでくれはず。ヒトエに不安はなかった。残念ながらデザインはダサいが、お洒落で強い装備は高いので買えない。それなら命を優先するのは当然だろう。
店を移動して服屋へ。ここはツケウが紹介してくれたお店で地球でも通用するであろう可愛い服が色々と置いてあるのである。
「これからが本番!」
ソーカの着せ替えタイムである。
「ここはガーリーで攻めるべきだよね」
「ガーリーとかよく知らないが露出が少ないのを……」
「それは水着がいいってフリかな?」
「違うから!?」
「これなんてどうでしょうか」
「いい!」
ツケウが持ってきたのは花柄ワンピースであった。春色の明るくて可愛らしいデザインだ。
ツケウもこの時を楽しみにしていたのである。全力で着せたい服を探してきていた。
「え、ちょっ、こんなにっ?」
「入った、入ったー」
四の五言わせず多数の服を持たせてソーカを試着室へ押し込んだ。
一仕事終え、満足感に浸っているとツケウがまだ服を持っていることに気づいた。
「あれ? 渡し忘れたんですか?」
「いいえ、これはヒトエちゃんに似合うかと思って」
「そっか、気が合うね」
ヒトエもツケウ用に選んだ服を棚に置いていた。
服を交換した二人も試着室へ。
そこからは試着御披露目パーティー。和気あいあいと楽しんだ。
もし、あなたがこの場にいたら三人の様々な姿を楽しめたことだろう。
清楚なのから可愛いの、はたまたコスプレチックなものまで。
しかし、世界の隔たりは無情なのである。
「想像力でカバーしてね」
ヒトエは空に向かって悪戯っぽく舌を出したのであった。
余談だが、ヒトエが買ったのは、上下新緑色のお洒落な作務衣だ。動きやすく、耐久性にも優れた一品だ。そのデザインはちょっと忍者っぽくもあるとヒトエは思った。ダサイ防具の下だけは少しでも可愛くしたいという乙女心と、怪我は嫌だという臆病さが、この服を選ぶ決め手となった。
ツケウが買ったのは、寝巻き用にと黒猫風のキグルミバジャマ。尻尾まで完備されたクオリティの高さに即決であった。これを着て寝ている姿を拝みたいのでお泊まり会を提案したヒトエである。
ソーカが買わされた服はいっぱいあるが、中でも一番困っていたのはゴスロリである。藍色をベースに桜色のアクセントでふりっふりの愛らしいデザインだ。イケメンのソーカが着ると、男の娘ぽくなりとってもいい。ヒトエもツケウも大満足であった。
「あれ? お預けにしたはずなのに私達の格好がバレてる予感がするよ」
しかし、結局、創造力でカバーしないと彼女達の姿はわかないだろう。