帰り道(後)
「油断しないで! そいつは死霊です!」
「――っ!」
男はすぐさま剣を構え直した。
死霊はまだ地面で仰向けになっている。
……仰向けだ。
仰向けのまま動く気配がない。
「死んだフリ?」
「死霊にそこまでの知性があるとは思えないんだけど。実体あったし」
「でも喋ったよ?」
男は口をあんぐりとあけた。驚きではなく、アホを見るような顔である。なんとなく、あくまでなんとなくだがヒトエはなんとなく油性ペンを男の口に突っ込んだ。なんとなく。あの死霊を越える高速の一突きであった。
喉がおえっとなって苦しむ男は息も絶え絶えに「喋って実体ある死霊とかリッチクラスじゃないか。んなのいたら……」と言ったところで蒼白になった。油性ペンを飲み込んでしまった訳ではない。死霊がついに立ち上がったのだ。
そしておもむろに口を開いた。
それだけでヒトエの隣にいる男が腰を抜かしていた。リッチとはそれだけ恐ろしい存在なのだ。
死霊、もといリッチはそんな男に目もくれずヒトエに語りかける。
「あの、なにが起きたんですか」
「……あれ?」
心配そうに様子を窺う彼の表情は人間のそれだった。声も若干上ずって高いが普通である。そして、よくよく見れば鼻から赤い血も出している。それが生きているなによりの証拠だろう。
「もしかして死霊じゃない?」
「えぇ、生きてます」
「どんな勘違いだよ……」
隣で座り込んでいる男は深くため息をついた。ちょっとズボンの股間があれしてるが、ヒトエは今は見て見ぬふりをすることにした。それよりも、だ。
「でも、襲ってきたのは事実ですよね。何でですか?」
「私が襲った? なにがなんだか……」
狼狽する男は額を抑え、足元に落ちている真っ二つの細身の剣を見てぎょっとしていた。
「記憶がないの?」
「信じてもらえないかもしれませんが、昼御飯を食べたと思ったらここにいたんです」
説明しつつ剣を拾いあげた青年は肩をがっくり落とした。高かったのだろう、落ち込む彼の黒い瞳は潤んでおり、さっきまでの虚ろさはどこにもない。
「本当に私を殺しに来たんじゃないのね」
「はい」
「じゃあ、これを着けてよ」
ヒトエは垂れウサミミを投げた。ちょっとよろけて狙いが逸れてしまったが、青年はしっかりキャッチしてくれた。
「これでいいですか? 必要があれば尻尾もつけますよ」
意外とノリノリである。ヤケになっているのかもしれない。迷わず装着した青年はなぜかくるりと一回転した。バレエやフィギュアスケートとかを彷彿とさせる綺麗なフォームである。垂れウサミミが黒髪と共に躍動感を表現していて、芸術的であった。
垂れウサミミをここまで活用するとはこのイケメン、才能あるっ。私もウサ尻尾も頑張らなくちゃ。
ヒトエは自分の右手を見てぎゅっと握った。
「もしかしてさ」
「ふぁえっ? な、なに?」
少し黙り混んでいたギルド職員の男が突然喋り出したものだから驚いて変な声を出してしまった。
屈辱だよ。粗相をしている癖に。喋るなら喋るよって欲しいよね。
ぐぬぬ、とするヒトエをよそに男は言葉を続けた。
「こいつは操られてたんじゃないか? 雰囲気が全く違うじゃんか。演技かもしれないけどさ」
「なにそれ? 操るってそんな魔法みたいなのあるの?」
突拍子もないことを言うもんだからヒトエの怒りはあっという間に吹き飛んだ。こいつこそアホだろう、と。アホの言うことに腹を立てていたらキリがないのだ。
「ありますよ。操る魔法」
「あるの!?」
職員の代わりに青年が肯定したことでヒトエの怒りは再燃した。
おこである。本当におこであったのだが、青年の物悲しい顔をしているもんだからすぐに再鎮火してしまった。なにか事情がありそう、とヒトエは思った。
ギルドの同僚はそんなこと全く気づいてないようで「かなり高等で素質も関係するらしいけどな。それを使えるとしたら辻褄が合わないか?」と、のたまった。急に辻褄と言われてもさっぱりである。ヒトエがなんの辻褄が合うのか訊ねたら、ギルド職員の男はまたアホの子を見る目をしていた。
ヒトエに好感度メーターがあれば真っ黒になっていることだろう。
もちろん彼はその事にも気づかない。
「そりゃ、死霊事件に決まってんじゃんか。死霊達は連れ去られた人たちなんだぞ。んでもって犯人は見つかってもいない」
「魔法で操って連れ去っていると言いたいわけですね」
ヒトエよりも青年の方が理解が早かった。このイケメンのスペックは底無しなのだろうか。ヒトエは戦々恐々とする。
「あぁ、人を死霊にしちまえるぐらいだ。そんな魔法を使えてもおかしくないだろ」
「うーん、まぁ、よくわかんないけど、タマスさん達にも報告した方が良さそうだね」
「あんたも来てもらうぞ。魔法がまだかかってないかチェックもしよう」
「わかりました」
「あと変な動きしたらこれだからな」
ギルド職員は親指で喉をかっ斬る動作をしてみせると、青年は苦笑いで頷いた。
これでこの話は一旦終了だろう。ギルドに戻るだけだ。
「あのさ」
だからヒトエはずっと気になっていた疑問を職員にぶつけることにした。今を逃したら次に機会はないかもしれないのだ。正直、興味度は低いが確認しておくべき事柄なのである。
「君のことずっと気になってたんだけど」
ヒトエはギルド職員の目をしっかりと見つめる。なぜだか彼は顔をほのかに赤くし、小声でまごついた。
「あの、こんなとこで急に告白は……」
彼の勘違いに気付いたヒトエは心の中だけでニヤつき、たっぷりと間をとった。ますます彼の顔は赤くなっていく。
うぶすぎるけどそれがいい。というか、この好感度で告白されるなんて勘違い出来るなんて中々の大物だよね。今までの発言も悪気はないんだろうなぁ。
などと考えながら真顔でいたが、引っ張りすぎはよくないのでここで当初の目的を果たすことにした。ヒトエが気になっていたこと、それは――
「君の名前はなんだっけ」
彼の名前だった。同僚なのに今でも全く思い出せない。ツケウに紹介してもらった気がするが記憶にございません状態だった。
「え? 名前?」
「そう、名前」
キョトンとする男のおうむ返しに、ヒトエも無垢な表情を装っておうむ返して頷いた。
一瞬の間の後、今度は別の意味で耳まで真っ赤にした男は吠えた。
「覚えてないのかよ! チョデだよ! 仕事仲間だろ!? 覚えといてくれよ!」
「チョデね。チョデチョデ。助けてくれてありがとねチョデ」
「お、おう」
聞いといてなんだが、ヒトエに覚えられる自信はなかった。でもその表情は面白いから忘れないだろう。
心にきっちりと照れ怒り顔を刻んだヒトエは青年に声をかけた。
「じゃあ、行こっかお兄さん」
「それなんだけど」
「ん?」
「私、こう見えて女なんだ」
「……………………えぇぇぇぇぇぇ!!!!???」
衝撃で男の名前が完全に吹っ飛んだ瞬間だった。