シンデレラ.1
埃の舞う薄暗い小屋で二人の男女がそれぞれ腰を落ち着かせていた。男は歳の頃なら五十ぐらいだろうか、立派と表現すべきか不精と表現すべきか判断に迷う髭を口の周りに生やし、頭の生え際は負け戦を判断した兵士たちのように後退していた。対して女の方はまだ少女と呼んでも問題は無いような年齢を思わせる容姿、器量のよい顔によく似合った小奇麗な服装に身を包んでいる。ただし、そんな彼女もこの部屋に充満する塵芥によって大分煤けた印象を受けた。
「……ねえ、パパ」
「なんだい、エア?」
少女が机に置かれている葡萄を食みながら男に話しかける。パパと呼ばれた男は彼女には目もくれず、しかし年頃の娘の機嫌を損ねぬよう慎重に応答を返す。
「それは一体何を作ってるの?」
父親が手元でいじくっているものをぶっきらぼうに指差す少女。それは裏の森に点在する切り株くらいの幅がある円形状の鏡のように見えた。
「これはあれだ。地面に置いといて、若い女の子が上に乗ると鏡の表面からスカートがひるがえるくらいの突風が吹き出てくるという素敵な魔法の道具だ」
「それはまた最低なアイテムね……」
やはり娘には目もくれず答える父親に少女はこめかみを押さえる。
「そんなものばっかり作ってるから、他の魔法使いや魔女たちから爪弾きにされるんじゃない。こないだ叔母さんからも絶縁状が届いてたわよ」
「あんな他人に呪いをかける事ばかりに躍起になってる連中なんてこちらから願い下げだよ。あんなやつらばかりだから魔法使いはいつまで経っても畏怖や嫌悪の対象なんだ。それにこれだって出力を最大にすればファフニルくらい吹き飛ばす程度の威力が出るんだぞ?」
中年魔法使いは自信満々にそう答える。
「若い雌のファフニル限定でね」
エアは、とろん、とした目で父親の発明品を眺める。
「とにかくこれからはもっとユーモアが必要な時代なんだよ」
もっともらしく言い放ち鼻を鳴らす男。
「そういうもんかしら」
「そういうもんなんだ」
生娘とは言わないまでも歳若いエアにはまだ父親の言うところのユーモアが理解出来ないのか曖昧な返事を返す。彼女が葡萄の種をぽいと床に放ると二人の間に沈黙が訪れた。
「……ねえ、パパ」
「なんだい、エア?」
数分が経過しただろうか。エアが再び口を開く。
「わたしって……パパの本当の娘じゃないの?」
娘からの予想だにしない問いかけに男の手が止まる。視線は頑なに手元から外さないが、その顔からは脂の乗った汗が滝のように滴り落ちる様が見て取れた。それでも彼女の方を見ないのは父親の意地なのか、ただ単に娘の顔を見るのが怖いだけなのか。部屋の中でふわりふわりと自由に生きる埃たちにも緊張が走る。
「誰がそんな事を言っていたんだい?」
まるで平静を装えてない声で問いを返す父親を見て、「ああ、これはマジもんだ」と娘は静かに嘆息する。いつの時代も男は嘘をつくのが上手くない。
「パパが通ってる若い女の子がお酒を注いでくれてついでにちょっと足なんかを絡めてくれるお店の娘からね。実は友達が働いてるのよ。ちなみに店の名前は言わないけどパパがよく指名する娘よ」
「……そうか」
男の顔は魔女の呪いにかけられたかのように完全に生気を失っていた。十何年間も娘にひた隠しにしてきた親子関係、及びそういうお店に通っていると言う事実、が白日の下に晒されてしまった為だろう。或いはこの一連の話が彼の妻の耳に入った時の事を想像した所為かもしれない。
「それで、さ。わたしに双子のお姉ちゃんがいるって言うのも本当の話なの?」
「……私は店の娘にそんな事まで喋っていたのか?」
涼しげに話を続ける少女に、男は十は歳は取ったかのような顔で絞り出すように疑問を返す。
「さあ、わたしは友達から聞いただけだから」
そう言ってエアはひょいと葡萄の粒をもう一つ口へと運ぶ。
「それでどうなの?今のは本当の話なの?」
「……さあな。何かの勘違いかなんかじゃないのか?」
男は作業を再開しながら何とかそう回答する。彼の動揺ぶりから見てエアの言葉が勘違いなどでない事は明白なのだが、無理矢理それで押し通す方針としたようだ。クールな口ぶりと相反して鏡をいじる手がガクガクと震えているのが滑稽である。
「そっかあ。パパが覚えてないなら仕方ない、ママに聞くしかないわね」
その言葉に今度こそ凍りつく男。そんな父親を横目にエアはにんまりとした表情で葡萄を口へ運び続ける。
「……お前は魔女か」
「なんせ魔法使いの娘だからね」
余裕綽々の様子の娘に奥歯を噛み鳴らす父親。「性格の悪い女め。親の顔が見てみたいわ」と言ったところか。育ての親と言う事ならば、とりあえず手に持っている鏡を覗き込むのが手っ取り早いだろう。
「まあ正直なところ、そんなのはどうでもいいのよ。なんだかんだ言ってパパの事もママの事も好きだしね」
「だったら最初から何も聞かなければいいじゃないか」
父親の言葉に「まあそれはそうなんだけど」と口を篭らせるエア。そして彼女は意を決したようにこう続けた。
「実はわたし……この間お姉ちゃんの様子をこっそり覗きに行ったの」