第八話 「ジュヌヴィエーヴ」
「ちょっと驚いたわ」
由衣が由忠に言った。
「あんた、おじいさんなんていたんだ」
「俺だって木のマタから生まれてきたワケじゃない」
「そうね。木が聞いたら気が狂うわ」
「シャレか?」
「イヤミよ」
そう。
由衣ではないが、信じがたいことに、由忠にも祖父が存在する。
生命体という観点から考えると当然だが、なんだかそう言いたくなる。
「カッカッカッ」
子供達の菓子を頬張る顔を見て微笑む老人を見た由衣がぽつりと言った。
「8時45分に印籠持たせてあげたいわね。このおじいさん」
「印籠持つのは助さんだろう?」
「格さんよ」
「そうだったか?」
「それでも日本人?」
「それはそれで暴論な気がするぞ?」
「あんたに暴論扱いされるなんて、やっぱり世の中乱れてるわね」
「乱れてるのはお前の頭だ」
「壊滅してるあんたの頭よりマ・シ・よ」
「乱れるならベッドの中で……どうだ?」
そっと腰に回される由忠の手をつねりあげる由衣。
「子供の前でなんて事するのよ!」
「―――お前等、ちょっと横向いていろ」
「これ由忠」
老人が口を開いた。
「遊びが過ぎるぞ?」
「失礼いたしました」
素直に頭を下げる由忠に驚きの視線を向ける周囲にかまうでもなく、
「まぁ、なんだ」
由衣とイーリスは、ベンチに座った老人の姿を一瞬見失い、そしてお尻に違和感を感じた。
「これだけの見事なひっぷじゃ」
ナデナデ
「漢として気になるのはわかるがのぉ」
二人が振り返ると、そこには自分達の尻をなで回している老人の姿があった。
ガン
ガンッ
即座に二人の拳が炸裂したのは言うまでもない。
「何も年寄りにそこまですることあるまい……」
頭を押さえながら老人は抗議した。
「一瞬、死んだばぁさんの顔が浮かんだぞ?」
睨み付けてくる二人の女性はその言葉に耳を貸すことはない。
「この老人が、閣下の祖父だとよくわかりました」
「最低なのは血筋なのね」
イーリスと由衣の二人からそう言い放たれた由忠こそいい災難だ。
「ったく、古くは神話にまで出てくる二千年以上の伝統と歴史を誇る家柄って御父様からイヤって位聞かされていたけど」
由衣は老人を睨み付けながら言った。
「水瀬家って、みんなこんなのばっかりなの?力はあるけど頭の中ピンク色ってヤツ?」
「そ、そこまで言うなよ」
抗議する由忠の言葉にはどこか覇気がない。
「これでも、皇室近衛騎士団総隊筆頭騎士、一時は騎士団長までやったんだぞ?」
「そんなに弱かったの?当時の近衛って」
「爺様がいた頃は、世界最強だ。特に爺様はな」
由忠は言った。
「ソロモン戦で米大統領警護騎士団と米共和国騎士団の連合軍を全滅させ、ハワイ攻防戦で戦艦10隻仕留めて」
「……どこのモビルスーツよ。このジジイ」
「断っておくが、爺様の母親は瀬戸家の出だぞ?」
「……私達、血がつながってるの?」
「下手に一般人の血を入れると騎士の血は薄まる。それを避けるためには騎士同士の結婚が望ましいことは知っているだろうが」
「そりゃ、そうだけどさ」
由衣は由衣で瀬戸家の血に誇りを持っている。
その血が目の前の男にも受け継がれていると思うだけで、血が汚されているような気がしてならない。
「考え込んだところで始まらないぞ?お嬢さん」
老人はけろりとした顔で言った。
「立ち話もなんじゃ。どうじゃ?ワシの家へ来ないか?」
道すがら、由忠は自分の祖父を改めて紹介した。
水瀬忠興
近衛には1920年から1975年。実に半世紀の長きに渡り在籍。
その間、左翼大隊筆頭騎士、総隊筆頭騎士、左翼大隊大隊長、騎士団長、近衛に関する重職のほとんどを歴任すると同時に、“くさび”の通り名を持つ皇室隠密衆お頭として暗躍した伝説的な忍びでもある。
近衛における最終階級は上級大将。
ちなみに、史上、この地位に就いた者は、初代騎士団長土方歳三と彼だけだ。
「近衛の生き字引みたいな方ですね」
さすがに相手が近衛のOBとなれば、イーリスは少なくとも表面的には敬意を払わねばならない。
「外見からは信じられないけど」
反対に、伝説的な忍びでもある老人を前に、由衣は尊敬の眼差しに変わっていた。
「あの“くさび”のお顔を拝めるなんて……私、スゴい」
周囲からの視線を浴びながら、老人―忠興―は気にもとめていない。
ただ、エリスとエマを相手にするだけだ。
そこに恐怖の二文字は存在しない。
単なる好々爺。
そうとしか考えられない老人がそこにいた。
「でもさ」
由衣はもっともらしいことを由忠に訊ねた。
「そんな人が、なんでこんな所に?」
「この国は、水瀬家にとってもいろいろ因縁があってな」
「因縁?」
「……爺様。家は遠いのですか?」
「いや?ほれ。ついたぞ?」
かつての貴族の邸宅だったらしい古めかしい石造りの建物。
手入れはされているらしく、歴史を感じさせるわりに清潔感がある。
それが忠興の家だ。
その門の前で、
「わーっ!すっごーい!」
エリス達から歓声があがる。
「おじいちゃん、ここに住んでいるのぉ?」
「ああ。そうじゃよ」
忠興は微笑みながら二人の頭を撫でる。
「爺様、一人暮らしではないようですね」
「あ?ああ」
孫の言葉に、忠興はバツが悪そうに頷いた。
「じ、実はな」
「はい」
「その……」
「爺様、モジモジするのやめてください。気味が悪い」
「そこまでいわんでもいいじゃろう」
「お歳をお考え下さい。100を越えてるんですよ?」
「タマにはよかろう」
「初代メンバーの薫陶を受けた方とは思えませんよ」
「何を言うか。沖田さんに斉藤さん、永倉さん。みんなこんなもんじゃい」
「……歴史で名を知るだけでよかったと思います。で?」
「うむ」
忠興が決心したように口を開いた瞬間だ。
「あら?あなた、お客様ですか?」
門の向こうから聞こえてきたのは落ち着いた声。
由忠が見ると、そこには長いブロンドの髪をボンネットでまとめた少女が立っていた。
歳は16歳くらい。
息をのむような美少女。
そんな表現がぴったり来る。
由忠は不意に、妻である遥香と初めて出会った時を思い出した。
そんな彼女は、どうやら土いじりでもしていたらしい。
エプロンが土で汚れていた。
「あ。ああ、ジュヌヴィエーヴ。実はな」
コホン。
「日本人の方ですの?」
「ああ。実は」
「くすっ。そうですか」
ジュヌヴィエーヴと呼ばれた少女は、小さく笑うと、見るからに重そうな扉を開くなり、一礼して言った。
「お帰りなさいませ。あなた」
「どういうことです」
書斎で重々しい言葉を祖父に投げたのは由忠だ。
「何故、ジュヌヴィエーヴがここに?それにあの“あなた”って一体どういう意味ですか?彼女が何者なのか、わかったのですか?」
「あーうるさいうるさい」
革張りの椅子に腰を降ろした忠興は、煩わしそうに手を振った。
先程までの好々爺としての印象は微塵も感じさせない。
あるのは由忠ですら背筋を伸ばさずにはいられない威圧感そのものだ。
イーリス達は別室に通され、今頃はジュヌヴィエーヴがお茶を入れているはず。
それは幸いだと由忠は思う。
この姿は子供達には見せられたものではない。
きっと泣き出す。
「質問は一つにせい」
祖父の言葉に由忠は従った。
「では、彼女と爺様の関係について」
「わかっておるだろう?」
「考えたくすらないのですが」
「あれは、ワシの妻じゃ」
「……ちなみに、何歳違いの?」
「答えたくもないわ。それよりワシの質問にこそ答えんかい」
「はい」
「お主、何故ここに来た?魔法騎士の女と忍び……ワシ等の戦ではまだ使い物にもならん半人前以下の女を二人、さらにあんな子供までも連れて」
「話せば長くなるのですが」
「短くせい。年寄りに長話は禁物じゃぞ?」
「では」
由忠は事務的に語り出した。
自分達は、近衛の任務でこの国に派遣されてきた。
目的は、近衛関係者を殺害した犯人逮捕、もしくは殺傷のため。
イーリスはパートナーとして行動している。
由衣は別任務で行動している。任務内容は把握していない。
あの子供達は、人身売買組織から逃げた所を保護している。
「ふむ?」
忠興は不思議そうな顔で由忠に言った。
「なんじゃい。犯人逮捕?近衛は警察に成り下がったのか?」
「犬は犬ですが」
「近衛騎士は番犬ではないぞ」
忠興は言った。
「戦闘犬だ。シェークスピアの歌い上げし皆殺しの犬そのものじゃ。国家権力を笠に着るだけしか脳のない官憲共とは違うぞ?」
「わかっています」
「なら、その犬が何故にそんなくだらない任務に就く?」
「相手は人ではありません」
「人では、ない?」
「霊体……そう見ています。近衛の関係者を殺傷後、憑依体数名を乗り換え、この国内に逃亡、潜伏していることが判明しています。ただ、追跡任務にあたっていた魔導師が殺傷され、現在は足取りが途絶えています」
「成る程?」
にやりと忠興は不敵な笑いを浮かべた。
「そんな小物とはいえ、近衛の面子が潰されたというわけか」
「はい」
「それで?足取りが途絶えたといっていたな」
「向こうから来てはくれたのですが、逃げられました」
「逃げられた?」
「相手は吸血鬼でした」
忠興が短く息を吸い込んだのを感じた由忠は即座にそう言った。
この歳で罵声は勘弁してほしい。
「吸血鬼?」
「はい。ただし、当初、子供達の追っ手かとも思いましたが」
「違うのか?」
「イーリスが追っ手数名を殺傷していますから。そう思ったのですが、どうやら違うようです」
「ふむ?」
「敵は子供達ではなく、我々を襲ってきたのです。そして子供達には何もしていない」
「それで?吸血鬼と交戦、当然、撃破したのじゃな?」
「トドメはさせませんでした。塵になって逃亡されました」
由忠は言った。
「驚いたのはその吸血鬼達が子供だったことです」
「……子供?子供が吸血鬼になって襲ってきただと?それに逃げられたというのか?」
「仕方ありません」
由忠は弁明とは知りつつも、祖父に告げた。
「イーリスが戦闘不能に陥るアクシデントが」
「ふむ。足手まといがいるのだから仕方あるまい」
「……」
「……」
由忠は祖父の言葉を待った。
数分。
考え込んだままの祖父からの言葉はない。
コンコンコン
ドアをノックする音がした。
ガチャ
「失礼いたします」
一礼した後、入ってきたのはジュヌヴィエーヴだ。
手にはお盆に乗った紅茶があった。
「お茶をおもちしました」
「かたじけない」
由忠は一礼するが、忠興は一切反応しない。
「ふふっ。この人、考え事するといつもこうなんですの」
微笑みながらジュヌヴィエーヴは由忠に紅茶を手渡した。
「この体型でおヒゲしょう?ご近所の方からは“ドワーフおじさん”って」
「……お久しぶりです。相変わらずでなによりです。マドモアゼル・デュドネ」
「えっ?」
ジュヌヴィエーヴがきょとん。とした顔で由忠を見る。
透き通るようなきめの細かい肌。
尖った形のいい顎。
赤みがかった瞳。
それは、かつて由忠がジュヌヴィエーヴ・サンドリン・ド・リール・デュドネと呼んだ女性その人だった。
「あの……失礼ですが」
ジュヌヴィエーヴは小首を傾げながら由忠にそう訊ねた。
「ふふっ……もうお忘れですね。22年前、あなたにお世話になった者です。水瀬由忠です」
ジュヌヴィエーヴは記憶の端にひっかかっていた単語を口にした。
「……由忠さん?」
「覚えていてくださいましたか?」
「ええ。懐かしいですわ」
ちょっとびっくりした。という顔で、ジュヌヴィエーヴは由忠の顔に白魚のような手を伸ばした。
その手は、肌にはひんやりとした冷たい。
だが、不思議と心には暖かかった。
「ふふっ。昔は女の子みたいなお顔だったのに」
ジュヌヴィエーヴは慈しむような声で、
「おいくつになられたのです?」
「もう38に」
「あら。もうそんなに?……大きくなられましたね」
「マドモアゼルはお変わりなく」
「うふふっ。今ではマダムですよ?」
イタズラっぽく微笑むジュヌヴィエーヴに由忠は笑って、
「ああ。そうでした。ただ」
「ただ?」
「出来れば御婆様とは呼びたくないのですが」
「まぁ、つれないこと」
ジュヌヴィエーヴはすねたような表情で恨めしそうに由忠を睨んだ。
ただ、その目には悪意はない。
「では、どう呼びたいのですか?」
「それに困っています」
由忠は答えた。
「何かいい案はございませんか?」
「さぁ。難しいですね」
「難しいです」
「ジュヌ」
ようやく忠興が口を開いたのは、その時だった。
「少し話がある」
そう言う忠興の目が由忠の退室を促し、いや、命じていた。
由忠は紅茶を持ったまま、無言で一礼し、書斎を出た。
階段を降りた先、一階正面玄関脇の一室から笑い声が聞こえてきた。
ドアを開けると、そこではカードに興じるイーリス達と絨毯の上に寝転がって絵本を読むエリス達の姿があった。
二人の回りにはお菓子が散乱している。
「こら」
由忠は紅茶を近くのテーブルに置くと、エリス達の襟首を掴み、持ち上げた。
「お行儀が悪いぞ?」
「ううっ。ごめんなさぁい」
「片づけまぁす」
「そうだ」
そっと絨毯の上に降ろされた二人は、いそいそとお菓子の片づけにかかった。
胃袋へ。
「そうじゃないだろう?」
コツン。
由忠のゲンコツが軽く二人の頭に触れる。
「まずひとまとめにしてだな」
ちらりと見たイーリス達だが、どうやら二人ともエリス達の姿が目に入っていない。
「御母様達ならダメだよ?」
エマが言った。
「お遊びに熱中しているのよ?」
エリスはそう言った。
違う。
由忠にはわかった。
遊びといえば遊びだが、正確にはギャンブルだ。
勝ち誇った顔の由衣が優勢なのは、由衣側に積まれた札の量でわかる。
「こら」
由忠が二人からカードを奪う。
「ちょっ!何するのよ!」
「閣下?」
由衣からは怒りの、イーリスからは安堵の声が上がる。
「ったく、子供の前、しかも任務中だ。それから由衣」
由忠はカードを改めながら、
「バクチから身を離せ」
「な、なによ。カード返してよ!」
「こんなイカサマするんじゃない」
イーリスの前に飛ばされたカード。
「ち、ちょっと!」
由衣が取り返そうとする前にイーリスがそのカードの仕掛けに気づいた。
「なるほど?」
イーリスが低い声になる。
「あ、ははっ……ばれちゃった」
「私からこんなイカサマで金を巻き上げたと?」
イーリスの手が由衣側に積まれた札を掴む。
「イカサマ見抜けない方が悪いんだけどさぁ……あーあ。エリスちゃん達。スゴイことになってるわねぇ」
由衣は話題を変えることに成功した。
「え?―――なっ!えっ、エリス!?エマ!?」
イーリスが青くなって二人に駆け寄る。
「あーあ!絨毯が!」
そう。高価なペルシャ絨毯が菓子のジャムやジュースでベタベタだ。
「ご、ごめんなさぁい」
「さぁい」
「後で御爺様に謝るんだぞ!?一緒に謝ってやるから!」
「はぁい」(×2)
「ところでさ」
カードをしまいながら、由衣が訊ねた。
「あんた、おじいさんとは話がついたの?」
「話?」
「え?ここに拠点を移すんじゃないの?」
「いや。それどころじゃなかった」
「それどころじゃない?絨毯汚して追い出されるの?」
その由衣の言葉に、エリス達がビクリと反応する。
「追い出されるとしてもこいつらだけだが」
「やだやだぁ!」
「半分冗談だ」
「嘘つき!」
「だから半分だ。きちんと謝らないと、追い出されるだけじゃ済まないぞ?爺様はああみえて俺よりずっと怖いからな」
「ほ、本当に?」
「ああ。だが、お前等がちゃんと謝ればゆるしてくれる」
「本当ね?」
「ウソはいわん」
二人の頭を撫でながら、由忠は言った。
「あの吸血鬼の件だ」
「どうしたの?」
「爺様に心当たりがあるらしい。今、ジュヌヴィエーヴと話している。その結果次第で次の動きが決まるな」