第六話 「ロスト・チルドレン」
「―――で?」
朝帰りの由忠を出迎えたのは、あきれ顔のイーリスと、興味深そうな顔の姉妹。
「いや……だからな?」
そう答える由忠は、ホテルの床に正座させられ、その由忠をイーリスが見下ろしていた。
「あの娘相手に一晩お楽しみだったと」
イーリスの手には、携帯電話。
メールの送信ボタンを押せば、そのまま由忠の所業は遥香へ送りつけられる。
絶対のジョーカーを持つイーリスに、由忠は従うしかない。
「お楽しみって?」とエマ。
「何していたの?」とエリス。
「……御父様に聞け」
イーリスはそっけなくそう言うだけ。
「御父様?」
「えっと……お話したり、体操したり」
「子供の前でヘンなこと言わないでください」
イーリスはニベもない。
「お前、子供絡むと性格変わるなぁ」
「オンナはそういう生き物です」
「……納得」
「いいですか?完全な強姦ですよ?」
二人にわからないように、イーリスは日本語で言った。
「近衛の幹部、しかも伯爵の地位にいる身が未成年の少女を強姦したといわれて否定できるのですか?みっともない」
「いや、だから」
「それとも、生活の困っているのを見越して、金をちらつかせて売春を強要したとでも?どこまで最低なんですか!」
「……そう面と向かって言われると立つ瀬がないが」
「じゃ、座っていてください」
「……うむ」
律儀に座り直す由忠。
これで近衛の大幹部。
皇室隠密衆のお頭にして伯爵。
私の上司にして、今は仮初めとはいえ、私の夫の立場だ。
全く、冗談ではない。
イーリスはそう思いながら怒鳴り声をあげた。
「これが公になって困るのはあなたなんですよ!?」
「……返す言葉もございません」
「しかも、相手は近衛と協力関係が成立したばかりの忍軍の頭領の娘?近衛の敵を作って楽しいですか?」
「……反省しています」
「シャワー浴びてもらっていますけど、何かあったら全て閣下の責任です。よろしいですね?」
「……はい」
「御母様ぁ!」(×2)
子供達から不満げな言葉が飛んでくる。
「どうした?二人とも」
「私達にわかんない言葉でしゃべっちゃダメ!」
「うむうむ。そうだな」
イーリスは微笑みながら二人のアタマを撫でる。
「全ては御父様が悪いんだからな?」
「うんっ!」
「はぁい!」
「……」
ガチャ
浴室のドアが開き、由衣が出てきた。
由忠に脱がされた服ではなく、イーリスの服を身につけていた。
「由衣殿。着替えのサイズは?」
イーリスが駆け寄って声をかける。
「少し丈が長いですけど、問題ありません」
「そうですか。よかった」
「あの……あまり気にしないでください」
由衣は健気にも言った。
「私もくのいちの端くれ。この程度でへこたれていては」
グスッ。
鼻をすする由衣。
気丈な心の裏側にあるものを思うと、イーリスは胸が痛んだ。
「とにかく……食事に行きましょう。そして心を落ち着かせて下さい」
イーリスは由衣と子供達を連れて外に出た。
由忠はホテルの一室で謹慎を言い渡してある。
ちなみにメシ抜きだ。
「本当に、いいんですか?」
由衣がイーリスにそう訊ねたのは、食事が終わり、コーヒーが運ばれてきてからだ。
「問題ない……こらっ。お行儀良く食べるんだ。お行儀悪いと取り上げるぞ?」
「はぁい!」
パフェを頬張る子供達に微笑むイーリスに、由衣が訊ねた。
「あの……」
「ん?」
「水瀬由忠殿は一人息子がいたと聞きましたが」
「ああ。水瀬悠理だ。倉橋の一件で出会わなかったのか?」
「いえ……あの」
何故か、由衣は言いづらそうな様子だ。
「どうした?」
「この子達も……あの」
「ん?―――あっ!」
イーリスは赤面しながら言った。
「この子達は違う!」
「えっ?」
「この子達は私の子ではない!」
「でも、水瀬殿の」
「いや、閣下の血を引く子でもない」
「え!?い、いえ!あの……奥様……というか、愛人の方では、なかったのですか?」
「わ、私が!?」
「はい」
イーリスは慌てて否定した。
「ち、違う!今回は任務で夫婦という立場だが、それはあくまで任務としてのことで」
「そう……なんですか?」
「なんだ。もしかして、由衣殿」
「由衣……でいいです」
「では、由衣……まさか」
「愛人との間に生まれた子供連れでルーマニアへ旅行に来られていた。そこに自分が入り込んではあなたに申し訳がないと」
「そんなことはない!」
なんてことだ。
イーリスはもう真っ青だ。
由衣の目には私が由忠の愛人で、子供が二人もいると思われていたなんて。
もしかしたら、完全に周囲からそう思われているのかもしれない。
いや。任務遂行の上ではありがたいことかもしれないが、かといって、一人の女としてはとても有難いとは思えはしない。
(わ、私はこれでも、これでも乙女だぞ?)
まともに恋をしたことすらない身だ。
それが突然、愛人の上に子持ち?
あまりといえばあまりな話だ。
「うそ……じゃ、ないんですね?」
「当たり前だ」
もう怒鳴る気力すらない。
ぐったりと椅子にもたれかかるイーリスは、それでも気を保つためにコーヒーに手を伸ばし、そして、コーヒーがなくなっていることに気づいた。
「?」
テーブルの上を見ると、自分のコーヒーがなぜか子供達の方にあった。
手を伸ばそうとして、
「だめっ!」
子供達から声が飛んだ。
「な、何故?」
理由がわからない。
何故か、子供達が睨み付けてくる。
もっと理由がわからない。
「どうしたというのだ?」
「御母様が一番お行儀悪いもん!」
「だからコーヒー取り上げ!」
「……はい」
「成る程」
場所を移し、一行は公園に出た。
あの騒ぎがあってから、人身売買の組織は姿を見せない。
それでもイーリスは警戒の目を絶やすことなく、耳だけは由衣に向けていた。
由衣もようやく心が落ち着いたのか、会話の端々で笑顔を見せるようになった。
「仕事とは……そういうことか」
ベンチに座って語り合う二人。
子供達はその前ではしゃぎ回っている。
「はい。水瀬殿にはまだ語っていないのですが」
「当分、いいだろう」
イーリスは、由忠の顔を思い浮かべて苦い顔になった。
「正直、我々でも困難な仕事。それを一人でやれなどとは」
「それだけ、周囲が私に高い評価を与えてくれているということかもしれませんけど……」
「時に期待は重荷になる」
「……はい」
「だが、それを背負いきらなければならない」
「私、それが出来なかったんです」
「それで、たまりにたまったストレスを買い物で発散した挙げ句、このザマか」
「……もうどうしていいかわからなくなって、フラフラ町中を歩いていた時、ブティックのショーウィンドーに並んだ綺麗な服を見て、“ああ。私もこういうのを着て、普通に生きていく人生があればなぁ”って、そう思ってしまったらもう止められなくなって」
「済まないが、あまり忍びには向いていないな」
「私も、そう思います」
「どうだ?いっそ結婚して子供作ったらそのまま家庭に引きこもるというのは」
「……」
しまった。
俯いた由衣をバツの悪い思いで見たイーリスは、内心で舌打ちした。
ついさっき純潔を失った娘にかけていい言葉ではなかった。
(どうやら私は、水瀬の言動を叱る資格はないようだ)
心底、そう思った。
「安心しろとまで言わない」
イーリスはフォローのつもりで言った。
「時が解決してくれる。それに、今の時代、処女にそれほどの価値は」
「心の問題です」
(まただ)
もし、ここに穴があったら、イーリスはその中で頭をかきむしってのたうち回っていることだろう。
「同じ女として聞きます」
由衣は恥ずかしそうに訊ねた。
「こ、答えられることなら」
「あの……」
「ん?どうした?」
「イーリス殿も、初めての時は痛かったですか?」
「……はい?」
今、自分はさぞ間抜けな顔をしているだろう。
イーリスはそう感じた。
「い、痛かった……ですか?」
イーリスは棒読みでそう言った。
「死ぬかと思いました……あんな太いの、よく入ったと」
「そ、それは……赤ん坊が生まれてくるのですから」
「そう……ですけど」
ちらりとイーリスを見た由衣が、
「皆さん、そうなのかなって」
「そ、そういうものだが……でも、そのうち、痛みは、消える」
子供達がイーリスの側に駆け寄って来て、イーリスに抱きつく。
「そうなんですか?」
「もし、破瓜の痛みが続いたら、女性は子供を作ろうとはしない。でも、人類がここまで増えたのは、そんなことがないからだと思う。それは、人類の数が証明してくれる」
周囲を見ると、同じような子連れの女性が何人も前を通り過ぎていく。
「ねぇ御母様!」
そう言ったのはエマだ。
しかも、大声で。
「ん?」
「破瓜って何!?」
「……」
「……」
イーリスと由衣は、共に沈黙した。
周囲の視線が自分達に集まっているのがイヤでもわかる。
「ねぇ!破瓜って何!?」
「……な、何だろうなぁ」
イーリスは、子供達から視線を外した。
「あーっ!知っているのにウソついている!」
子供達はそう言って顔を真っ赤にしてイーリスを睨んだ。
「ねぇ!御母様!」
「教えて!破瓜って何!?」
周囲からのクスクスという笑い声や気の毒そうな視線が痛い。
「帰ったら御父様に教えてもらえ!」
「わかんないことは全部御母様に聞けっていわれたもん!」
エリスが不満そうに言った。
「そう!でね?御父様に聞けっていうのは、御母様がズルしてる証拠だって!」
「あ、あの男は!」
イーリスは握った拳を振るわせた。
(帰ったら絶対殴る!)
そう決めた。
この場に居合わせたら、絶対に“ざまぁみろ”とでもほくそ笑むに違いないのだ。
あれは、そういう男だ。
「とにかくだ!」
イーリスは持っている迫力を総動員して子供達に向かい合った。
「知っている言葉でもそれを説明するとなると話は別だ!御父様の方が口が上手いから、きっと上手に説明してくれるはずだ!だから、御父様に聞け!―――わかったか!?」
「……はぁい」
「……つまんない」
「つまんない?どういうことだ?」
「ようするに、オトコとオンナのことでしょう?」
「そうそう。初めてのことなんだよ?孤児院で聞いたことあるもん」
「ねーっ!」(×2)
「こ……この……!!(怒)」
「あ、あの……イーリス殿?お、落ち着いて」
由衣がそっとイーリスの肩に手を置いて止めるが、イーリスは目がつり上がり、髪が逆立っていた。
「こ、この……」
「わーっ!怖ぁい!」
二人は、笑いながらイーリスの前から逃げ出し、手を取り合いながら、噴水の向こうの緑の中へと消えていった。
「本当に、親子だと思っているんですね」
クスクス笑いながら、由衣が言った。
「甘えてるんですよ。あの子達」
「なら私は愛情たっぷりにお尻をペンペンしてあげよう」
「ふふっ。母親ですね」
「一応、そういうふれこみになってるのでな」
イーリスはそう言ってベンチから腰を上げた。
「エリス!エマ!帰るぞ!?」
返事がない。
「?エリス!エマ!」
イーリスは慌てて二人が消えた方へと走っていく。
由衣も異変に気づき、イーリスの後を追った。
そして―――
二人は、子供達を、完全に見失った。
「うーっ。腹減った」
ホテルの一室では、由忠が空腹を抱えてベッドの上へひっくり返っていた。
ルームサービスを頼んだら、「奥様から食事制限中だから、一切のルームサービスには応じないようにと念を押されている」と断られた。
テレポートで抜け出すことも考えたが、財布とカードをイーリスに取り上げられたことに気づき、やめた。
テレポートで金が手に入るとしたら、それは日本だ。
そこまでするのも何だかバカらしい。
荷物の中に確かスルメがあったな。
そう思い出した由忠が旅行鞄を開いた時だ。
ピーピーピー
携帯電話が鳴り響いた。
イーリスからだ。
「……水瀬だ。どうした?……何?二人がいなくなった?」
由忠は、一瞬、考えた後、
「場所は?ホテルの側の公園……ああ。あそこか。しばらくその場で待て。すぐに向かう」
そう言って電話を切ると呟いた。
「全く、元気盛りというのも、考え物だな」
荷物を漁りながら由忠は思った。
悠理はそんなことなかった。
あいつはヒマさえあれば眠っているような子だった。
そこにいろ。といえば、一日中でもそこに居続ける子だった。
聞き分けがいい子だと、同じ年頃の子供を持つ親から何度うらやましがられたろうか。
「結局」
そういうことだ。
「俺は俺であいつに甘えていたのかもしれんな」
探していたものを見つけた由忠は、それをポケットに押し込むと、部屋から消えた。
「すごい変ですね」
由衣も驚いた。
子供達は、二人の前から忽然として姿を消した。
見えなくなったのはほとんど一瞬といってもいい。
緑の生け垣の向こうへ姿を消した途端、本当に姿が消えた。
生け垣の向こう。
そこは一面の芝生。
周囲に人気はない。
テレポートでもしなければ消えることなぞありはしない。
「あの子達、人身売買の組織に売られそうになっていたといいましたね」
「ああ。だが、いくら何でも、逃げた子供二人だぞ?」
「誘拐にしても話が大きすぎますね」
「そうだ。あり得たことではない」
真剣に考え込む二人の前に、
「ああ。ここにいたのか?」
そう、声をかけてきたのは由忠だ。
「閣下」
イーリスは力無く頭を下げた。
「申し訳ありません」
「何。悪いのはあの子達だ」
「し、しかし!」
「とっ捕まえてお尻ペンペンだな」
口の端をつり上げる人の悪い笑みを浮かべた由忠がポケットから取り出したのはPDAだ。
「どうするので?」
「イーリス、俺があいつらにストラップを与えたのは覚えているか?」
「あの?」
「あの中身は発信器だ。衛星で居場所はすぐわかる……ほらな?」
そう言ってイーリス達がのぞき込んだPDAには、一方向へ向けて移動する光が二つ。
「西の方角……この公園を突っ切ってまっすぐ外へ出たな?」
「あの子達……」
「すぐに戻ればいい。程度に思っているんだろうさ。それより。イーリスはともかく、由衣」
「何?」
さすがに言葉が険悪だ。
先程までイーリスに見せていた優しげな言葉のかけらは微塵もない。
「エモノは持っているだろうな?」
「ドスと手裏剣程度よ?」
「なら、俺のを使え」
「イ・ヤ・よ」
「ん?」
「使ったが最後、代金支払えとかなんとか因縁つけて来るんでしょう?」
「随分、被害者意識だな」
「当然でしょ!?」
「心配するな」
由忠はそれでも刀を由衣に渡した。
「今度はもっと優しくしてやる」
「やっぱりいらないわよ!」
「持て―――死にたくなければ」
「死にたくって……何?」
「イーリス」
「はい」
イーリスの方は無言でナイフを抜いた。
「由衣殿、公園は戦場になる」
「敵が?」
「ああ。囲まれた」
由衣には敵が見えない。
だが、禍々しい気配だけは何とか感じることが出来る。
「気配から数は3。閣下」
イーリスが何かを言おうとした途端、
「!!」
三人は散った。
それまで三人がいた場所に魔法攻撃が着弾し、爆発した。
ただ、爆発音がしない。
「暗殺に特化した連中だな」
「沈黙魔法の一種でしょう」
イーリスは言った。
「以前、何度かこんな魔法を使う敵と遭遇したことが」
「そうか……じゃあ、相手はあんな奴等か?」
「え?」
イーリスの視線の先。
イーリスはその存在を認めたくなかった。
それが敵だと、頭では理解できる。
だが、心では認めたくない。
「ど、どういうこと?」
困惑するのは由衣も同じだ。
「だから、敵だ」
ただ一人、由忠だけは少なくとも、表面上は平然としていた。
「あの姿でターゲットやその周囲を油断させ、そして」
「人道云々以前の問題よ?」
「忍が人道かよ」
「……そういう言い方、やめてよ」
頬をふくらませた由衣が不満そうに頬をふくらませた。
「とにかく」
由忠が指示を出す。
「大した情報は手に入らないだろうが、それでもないよりマシだ。殺さずに捕らえろ」
「り、了解」
「わかったわよ」
イーリスと由衣は、苦虫を噛み潰したような顔で頷き、そして相手の顔を見た。
数は3。
焦点の合っていないような瞳。
感情が何も浮かんでいない顔。
まるで等身大の人形の様なその手に提げられているのは刀。
その身から発せられるのは禍々しい魔素。
「……」
じっと見つめてくる瞳は憎悪を発し、
その口元から見える“牙”が狩りの獲物の血を求めている。
元は人だったのかもしれない。
もしかしたら、まだ、人かもしれない。
その愛らしい外見が、イーリスと由衣に、かすかな希望を持たせる。
バンッ!
“敵”達が、襲いかかってきた。
「殺すな」と言われて幸いだ。
イーリスも由衣もそう思った。
こんな敵、殺したらトラウマになる。
“敵”
それは―――
エマ達といくらもかわることのない、年端もいかない子供達だった。
……すっごいです。
書いていたら、また役所から請求が来ました。
ここまで来るとジンクスってスゴイと思いませんか?