第五話 「姫様の悩み」
「もう一度聞く。何をしている?」
「その前にエロい手離せよオヤジ」
「……脳みそからダイレクトに聞いた方が良さそうだな」
「くっ」
由衣は唇をかみしめた。
相手が誰かわかっている。
自分が絶対にかなわないバケモノだ。
だが、それでもあの屈辱だけは忘れることは出来ない。
「あんたこそ、何してんのよ」
そういってのけるのが精一杯だ。
タンカは切ったが、自分の寿命を縮めるだけなことは認めざるを得ない。
「仕事だ」
「私も仕事よ」
「倉橋はこんな東欧までこそ泥しに来るのか?」
「失礼なこといわないで」
由衣は肩を掴む由忠の手をはねのけた。
「きちんとした仕事よ」
「誰の」
「忍びが依頼主の名前を明らかにすると思うの?―――お頭?」
「やっぱり、脳みそいじらせろ」
「い・や」
「……」
「……」
「じゃ、体に聞く」
「どうしてそういう方面にしか発想がいかないの!?あんたって!」
とっさに胸の辺りをガードしながら、由衣はやや青くなりながら叫んだ。
「あんた、前世は種馬だったんじゃない!?」
「ふん……ここの所、皆が俺をそう評価するな」
「当然よ!」
「馬並み……か」
「晴れ晴れした顔でセクハラ発現するな!この人格破綻者!」
「なら一晩俺とつきあえ。俺がどれほどの人格者か体がわかってくれる」
「心にわからせようとはしないの?」
「体がそうなら、心はそれを自然と認めるようになる」
「……ごめん。言い間違えた」
ぱんっ。
由衣は両手をあわせて由忠を拝む仕草をしてから言った。
「破綻してるのは人格“だけ”じゃないね。このオールラウンド破綻者」
「……仕舞いにゃ殴るぞ?」
「女に手を挙げるつもり?―――へぇ?」
ずいっ。
由衣は勝ち誇った顔で由忠に顔を近づけた。
「殴っていいわよ?」
「……」
「殴るんでしょう?女を」
「……」
強張った顔で睨み付け、拳を振るわせる由忠は、それ以上の行動には出ない。
「ふふっ……どうしたの?」
「……ちっ」
舌打ちをして視線を外したのは由忠だ。
「ぷっ。あんた、結構イイ奴だよ」
由衣は笑いながら言った。
「女に手を挙げないタイプだって、見ればわかるもの。あーっ、あんなみたいなマジメ系って、やっぱりからかい甲斐があるわぁ」
「……何でわかる」
「知りたい?」
由忠の顔をのぞき込むように由衣は訊ねた。
「ね?どうしてわかったか、知りたい?ね?」
「……ああ」
由忠は不機嫌そうにそっぽをむきながらそう答えた。
「知りたかったら、おごってよ」
「はぁ!?」
いけしゃあしゃあと由衣は言った。
「いやぁ。実はお金なくてさぁ。ここんところロクなもの食べてないのよぉ」
「お前……なぁ」
「おじさん!お願いっ!」
またも両手をあわせる由衣に、由忠はため息混じりに言った。
「ハァ……後で返せよ?」
二人が向かったのは近くの高級レストラン。
個室をとった二人の前には豪華な食事が並んでいる。
「うっわ〜っ」
目を潤ませる由衣がたまらないという顔で感嘆の声を上げた。
「食べる!」
「……どうぞ?」
瀬戸由衣の父、瀬戸昭信とは、あの“倉橋事件”以来、親密な関係をとり続けてきた。
倉橋忍軍頭領である昭信と皇室隠密衆御頭である由忠。
近い立場だけに交流が始まると自然とそうなった。
飲む席があると、昭信は何度となく、息子を得られなかった事を悔やみつつ、それでも由衣を自慢していた。
昭信の口から出る由衣は人格者の手本のような素晴らしい女性だ。
実際、剣を交えたこともあるし、何より昭信の紹介で出会った時、由衣が被った猫を由忠は最後まで見破ることは出来なかった。
そして、昭信という枷が外れた由衣は、ついに本性を見せた。
それは、単なる今時の女性としての姿。
怖い者知らず。
礼儀知らず。
無鉄砲。
そして、世間知らず。
……
忍軍頭領の娘として大切に育てられたとはいえ、かなり粗雑な連中の中で育っただろうことは、その言動や振る舞いから明らかだ。
それにしても、昭信は娘にテーブルマナーも教えていなかったのか?
器量を思うと、残念といわざるを得ない。
(娘がいたら、こうは育てたくないな)
「ん?どうしたの?」
フォークとナイフでガツガツ食べる由衣が、自分を見つめる由忠の視線に気づいた。
「食べたら?」
(個室をとってよかった)
由忠はそう思いつつ、言った。
「よかったら食べろ」
「いいの?」
「ああ。ただ、何故、あそこにいたかは教えろ」
「え?いいわよ?」
由衣の口回りはソースでベタベタだ。
「その前に顔を拭け。それから口の中にモノをいれたまま喋るな。あいつらじゃあるまいし」
「あいつら?」
「―――関係ない」
「ふうん?ま、いいわ」
由衣はナプキンで口の回りをふきながら言った。
「魔導師達と連絡がとれなくなったのよ」
「魔導師?」
「そう。知らなかった?」
「何故、お前、そいつが魔導師だと知っているんだ?」
「自分でそう言ってた。“俺は魔導師なんだぜ?ベッドの中でたっぷり魔法をかけてやる”って」
「お前、口説かれていたのか?」
「そうよ。あいつら、金もないのにオンナだけは欲しがるんだから」
「物好きもいたものだ」
「何よ。私にセクハラ発言繰り返してたあんたはどうなのよ」
「で?本題に戻るが」
「まったく……別件の仕事でね?」
由衣がワイングラスに手を伸ばしながら言った。
「この国に来たのが3週間前。地元に詳しい人の協力が必要ってことで広井元大使の力借りなきゃいけないからって、あそこにちょくちょく顔出していたら顔なじみになったの」
「広井元大使を知っているのか?」
「当然」
ワインを飲み干しながら由衣は自信満々で答えた。
「私の上客だもの。金はもってるからね。昔、かなり公金横領してたらしくてさ」
「上客?横領?」
「元大使が国元に戻らない理由なんて言ったらそういうことでしょう?。結構なギャンブル好きだし。何よりあのむっつりスケベぶり。そこらで娼婦買い込みまくってるの知ってるもの」
「ほう?」
「もうなんて言うの?カタブツだけど目線がえっちぃのよ。私の胸やお尻に集中しててさ。で、あのオヤジや仲間連中にチンチロリンやってたんだけど、その時の貸しが200万レイ程あってね」
ちなみにレイはルーマニアの通貨単位。100円で約2レイになる。
「ようするに、お前があのアパートに来たのは、金の取り立てか?」
「そういうこと♪」
「お前、あんなところで賭場開いていたのか?」
「賭場って程じゃ……そうね。今度、半丁ばくちやってみようかしら。あれなら言葉不要だから……」
「やめておけ」
「何でよ」
「オヤジが聞いたらどうすると思う?」
「分け前よこせっていう」
「……」
「うそよ―――でもしかたないじゃない。お金なくなっちゃったんだから」
「何に使った?」
「それが……」
由衣は自分の服を申し訳なさそうに見た。
「成る程?」
それで由忠はわかった。
「ふらりと寄ったブティックか何かでいい服見つけて思わず買い込んだ。それに味を占めて今度はバッグだのなんだの」
「お、お願い!」
由衣はまたもや手を合わせてきた。
しかも今度は涙まで浮かべて。
「これがお頭に知れたら、今度という今度こそ殺される!」
「さて。どうしようかなぁ……」
「ね、ねぇ!本当に冗談じゃ済まないんだから!」
「オヤジに体でも売れ」
「は、初めてを実の親に売る馬鹿がどこにいるのよ!」
「背に腹は代えられないというじゃないか」
「ふ、ふざけないで!新体制に入った忍軍から与えられた初めての単独任務なのよ!?」
「あ、その前にここから国まで歩いて戻らなけりゃならないか……何万キロあるのやら」
「お、お願いよ……私、どうしていいのか」
「ふっ……」
由忠は目元をゆるめて泣き顔の由衣を見た。
ついつい若気の至りで失態を犯す。
それは由忠にも痛いほどわかることだ。
「支度金をそれじゃ、言い訳も出来ないか」
「……ぐすっ」
「で?仕事は成功したのか?」
由衣は小さく首を横に振った。
「何だ?仕事にしくじった挙げ句、道楽に金を突っ込んだ。そういうのか?」
由衣は今度は首をタテにふった。
「バカモンッ!!」
由忠の怒鳴り声にテーブルの食器が揺れた。
恐らく、店内中に響き渡ったろう。
「仕事も出来ずにそのザマだと!?ふざけるのもいい加減にしろっ!貴様は仮にも忍軍頭領の娘、そんな失態を犯せば、親の昭信殿とて、部下の手前、無事では済まんぞ!」
「わーんっ!!だって、だってぇ!」
「だってもへったくれもあるかっ!」
声を上げて泣き崩れる由衣に、由忠は容赦がなかった。
「この場で自害して責をとれ!」
「やだぁ!」
由衣は泣き叫んだ。
「お願い助けてください!」
「知るかっ!」
由忠は席を立ってドアに向かった。
「ここ払いだけはしてやる!後はどこぞでのたれ死ね!昭信殿には俺から話しておいてやる!」
「お願いですからぁ!」
突然、由忠の足にすがりつく由衣。
とたんにバランスを崩した由忠がそのままドアに顔面をぶつけた。
「……あ」
呆然とする由衣と
「……」
顔を押さえたまま黙る由忠。
「あ、あのね?」
「……もう、アタマに来た」
そう言う由忠の目は完全に座っていた。
「……へ?」
「貴様、金が欲しいんだったな」
「う……うん」
「よし。俺が買ってやる」
「ホント!?っていうか、何を?」
「決まっているだろうが」
「……ま、まさか!?」
思わず後ずさる由衣だったが、
「とりあえず100万は出してやろう―――そのトシでエンコーしたらここまで出ないぞ?よかったな」
「や、やだぁ!!」