第四話 「消えた死体」
「殺された?」
突然の言葉に、イーリスは驚きを隠さない顔で由忠を見た。
「そうだ。魔導師達のアパートの部屋は血風呂になっていたよ」
「一体、誰が?」
口の回りをソースでベタベタにした子供達の顔を拭いてやりながら、イーリスは訊ねた。
「近衛に敵対する者と見てよいのでしょうか」
「断定は早計だがな」
ワインのグラスを傾けながら、由忠は答えた。
「魔導師が追っていたのは人間ではない。それに、生体追跡は、そう簡単に逆探知出来る代物ではない」
「すると、何故?」
「偶発的な事件の可能性も捨てきれない。さっき、アパートの側を通ったら警察がいた。大使館を通じて、情報が得られるかもしれない」
「それまでは、動きようがないですね」
「ああ。何より」
「?」
「向こうが近衛に敵対するなら、向こうから来てくれるだろうし」
「向こうから?」
イーリスがきょとんとした顔で由忠を見た。
「どうしてです?」
「もし敵が、魔導師達を魔導師として殺したならの話だが」
「……どうぞ」
「敵は自分達に仇をなす存在をかぎつける鼻を持っている。でなければ、魔導師達の居場所を知りようはずはない。いいか?魔導師達の存在と任務を知る者はごく限られている。大使館だってそうだ」
「この国で残されているのは」
「そうだ」
由忠はニヤリと笑った。
「俺達だけだ」
その後、再びイーリス達と別れた由忠は再び大使館へ入った。
丁度、岡田がデスクにいてくれたので声をかけた。
「あれ?閣下」
「書記官。変わったことは?」
「変わったこと?」
岡田はきょとんとして由忠の顔を見た。
「国内で日本人が絡む事件とか」
「いえ?」
岡田はそう答えた。
「あ、パスポート、出来ましたよ?」
由忠は、子供達のパスポートを受け取りながら怪訝そうな顔で言った。
「何も?いや、そんなハズはないだろう」
「ははっ。ヤダなぁ。閣下。この国に今、日本人が何人いるかご存じですか?」
「……いや?」
「永住を含めた長期在留邦人はたった10人、旅行者だってわずか50人足らずですよ?何かあれば大使館は久々の事件って大騒ぎです。この前、旅行客がカバン盗まれた時なんてそりゃ大使館の様子を見せたいくらいでした。ルーマニア側が日本が戦争を始めるって青くなって位。……まぁ、職員はそれ位、お祭りに飢えているんです。ですから、大使館が静かなら、何もないって見て下さい」
「合計で60人程度。そんなに少ないのか?」
「正規入国者だけです。他国から入る者も若干はいるでしょうが限られますね。この国に好んで来る物好きは少ないですよ」
岡田は笑いながら、作りつけのカウンターに置かれたファイルを取り上げて由忠に渡した。
「在留邦人情報」というテプラが貼り付けられている。
「永住者は全員身元がはっきりしてますし、犯罪歴もありません。老後をここでのんびりすごそうという年寄りや女ばかりです。また、正規に入国手続きを踏んだ旅行者も、一昨日のパックツアーの参加者と個人が10名程度です」
「……」
ファイルにはこの国にいる日本人の顔写真入りのデータが挟まれていた。
「成る程?この国は日本とはそんなに縁がないのか」
「今は、です」
岡田は言った。
「元々、ルーマニアと日本の皇室は共に君主制。先々代のカロル三世の時代は経済、外交、文化、そりゃ活発な交流があったそうです。ただ、先代のハイミ2世治世下の暗黒時代から内戦と政情不安が続いて、今はもうすっかり。ほとんど国交断絶に近い状態です。この大使館だって、君主制国家にはすべからく大使館を置くという外務省の建前というか、慣例にならってのものです」
「ふぅん?では書記官」
「はい?」
「今日、本当に日本人が絡む事件は起きていないのだな?」
「ええ。そんな騒ぎは……あれ?」
岡田は少し考えてから、思い出したように言った。
「そういえば」
「ん?」
「永住者の一人のアパートでイタズラ騒ぎがありましたね」
「イタズラ?」
「ええ。誰かが忍び込んで床にペンキをばらまいたとか」
「ペンキだと?」
「はい。それでさっきまで大使館員が警察に呼び出されたんです」
「ペンキをまかれたヤツ、生きているのか?」
「え?当然です。通報したのはその人です。何でも外出して戻って来たら、床一面ペンキだらけになっていたとか」
「そいつの身元は?」
「え?えっと」
岡田はファイルの中から一つのページを由忠に見せた。
「この人です」
「広井一正……65歳。独身?」
魔導師ではない。
魔導師は50歳の男性。それに永住者だとは聞いていない。
アパートで見た死体にもこの顔はなかった。
「大使館員も現場を見せられたといいます。室内ペンキ臭くてたまらなかったとか」
「この広井という男、今どこに?」
「ついさっき、大使館の誰かと一緒に隣国のラムリアースへ」
「出国を許可したのか?」
「そりゃ無理ありませんよ。目的は半分公務ですから」
岡田はページの一角、その経歴を指さした。
「外務省元ルーマニア大使?」
「そうです。日本で最もルーマニア通の人といえるでしょう。ルーマニアに関する本も何冊も出しています。つまり」
岡田は由忠に言った。
「ここ大使館は、彼にとって元職場。今の職員はかつての部下であり教え子。誰も逆らえはしません」
「……そうか」
「あ、それと」
ファイルを閉じた岡田が言った。
「広井さんのアパート、明日には業者が来て、床を張り替えるそうです」
大使館を出た由忠は、アパートの近くのバーで夜を待った。
安いレコードから金切り音に近いヴァイオリンの音が流れる薄暗い店内にいるのは、由忠とマスターだけ。
時間が早いのか、客足がない。
「へぇ?あんた東洋人かい」
ギムレットをカウンターに置いたマスターが驚いた声をあげた。
「ハーフに近い」
「見えないな」
「よく言われるさ。逆に向こうじゃ目立つ」
「だろうなぁ」
「この辺じゃ、東洋人は珍しいだろう?」
「いや?あそこのさ」
マスターがドアの方角、その向こうにはあのアパートがある、の方角を指さした。
「あのアパートに日本人が住んでいる。昔の大使だったって話だ」
「この店へは?」
「よく来るよ。ヒロイというヤツさ。俺達はタイシと呼んでるけどな。知っているかい?日本の言葉で大使の意味だそうだ。実際、ルーマニア大使だったヤツさ。で、タイシは去年、奥さんが亡くなってからはよくメシを食べに来てくれる。金払いはしっかりしているし、いい客だぜ?」
「一人暮らしか?」
「ああ……いや?違うな」
「ん?」
「最近、仲間が増えたらしいな。大使の知り合いとか説明を受けたよ」
「何人くらい?」
「3人くらいかな?夜になると酒を飲みに来てくれる。ヘンに騒がないし、礼儀正しい奴らだが……何しろ暗くてなぁ。みんなであのテーブルで飲むんだが、まるで葬式みたいな辛気くささでよぉ。金は払ってくれるとはいえ、勘弁してほしいぜ」
「ほう……そんなヤツ等かい」
「ああ。そういえば、一昨日くらいから見ないなぁ」
「いい金ヅルってわけだ」
「そういうことさ。もう一杯、どうだい?うちのパリンカは混ぜ物のない純粋さが売りさ」
「ほう?もらおうか」
由忠はその後、3時間居座って酒を飲み続けた。
「あんた強いねぇ!」
マスターが感心というよりむしろ感動したという声で由忠を送り出した。
ちなみに、パリンカはアプリコットから作る蒸留酒。度数は50度に近い代物、もう可燃物扱い出来る代物だ。
それをストレートで何杯も飲み干した由忠には、全く乱れた所がないのだからマスターでなくても驚くだろう。
「また来なよ。ダンナ。一杯くらいおごりにしてやらぁ!」
「おう」
片手をあげてバーを出た由忠は、そのまま素知らぬ顔をして道を歩くフリをした。
フリ?
そう。フリだ。
歩く前にタバコに火をつけようとしている。
端からはそうとしか見えない。
そういう仕草をとりながら、由忠はそっとバーに入る階段の影に隠れた。
その視線はアパートに向いている。
アパートの玄関。
街頭も照明もないそこには人の影が浮かんでいる。
ほっそりとした影がドアで何をしているのか?
間違いなく、ドアに細工をしているのはわかる。
わからないのは、その影がアパートに何の用があるかだ。
泥棒?
それが一番近いかもしれない。
(捕まえればわかるか)
由忠はそう思った。
もし、殺しても相手は犯罪者。何とでも言い訳は成立する。
音は聞こえないが、影が立ち上がり、そしてドアが開いた。
どうやら、ドアの鍵を開けるのに成功したという所だろう。
ドアノブに挑んでから1分と経っていない。
(いい腕だ)
由忠は内心、そう思った。
影は、周囲を警戒しながらドアの向こうへと姿を消した。
由忠がその後を追う。
室内はまだペンキのニオイが染みついているらしく、シンナーのニオイが鼻をつく。
玄関を入ってすぐにリビング。
由忠が死体を見た場所だ。
あの時、由忠は確かに見たのだ。
それは男性3名の死体。
全員が刃物で斬り殺され、室内は血まみれ。
持っていた近衛府発行のIDカードと顔が一致したから間違いない。
近衛から派遣されてきた魔導師だ。
岡田から見せてもらったファイルにも載っていた顔達。
それがよりにもよって元大使のアパートで死体になって転がってたことになる。
そして、証拠は隠滅された。
血の臭いをペンキで誤魔化したのは明らかだし、死体は処分したと考えていい。
だが、
由忠はそこにひっかかった。
どうやって?
三人分の死体だぞ?
ゴミとして外へ出すにしても目立ちすぎる。
何より、自分が死体を見てから警察が来るまでの時間は恐らく2時間とあるまい。
方法がわからない。
何のために?
死体がそこにあっては困るのか?
その理由は?
理由もわからない。
誰が?
大使が絡んでいるのか?
まさか。
大使は間違いなく近衛から依頼され、場所を提供していたはずだ。
それに、大使自身、近衛を敵に回してこの地上で生きていられるはずがないことはわかっているはず。
では、誰が?
誰がやったかもわからない。
全てが謎だらけだ。
全てが由忠の意表をついていた。
魔導師と合流しろと指示を受けた場所は元大使のアパート。
消えた死体。
……
考えるだけでわけがわからなくなる。
ヒントになるのは一つだけ。
死体を発見した時には感じなかった
(魔素の反応がある)
ことだけだ。
たったそれだけ。
手がかりというにはあまりに細い糸。
見えたと思った敵の姿が、由忠の脳裏の中で次第にぼやけていく。
「とりあえず……」
気配を殺した由忠は、すぐに影の居場所を知った。
アパート二階からゴソゴソ音がする。
(やっぱり、コソ泥か)
そう思った由忠は、ため息混じり二階へ上がった。
二階の一室のドアが開いていた。
下手にドアを閉めることで逃走経路が塞がれることを恐れているのだろう。
室内の奥、チェストの中を漁っている影があった。
「?」
まだ影は自分に気づいていないが、由忠はその姿に奇異なものを覚えた。
細い体
華奢なボディライン。
間違いなく、女だ。
しかもこそ泥にしては、一目でブランドモノとわかるような、いい服を着ている。
チェストの中を調べ終えたのだろう。
こそ泥は立ち上がると、舌打ちして辺りを見回しつつ口を開いた。
「おっかしいわねぇ……」
「!?」
由忠は我が耳を疑った。
出会った女の声は忘れない。
ある意味驚異的な記憶力と褒めることも出来るが、とにかく由忠は、その女の声を以前に聞いたことがある。
殺人犯に暗殺者にヤクザのイロまで、いろんな犯罪を犯した女に出会ってきた由忠だけに、その量はあまりに膨大過ぎた。
おかげで由忠は、その声の持ち主が誰だか思い出せない。
(トシってわけでもないといいたいが……)
心のどこかで、そうだ。と認めざるを得ない。
一方、問題の声の持ち主は、
「ったく、どこに隠してるのよぉ」
机の引き出しを漁り始めた。
由忠はそっとその背後に立つ。
こそ泥はそれでもなお、由忠の気配に気づかない。
悠々と鍵あけに挑戦し、そして成功した。
「ったく、こんな鍵ちょろいわよねぇ〜♪」
パカンッ!!
「痛っ!?」
由忠の拳がこそ泥の後頭部を直撃した。
「な、何!?―――えっ!?」
後頭部をさすりながら振り返ったこそ泥は、そこに立つ由忠の姿を認め、慌てて態勢を整えた。
「こ、この私の後ろをとるとは……やるわね」
「何とでもいえ。このこそ泥」
「あれ?」
女も、由忠の顔に覚えがあるらしい。
「あんた……どこかで」
じっ。と由忠の顔を見た女の顔が、途端に険しくなる。
「あっ、あんた!」
どうやら、相手が思いだした。
そう思った由忠は、随分わざとらしい声で言った。
「おや、どこかでお目にかかったお顔が。どなたでしたかな?」
「以前、あなたにお世話になった女です……そういわれたいの?」
言われた方は、絶対に思い出したくない過去と直面させられたという顔でそう答え、その言葉で由忠は相手を思いだした。
「はて?こんないい女をお世話した覚えはございませんが?」
「ございませんが!?この薄情者!」
「冗談だ。―――こんな所で何をしてる?」
「ビジネスよ。あんたこそ何してんのよ、こんなところで」
「お前の夢を見ていた」
「……嘘くさ。最低」
「最低で結構毛だらけだ」
「猫灰だらけ。それにつけてははいさようなら」
クルッ。
踵を返して室内から出ようとするこそ泥の肩を掴んだのは由忠だ。
「もう一度聞く。忍が何をしているんだ?由衣」
「……呼び捨てにしないで」
不愉快そうな声で掴まれた肩を睨み付けるのは、由衣。
瀬戸由衣。
倉橋忍軍頭領の娘だった。