第三話 「組織」
由忠がいつ寝たのかはよくわからない。
ただ、目が覚めると、子供達が不思議そうな顔をして由忠の顔をのぞき込んでいた。
「おじさん、どうしたの?」
「なんで床で寝ているの?」
なんだかバツの悪いものを感じる。
「……いろいろあってな」
「ニホンジンって、床で寝るって本当なの?」
「ほう?物知りだな」
起きあがった由忠が二人の頭を撫でてやる。
「へーっ!」
「そうなんだぁ!」
子供達は無邪気に笑うが、
何のことはない。
由忠が床で寝ている理由、それは、昨日「川の字になって寝るか」といったら、イーリスから「一本多いです」と答えられ、そして床で寝ろといわれたのだ。
「まさか女に床で寝ろと?」
その勝ち誇った目に追われるように、由忠は床に寝転がった。
そういうわけだ。
「あれ?おじさん」
それに気づいたのはエリスが先だ。
「このお人形、何?」
エリスがつつくのは、机に置かれた由忠の携帯電話のストラップについた、タスキがけの豆腐のバケモノのような2体の人形。
由忠が桜田門の愛人からもらったものだ。
「ああ。これか?これは日本の警察のマスコットキャラ“タイホくん”だ」
「“タイホくん”?」
エマが興味深そうにのぞき込む。
「どういう意味?」
「逮捕の意味だ。まぁ、警察だからな」
「ふぅん。どんな子なの?」
「日本で一番逮捕が上手い。好きな言葉は“天下り”“裏金”“迷宮入り”、キライなのは“謝罪”“弁明”“人権”」
「こら」
由忠の脳天へ垂直チョップを喰らわしたのはイーリスだ。
「黙って聞いていれば何を嘘八百」
「違うの?」
「違う。これは“パーポくん”だ」
「やっぱり、大人は間違えるんだねぇ」
うん。と二人は驚きの顔で頷きあった。
「イーリス……」
「自業自得です。大体、なんですかその“タイホくん”って」
「一般公募の最後まで残った中の一つだそうだ。俺は“フショウジくん”で送ってみたが落選した」
「当たり前でしょう?そんな名前はむしろ近衛の方がお似合いです」
「おじさん!」
二人が携帯を持ちながら由忠に言った。
「これ頂戴?」
「ストラップか?まぁ、いいだろう」
由忠は、携帯からストラップを外すと、二人に手渡した。
「大切にしろよ?」
「はぁい!」
「ありがとう、おじさん!」
「おやおや。娘に喜ばれた御父様は顔がにやけております」
イーリスが茶化す。
「御父様?」子供達がその言葉にきょとんとした顔をする。
「そうだ」
イーリスが真顔で言った。
「これから我々は家族として行動する。頼りないだろうが、この人が君たちの父親。ヨシタダ・ハヅキ」
「―――で、この瞬間湯沸かし器なお方が、イデッ!!」
由忠の後頭部にイーリスの蹴りが見事に決まった。
「私はアナスタシア・ハヅキ。夫婦だ。お前等も姓はハヅキ、ラムリアース帝国出身の私と日本人の夫の元に生まれた娘達だ。従って日本人だと名乗れ」
「お姉さま。どう思う?」
「きっとうそっこだよ。でも、私達もうそっこの親子なんだから、いいよね?」
「じゃ、御父様と御母様」
「そう。御母様が怒ったら、大声で“じどうぎゃくたい”って呪文を唱えればいいのよね?そしたら警察がきてくれるんでしょう?」
「そう!」
「じゃ、問題ないわよね」
「ねーっ♪」
「……」
この二人の母親役をこなす自信を一瞬にして喪失したイーリスは、呆然としながら二人の娘を見つめるだけだった。
朝食後、二人の服を買いに出たイーリスが戻ってきた。
「サイズがわからない」という理由で、結局、イーリスは昼食を兼ねて二人と共に買い物に出かけることにした。
確かに、由忠の目から見ても二人の服はダブダブだった。
「目立たないようにな。いいか?3時間後にレストランで落ち合うんだ」
「はい。それと、この子達のパスポートは?」
「写真を確保しろ。大使館に手を回して、写真を貼り付ければいいように手配してある。今日の夕方までには到着する。それまでモメゴトになるな」
「了解」
ホテルを出た由忠は、その足で大使館に近衛の事務官を訪ね、手配の確認を行うと共に、近衛から届いた命令書に目を通した。
命令書を読む限り、事態は思ったより厄介な様相を呈していた。
「君」
お茶を持ってきた事務官に由忠は尋ねた。
「あっ。自分は岡田義男一等事務官であります」
「岡田事務官。この内容は承知しているか?」
「いえ。自分が受けた命令は、閣下達のルーマニアにおける行動の支援のみです」
「ふむ……それで?魔導師達のアパートへはどうやって?」
「地図を用意いたします」
「同行してくれないのか?」
「申し訳ございません。パスポートその他の手配が手間取っておりまして。あっ、でも、ご命令通り、本日夕方までには」
「そうか……頼むぞ」
「いいか?」
イーリスは、帽子を目深に被らせた二人にきつい口調で言う。
「これはすごく危険なことだ」
「うん」
「はぁい」
「ここで、あいつらにみつかったらどういうことになるか」
「あっ!ソフトクリーム!」
「ホットドッグがいい!」
二人は勝手に明後日の方角へ走り出していく。
その姿を呆然として見つめながら、イーリスは拳を振るわせた。
「こ、この―――」
1分後。
「自分達の立場がわかっているのか!?」
耳を掴んで引っ張られていく二人。
「痛いよぉ!」
「わーんっ!」
だが、誰からも文句はこない。
どう見ても若い母親が娘を叱っているようにしかみえないのだ。
「エマ、エリス!言うこと聞かないなら、あの連中に突き出すぞ!?」
「やだぁ!」(×2)
二人は泣きべそかきながらイーリスに謝る。
「もうしません!約束守ります!」
「なら少しは大人しく―――」
「?」
イーリス達の前に立ちふさがったのは、まさに“あの連中”だった。
「よぉ姉ちゃん」
イーリス達を取り囲むように立ちはだかるのは、昨夜見たあの連中のお仲間と見て間違いないだろう。
「……なんだ」
「そいつらに用があるんだよ。どいてくんな」
労働者風のひげ面がドスの効いた声でイーリスに言った。
子供達はすぐにイーリスの背後に回った。
「娘に用だと?」
「娘?……へっ!こいつらのお袋はとうの昔に殺されちまったよ。下手なお情けは命取りだぜ?」
「下手な因縁つけるな。ペドか?」
「おおよペドもペド!金になる子供は大好きときてらぁ」
「そのペドが何と言った?この子の母親は殺されただと?」
「そうよ。こいつらは知らねえだろうがなぁ」
「子供の前でほざくな。教育上悪い」
「何ぃ?」
「―――話を聞こう。人目につかないところはないか?」
「へっ。ここでもいいんだぜ?警察も住民も、俺達に関わろうなんてバカな考えはもってねぇ」
「いい街だ」
「だろう?」
「だが、私は露出狂の趣味はないのだ」
「―――へっ!そういうことかい。いいぜ?ついてきな」
品のない笑い声に囲まれながら、イーリス達は歩き出した。
「ここか」
地図片手にようやく見つけた古ぼけたアパートの一室。
ヨーロッパは建物が古くても中身が最新鋭ということもザラにあるため、由忠も外見だけで中身を判断できない。
ブーッ
ルームナンバーを確かめ、呼び鈴を鳴らすが、反応がない。
腕時計で確かめたが、接触予定時間だ。
ブーッ
ブーッ
何度、呼び鈴を鳴らしても反応がない。
「……」
由忠は、手袋を確かめるとドアノブに手をかけた。
カチャ
鍵は、かかっていない。
近衛の関係者がありえない不用心さだ。
「これは?……まさか」
霊刃を抜き、あたりを確かめた由忠はアパートの中へと忍び込んだ。
「―――で?」
イーリス達が連れ込まれたのは、崩壊寸前のボロアパートの空き部屋。
恐らく、ここでさらってきた女をなぶり者にするなり、殺しをするなりしていたのだろう。
女が体を代償に命乞いをすると思った男達は、その床に倒れ伏していた。
息のある者はほとんどいない。
今、イーリスが机の上で押さえつけているのは、先程の男だ。
「た……助けてくれ……俺は命じられただけなんだ」
「よくあるセリフだ」
ベキッ
「ぎっ!」
奇妙な音がして、男が悲鳴を上げた。
「質問に答えろ。そうすれば楽にしてやる」
「わ、わかったよ……ゆ、指を折らないでくれ」
「安心しろ。次はもっと凄まじいぞ?」
「わかった!わかったよ!」
「では聞く。まず、誰に頼まれた?」
「ほう?似合うな」
はにかむ二人の子供達へ由忠はそう言った。
「えへへっ」
「似合う?」
フリルふりふりリボンゴテゴテのドレスに身を包む子供達はうれしそうにくるりと回ってみせる。
「ああ。かわいいぞ」
由忠は目を細めて頷いた。
「さ、ご飯にしよう」
「はぁい!」(×2)
「しかしイーリス」
「は?」
「こんな趣味があるとはな」
「私の趣味ではありません」
イーリスは憮然として言った。
「シンプルな服を探していたのですが、この子達はこっちの方がいいとかなんとか」
「成る程?」
「私が子供自分、こんな服なんて見たことすらありませんでした」
「ま、時代だな」
「まるで人形です」
「二人は気に入ったんだろう?」
「見ての通りです」
テーブルに並べられた食事をおいしそうに食べる二人。
「こら!」
「あっ。御母様ごめんなさい」
「お祈りお祈り」
「そうだ」
「ふん。イーリスも母親が板についてきたな」
「先程、男共に囲まれました」
「もう来たか。どうした」
「この子達は気絶させた上です。問題はありませんが、これはとんでもないことになりそうです」
「ん?」
「詳細はまたホテルで。ただ、この子達を狙っている組織だけでも。“血姫”です」
「血姫?知っているのか?」
「オカルト組織、または魔法研究組織とでもいいましょうか。魔法技術で肉体改造を行うことに関しては裏世界でもトップクラスの組織。東欧を代表する犯罪組織とも言えます」
「肉体改造……裏でそうなら表でもそうだろう。非合法か?」
「魔法での肉体改造は全て非合法でしょう。軍事、暗殺、様々な組織が、彼らの産み出した“製品”もしくは“研究成果”を買い求めます。また、彼らもそれを使って敵対するあらゆるモノを排除、または傘下に……なにより」
「何より?」
「噂ですが、トップを始め、幹部は吸血鬼と」
「出来過ぎだ」
「そう思いたいのですが、経験上、むしろ噂を信じます。薬物、洗脳、そして魔法。あらゆる方法で吸血鬼化させているのではないでしょうか。となると、この子達も」
「間違いなく、そういうことだな。子供の方が柔軟性があるから改造には適している」
「……それと、この子達の母親の名前だけはわかりました」
「ほう?」
「エリーナ・イオネスコというそうです。この人物については近衛を通じて調べさせ」
「待て」
由忠はイーリスを制した。
「それは、まだ調べなくていい。いや、こっちで調べよう」
「閣下?」
「……」
イーリスは怪訝そうな顔で由忠を見た。
由忠の顔は何かを思い詰めている。その名を知っていることは明らかだ。
「コホン。それより」
由忠は咳払いをしてから話題を変えた。
「こっちもまずいことになった」
「まずいこと?」
「魔導師が殺された」