第二話 「嘘と間違い」
「お、お客様?」
ホテルのフロントが奇妙な声を上げた。
「そ、その……お連れ様で?」
「ああ。娘だ」
由忠はそういうが、フロントが驚くのも無理はない。
由忠とイーリスは、コートにくるまった子供達を抱きかかえたまま、堂々とフロントでチェックインしようとしているのだ。
「お、お子さま……ですか?」
フロントはあからさまに不審顔だ。
子供だといっても、コートにくるまる子供達がハダカに近い姿なことは一目でわかる以上、フロントをこのまま放っておいたら、即座に警察へ通報するだろう。
「問題ありません」
フロントにそう告げたのはイーリスだ。
「私の娘です」
「あ、奥様?」
「そこで遊んでいて、川に落ちたの。何を疑いになっているの?さっさと部屋の鍵を頂戴。この子達を着替えさせてお風呂に入れてあげたいのよ」
「はっ……」
「子供が風邪でもひいたら、ホテルとしてどう責任とってくれるの!?」
凄まじいまでのイーリスの気迫に押される形で、フロントは、蒼白な顔で何度も頷きながら言った。
「わ、わかりました。……鍵はこちらです。ようこそシギショアラ・ワグナーへ」
震える手で差し出された鍵を無言で受け取ったイーリスは、そのままカウンターを離れようとして、ふと足を止めた。
「あなた?」
振り向くと、由忠と、由忠の抱えている子供が抱き合って震えていた。
「どういう意味ですか、それ!?」
「こ、怖かったよぉ〜っ!!」
抱き合いながら泣き出す女の子達を前に、由忠はぼやく。
「子供があんな連中に追われたんだから無理も―――」
「このオバさん怖いよぉ!」
「オバ!?」
カバンから服を取り出していたイーリスは、その言葉に過敏なまでに反応した。
「こ、このクソガキ。今、なんて?」
髪が逆立ち、放たれる殺気だけで室内が氷点下まで下がる。
「やめろイーリス!」
由忠が肩を掴むが、イーリスは子供達を絞め殺さんばかりの形相だ。
「その顔で何を言っても説得力がない」
「し、しかし……わたしはまだ30にもなっていない処女で」
「子供達からみれば、10代も20代も、みんなはるか年上だ。子育て経験があればわかることだ」
「私のプライドはズタズタになりました」
「子育ての上で、誰もが味わうことだ」
「……おい」
もう泣き顔で抱き合う子供達を前に、イーリスはドスの効いた声で言った。
「私のことは“お姉さま”と呼べ―――いいな?」
子供達は泣きべそをかきながら懸命に首をタテに振る。
「とにかくだ」
由忠が銃弾がかすった子供の腕をつかみ、治癒魔法をかける。
「……」
「……」
二人の目が驚きに見開かれた。
「魔法は初めてか?」
「えっ?」
二人は、顔を見合わせから激しく頷いた。
「そっ、そう!そうなの!」
「は、初めて!」
「ふん?そうか。まず風呂、次は飯だ。ルームサービス頼む間に、イーリス。二人を風呂にいれろ」
「……了解です。ついてこい」
「イーリス」
由忠の声が少しだけいらついた色を含む。
「子供に慣れておけ。いつ他の任務で相手にするかわからないんだぞ?」
「っ……」
「言葉は上手く使え」
「わ、わかりました……おい……じゃない。とにかく!」
イーリスはどもりながら言った。
「ふ、風呂に入ろう。何もしない」
「……」
「……」
子供達は不安そうに互いの顔とイーリスの顔を見比べる。
「……(怒)」
イーリスの額に青筋が立つ。
「二人とも」
ふわっ。という感じで子供達の頭に手をやるのは由忠だ。
「見た目は怖いお姉さんだが、いい子には悪さはしない―――君達なら大丈夫だ」
キャー
キャー
「こらっ!きちんと髪を洗え!体が冷えるからきちんと湯につかれ!」
バスタブは大騒動。
それが、由忠がルームサービスと二人の追加宿泊をフロントに依頼した時の室内の様子だ。
明るい声が上がっている以上、どうやら子供達の緊張は解けたようだ。
うん。
いくら何でもハダカのつきあいで暴力を恐れはしないだろうという読みは当たったようだ。
由忠の頬が緩む。
―――が、
「人の下着で遊ぶんじゃないっ!」
(む)
由忠は、一つ、重要なことを忘れていた。
そう。
イーリスも風呂に入っているのだ。
考えてみれば、イーリスとはあの晩、とんだ御邪魔が入らなかったらきっとキメていたのに。
(今夜こそ挽回してやる)
その前に……。
由忠は、床を這うのかと思うほど態勢を低く、気配を消しながら、そっとバスに近づく。
ドアの向こう。
そこにはあの晩、お預けをくらったイーリスのあの(自主規制)な肢体が―――。
ゴクッ。
唾を飲み込む音がやけに高い。
料理は五感で楽しむものだ。
ならば、まずは目で楽しませてもらおう。
由忠はそう思った。
ドアの向こうではドタバタ音がしている。
このままなら、ドアを開けた音は気づかれないはずだ。
よし―――
由忠がドアノブに手をかけた途端、
ガチャッ!
ガンッ!
由忠の瞼の裏で星が飛んだ。
「あれ?おじさん、どうしたの?」
子供達がドアの向こうできょとんとしていた。
「い、いや、通り過ぎようとして」
「ふうん?大丈夫?」
「な、なんとかな」
額をさすりながら由忠はすごすご部屋の奥へと戻った。
「いただきまぁす!」
「ほらっ!ちゃんとお祈りしてからだ!」
「はぁい!」
口は厳しいが、イーリスはなかなか、
(保母でもやらせれば上手くいくのではないか)
と思った。
風呂からあげ、自分のブラウスを寝間着代わりに着せつけたのはイーリスだ。
もうその軍隊口調にも慣れたのだろう子供達も、怒られてもおびえることはない。
ただ、イーリスの指示に従うだけだ。
よほど腹が減っていたのだろう。
遮二無二に食べることに熱中している。
「お腹、すいていたのか?」
「うんっ!」
口の中一杯に頬張りながら、子供達が微笑んで頷く。
「最後にご飯を食べたのは?」
「うんっと……一昨日の朝」
「そんなにか?」
思わず、由忠とイーリスが顔を見合わせた。
「うん……モグモグ……一昨日の昼にリリアがね?」
「うん」
「どこかに移動になるって時に暴れちゃって。それで私達、ご飯抜きになったの。それっきり」
「移動?君達はどこにいたんだ?」
「孤児院よ」
「逃げ出したのか?」
イーリスがナプキンで子供達の顔についたソースをぬぐう。
「……あんなの、孤児院じゃないもん」
子供達の顔が、一瞬、曇った。
「子供を売り飛ばしたり、気に入らなければ殺したりするの。そんなの孤児院じゃないでしょう?」
「……売られたのか?」
「そう、だと思う。ううん。そうよ。絶対」
由忠もイーリスも愕然として二人を見た。
二人共、子供の人身売買組織の存在はさすがに知っていた。
だが、その被害者に会うのはさすがに初めてだ。
まさか、本当にいるとは思わなかった。
「住んでいたのは、この近くか?」
「ううん。一日、トラックに乗せられていた。停まっている時間も長かったけど、どれくらい走ったかわかんない。私達も、どこかへ移されるはずだったのよ。あっ、一緒にいたのは私達とあと二人よ」
一人の子と重なるように、もう一人の子が言った。
「二人とも、殺されたと思うの。事故でトラックが倒れた時、ラクスはもう動かなかった。ヴィオリカは途中ではぐれちゃって、その後鉄砲の音がしたから」
「……そうか」
由忠は、深いため息と共に、腹の中に生まれた不快な感情をはき出した。
「閣下。警察へ」
イーリスは怒りをあらわにした目で由忠に言うが、
「いや、逆に危ない」
由忠はそれを止めた。
「しかし!」
「市街地で発砲があっても、警察が動いていない」
「……」
そういえばそうだ。
パトカーのサイレンの音一つしない。
何故だ?
拳銃の発射音は何度も聞いた。
死体は転がしたままだ。
それで何故、騒ぎが起きない?
「人身売買の組織と、警察が、何かつながっていると見ていいだろう。この子達が逃げ出したことを表沙汰にしたくないということだ」
「では、我々も」
「ああ。下手に動けば俺達もこの国から生きては出られない。対処は急いだ方がよさそうだな―――どうした?」
「あ、あの……」
「その……」
子供達は、食事の手を止め、テーブルに視線を落としていた。
「私達、どうなるの?」
「保護してやる。心配するな」
由忠はあっさりとそう言う。
「でも」
「信じられないのか?」
「……うん」
「どうして?君たちを追いかけてきた連中は撃退したし、ここでこうしてご飯を食べさせている。それでもかい?」
二人は、無言で頷いた。
「こら」
イーリスがそれを咎めた。
「日本には一宿一飯の恩義という言葉があってだな」
「……ワケを聞こう。それで君たちをどうするか決める。おや、その前に」
ポンッ
由忠は、軽く手を打った。
それだけで、二人がビクッと体をすくませた。
「名前、なんていったっけ?」
「……」
それこそ聞かれたくない。
その時の二人の顔は、そんな顔だった。
「せめて名前くらいはいいだろう?」
「……」
「……」
結局、二人はエマ・リンカルとエリス・リンカルと名乗った。
よく似ているとは思ったが、双子なのだという。
ショートカットの子が長女のエマ。ロングヘアーの子が妹のエリス。
白い肌に青い瞳、そして綺麗なブロンドをした可愛らしい、天使のような子供達。
だが、そう語るべき子供達の口から出てきたのは、天使のそれからかけ離れていた。
3つの時、革命によって両親は死亡し、祖父に育てられた。
その祖父が死に、二人は孤児院に送られた。
そこは教会が経営する孤児院。
二人とも、ここなら暮らせると信じたのだが……。
その孤児院がくせ者だった。
表の慈悲深い顔とは裏腹に、人身売買のブローカーと通じており、預かった孤児をブローカーへ密かに売り飛ばしていたのだ。
ここ数年、人身売買が問題になる時、国際的人権団体や国連人権委員会から常に名指しで非難される国、ルーマニア王国―――。
革命以降の混乱の中で増える孤児達を商品にする組織が闇で暗躍する国。
そして売り飛ばされた子供は、臓器移植のドナー、研究機関の実験台、性的遊具、一言でまとめれば、道具として扱われ、そして殺される。
この子達も、そうやって孤児院から売り飛ばされたのだ。
「そうか……」
由忠はワインがぬるくなるのも構わず、二人の子供を見つめた。
「安全は保証しよう。」
「……本当?」
「騎士の剣にかけて―――それにしても、随分、信じられていないんだな」
「……ごめんなさい」
「そうだ」
イーリスは、胸元からロザリオを取り出して子供達に言った。
「私はこれでもシスターだ。神に仕える身だから」
「……優しい言葉をかけてくれたのに、私を売り飛ばしたのも、シスターだよ?」
「―――っ」
「ねぇ、おじさん。お姉さん」
子供達は目の前の大人達に問いかけた。
「どうして大人はウソをつくの?」
「そ……それは違う」
少しの沈黙の後、そう言ったのは由忠だ。
「大人はウソつきなんかじゃない。色んな事を知った分だけ間違いやすくなっているだけだ。つまり、何も知らない子供より、ずっと間違いやすくなっているんだ」
「ウソをつくんじゃなくて、間違っているの?」
「そう。自分が正しいと思ってやってるだけ。でも、それは間違っていることだってあるんだ」
「正しいことが……間違っているの?」
「そういうこともある」
「ふぅん……?」
納得出来ていない様子の二人に、イーリスが言った。
「では、ここにいて、私達がウソをつくのか、間違っているのか、確かめてはどうだ?それくらいの時間はあるだろう?」
二人は、互いの顔を見合わせてから、小さく頷いた。
その夜、
ベッドでは二人が寝息を立てている。
その顔を見ながら、由忠とイーリスは、備え付けの小さな椅子に座り、グラスを重ねていた。
二人とも、無言のままだ。
由忠といえど、とてもではないが、この子供達を前に、妙な気は起こせない。
(よっぽど俺とイーリスは、肉体的な縁が薄いらしい)
由忠は、何となく、自分がかなめ以外の女連れでも何も言われなかった理由がわかった気がした。
「俺は」
何杯目かの後、ようやく由忠は口を開いた。
「俺はいろいろ悪事は働いたが……奴隷商人だけはやらなかった」
「女衒に近い存在かと思っていました」
「酷いな」
「近衛の男共には“武勇伝”なんて言われてるそうですけど……奥様がよく離婚を求めてこないものです。かなめ殿も、仕事以外であなたを信じていません。散々警告を聞かされました」
「かなめのヤツ。上官と師匠に対して」
「経験こそが最高の師匠です。他の近衛、宮内省の女性職員、恐らく全員、奥様に同情してますよ?きっと」
「夫婦だからな」
「意味がわかりません」
イーリスはグラスを飲み干してから、
「立派な背信行為じゃないですか」
「妻への?そんなバカな」
「神に対する、です」
やや酒が入ったのだろう、イーリスは少しろれつの怪しくなった口調で言った。
「結婚を神の前で誓ったのでしょう?私の伴侶はこの人だけだと。それなのに、あーっ!もうっ!男と女の貞操を神がきっちりと固めてくだされば、世界はもっと平和になるのです!」
「神は子孫繁栄のため、枷を外してくれたのさ」
「……閣下の暴れ馬くらいは、はめておくべきです」
「馬……フッ。褒めるな」
「徹底的に貶してますっ!」
「声が大きいぞ。子供が起きる」
「すみません」
「だがな?考えて見ろイーリス」
由忠は、イーリスのグラスに酒を注ぎながら言った。
「制約は時には重い。それを忘れさせてくれるものがあってもいいだろう」
「例えば?」
「こう……横をすれ違ういい女。ああ。あの胸。もみまくったらさぞ気持ちがいいだろう。あの引き締まったウエストとたっぷりのヒップ……ヤったらさぞ具合がいいだろうとか、そう想像するのが」
「犯罪です!」
イーリスは上官である由忠の口に指を突っ込んで引っ張った。
「なんて想像してるんですか?水瀬が可哀想です」
「む、息子なんか知るか」
由忠はなんとか口からイーリスの指を外した。
「あんな愚物。あの始末書量産装置のとばっちりで、俺が今年だけで何枚始末書書いて、何度減俸にされたかわかるか?このままだと年金に関わる」
「それでも、水瀬は、ご子息は閣下を尊敬しています。口ではいろいろいいますけど、親を大切に思っているんですよ?」
「……ふん」
由忠は、そっぽを向くなり、自分のグラスに酒を注いだ。
「そう照れないでください」
「誰がだ」
そう言って傾けるグラスの回数が不自然に多い。
向こうも不器用だが、それ以上にこの人は不器用だ。
イーリスは吹き出しそうになりながら、それでもマジメな顔で言った。
「その尊敬する大切な父上があっちで女を作って、こっちでモメてなんて職場で聞かされる水瀬の立場も」
「俺のオヤジはもっとハデだったぞ?」
「それを嫌いませんでした?」
「いや?絶対あれを越えてやろう。オヤジより一人でも多くのオンナをモノにと―――どうした?」
「なんでもありません。ちょっと頭痛がしただけです」
「そうか?とにかく、色の道は水瀬家の男の伝統だ。それが出来なければあいつは俺の子ではない」
「あれは無理でしょう」
「いや?」
由忠はあっさりと答えた。
「あいつは14で女を孕ませた。俺もあそこまではやらなかった。うん。あいつはそれだけは俺を越えた」
「そんなうれしそうな顔しないでください!普通、親なら青くなる所です!」
「だから声が大きい……何。そうやって大人になるのだ」
「で?そのお孫さんは?」
「流産した。……そうしておいてくれ」
「ひっかかりますね」
「俺はあいつとは違う。あいつは一人の女で満足するタイプだが、俺は恋愛という海を泳ぐ回遊魚だ。常に前進してないと死んでしまう」
「回遊魚が何故伴侶を?」
「あれは網だ。遥香という網にひっかかったわけだ」
「自ら望んで網にかかったのです。それ以上は大人しくしていてくださいな―――奥様ならきっとそう言うでしょうね」
「網を網と思わず世界をまたにかけるさ―――それに、亭主をサケと例えるなら「外の女」とは母なる川のようなものだ。世界の根本にかかわる真理だぞ?だから、あいつもわかってくれるさ」
「刺されてから後悔しないでくださいね?」
「刺される程度ならまだ加減してくれたってことだな」
「……話題を変えます」
「つまらんな」
「こっちは発狂しそうです。―――あの子達、どうするんです?」
「エリスと、エマか?」
「エマとエリスです」
「え?こっちのショートカットがエリスじゃないのか?」
「違いますよ。エマです」
「……」
じっと二人を見つめた由忠が真顔でイーリスに訊ねた。
「どうしてわかるんだ?」
あきれ顔のイーリスは即答した。
「どうしてわからないのですか?」
「まぁ―――いい」
「明日の朝までに覚えてくださいね?可哀想です」
「善処しよう。明日、近衛にこいつらのパスポートを作らせる」
「パスポート?」
「そうだ。日本国籍、その他、この子達が日本人として保護の権利を受けるためのあらゆるデータを偽造させる。明日以降、恐らく警察も動くぞ」
「保護すると?」
「ああ。少し、気になることがあるのでな」
「この子達が?」
「この子達を追う組織、そしてリンカル。その名が……気になる」
由忠は、グラスを机に置くと、黙って子供達の寝顔を見つめ続けた。