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第一話 遭遇

 その仕事は、簡単だと、誰もがそう思っていた。

 都内の某ホテルで行われていた非合法品のオークション会場。

 参加者は上に超が3つくらいつくような連中。

 テロリストが参加者を人質に立て籠もって、警察と銃撃戦になったのは、どうでもいいことなのだ。

 近衛には関係のないこと。

 ところが、このオークションにかけられるはずだった品の中の中に、妖魔がいた。

 騒ぎの中、この妖魔が暴れ出したとなっては警察も手に負えず、近衛に退治を依頼してきた。

 近衛から派遣されたのは、偶然、司令部にいたイーリスと、ある失態を樟葉にこってり叱られていた水瀬。

 戦力としては、投入するのがもったいないほどだ。

 だから、任務はあっさり終了する。

 誰もがそう考えていたとしても、非難出来るはずもない。


 「水瀬!行ったぞ!」

 イーリスが無線機に怒鳴る。

 二人が決めた手順は、イーリスがホテルの通路を逃げる妖魔をオークション会場へ誘導し、会場では水瀬が待ちかまえるという単純なもの。

 すでに参加者とテロリストは妖魔に追われて警察の世話になっている。

 会場はからっぽ。

 「了解」

 隅っこにおいてあった目の飛び出そうな値段の高級酒を始め、オークションにかけられるはずだった品の中からめぼしいものを盗み出していた水瀬が無線機に答える。

 敵は「ゴースト・キャット」と呼ばれる猫型の妖魔。

 普段は普通の猫のような愛らしい姿をしているが、いざとなると牛ほどもある巨大な幽霊となって人を襲う。

 この幽霊に触れられただけで人は動けなくなり、魂を吸い取られるという厄介な代物だ。

 当然、銃弾や刀剣といった物理的な攻撃は一切通じない。

 だから、水瀬達魔法騎士が派遣されたのだ。

 グウォォォォッ!!

 通路の向こうから背筋が寒くなるような雄叫びが聞こえる。

 敵は近い。

 会場内は結界の展開準備は終了している。

 後は、敵を室内に誘導し、ドアを閉じてからゆっくり料理するだけ。

 それだけだ。


 水瀬は通路側ドアの脇に潜み、敵の登場を待つ。


 (来た)

 妖魔の気配。

 間違いない。

 

 風が流れ、室内に敵が入り込む。

 黒い、巨大な猫の幽霊が広い会場の端まで走り、そこにあったテーブルや椅子を蹴散らして停まる。

 「水瀬」

 イーリスの入室を確かめた水瀬は、そのままドアを閉めた。

 これで封印が成立。

 敵は室内から逃げ出すことは出来ない。

 妖魔は、室内をうろついた後、会場の参加者が放り出していったらしい品々が散乱する会場の真ん中に伏せた。


 「じゃ、イーリスさん」

 水瀬が霊刃を抜きながら言った。

 「心臓を正確に、一撃で」

 「任せろといいたいが……」

 「?」

 イーリスが躊躇する理由が、水瀬にはわからない。

 「どうしたの?」

 「あの腹の下、あれは何だ?」

 「遺棄されたモノ?」

 「そう願おうか」

 イーリスは慎重に的を絞ると、ナイフと共に妖魔へ襲いかかった。


 弾丸より速い神速の一撃。


 妖魔がそれを避けることは出来なかった。



 「司令部へ。敵は始末したが……」

 血を流して倒れる妖魔の死骸を一瞥したイーリスが無線機へ告げた。

 「爆発物処理班を急行させてくれ」

 「爆発物?」

 水瀬が不思議そうな声をあげた。

 「見ろ」

 イーリスが指さした先、そこにあったのはアタッシュケースの残骸。

 どうやら、ケースを開いた状態で放置されていたらしい。

 「あれ?」

 ケースの中は複雑な電子配線や四角い箱が入っている。

 「これ、まさか―――爆弾?」

 「テロリストが用意していたんだろうな」

 「なんか、カウンターが動いているけど」

 それに気づいたのは、水瀬が最初。

 カウンターの目盛りは50を切っていた。

 「逃げよう」という水瀬だが、

 「このままではオークション会場の証拠がなくなるぞ?」

 イーリスは止めた。

 「でもこれ、もう動かせないから窓から放り出すワケにも」

 水瀬が爆弾の上を走る配線を調べながらそう呟く。

 配線は6本。5本はダミーだろう。

 「よく知っているな」

 「座学で習った。見ればわかる。これ、振動でもドカンといく古いヤツだよ。だけど大きいなぁ」

 「ならきっとアメリカ製だな」

 「そんなに作りが雑とも思えないよ?」

 「これで回収騒ぎがおきてりゃ日本製だが……」

 「爆弾に回収騒ぎって……でもね?大きいけどセンサーとかずいぶん精密にできてると思う。結構な独自性もあるし」

 「精密で独自性か。じゃ違うな…台湾、それともインド製?」

 「どっちにしても中国製じゃないと思う」

 「うむ」

 「えっと、コードは6本でうち1本が――」

 「考えたって判らんだろ。右切れ、右。ちょっと考えたら6分の1が0になるだけだ」

 「そうだね。間違ってても一瞬だもん」

 「そうだ」

 「じゃ、切るね?」

 水瀬が最も右にある配線にポケットから取り出したナイフの刃を当てた。

 「せぇの―――へ?」

 水瀬が指に力をこめたその瞬間、イーリスの姿が消えた。

 通路の奥、全力疾走で逃げていく影は―――。

 「い、イーリスさん?」

 立ち上がって姿を探そうとした水瀬はナイフに力が入ったことに気づかず、

 プチッ。

 一本の配線が切れた。

 そして―――



 翌日早朝のニュースより

 『昨日未明、都内○○ホテルで発生した爆発は、テロリストが用意していた爆発物が爆発したものとみられ』



 新東京国際空港ロビー

 「―――で?」

 「で、とは?」

 「納得できません」

 そう言って目の前の相手を睨むのはイーリスだ。

 「これは懲罰任務でしょう?何故、私だけが?」

 「仕方ないだろう」

 文句を言ったのは由忠だ。

 「あのバカ息子は今停滞期に入った」

 「……ご都合ですね」

 「息子の場合に限って常に最悪のケースを想定しなくてはならん。奴は必ずそのかなり斜め上をいくからな」

 まるで親のセリフとは思えないことをさらっという由忠。

 「で、お父上が代理で?」

 「ん?―――まぁ、似たようなモノだ」

 「わかりました」

 相手は3つも階級が上の上官だ。

 これ以上ゴネても損するだけだ。

 イーリスは敬礼した。

 「同行させていただきます。閣下」

 「よろしく頼む……それと、閣下はやめてくれ」

 「はっ?」

 「スマンが今回、俺達は夫婦だ」

 由忠がイーリスに手渡したのはパスポート。

 近衛が偽造したもの。

 無論、国家権力が発行したものだから、偽造という表現が正しいのかは悩むところだが。

 「……」

 パラッ。

 写真は自分だ。

 サインも。

 だが、

 「アナスタシア・ハヅキ―――それが私の名前ですね?」

 「そう。ラムリアース帝国の首都ライナス出身。貿易商だった両親は5年前に他界。2年前日本へ留学中に俺、つまり、葉月由忠と国際結婚。今は俺の営む不動産会社の秘書を兼ねている」

 「―――了解。それにしても」

 イーリスは怪訝そうな顔で由忠に言った。

 「奥様、よく黙って送り出しましたね」

 「人徳だ」

 「また、何かもめて、今度は日本にいられなくなったとか?」

 イーリスとしては冗談だった。

 だが―――

 由忠は驚愕の表情で、

 「誰から聞いた?」

 「……」





 二人が目指すのは東欧「ルーマニア王国」。

 隣国をラムリアース帝国、ハンガリー王国、そしてアルメキア王国に囲まれる国。

 民主化の名の元就任した宰相シャウクが国王を幽閉し、独裁者としてお定まりのことをした挙げ句、5年前に国王派のしかけたクーデターにより処刑されたことで世界の耳目を集めた国。

 無論、それで平和になったわけではない。

 急激な政治体制の変更は国内経済の混乱を招き、近年の世論調査では、国民の7割が「独裁政権下の方が生活が楽だった」と答え、同国政府を驚かせている。

 また、経済の停滞は失業者の増加を招き、国民の生活は悪化、国民の不満が高まる中で、各地でストライキやデモが頻発し、治安の悪化を引き起こしている。

 デモ参加者の中には、亡き宰相の肖像写真とともに、「宰相、戻ってきてください」といったプラカードを掲げる人も少なくないというのだから、惨殺されるほど嫌われた独裁者が、求められた国王ですら出来ない最低限度の生活を国民に保障していたことは明らかで、これが宰相を死後改めて評価させるという皮肉な展開となっている。

 

 そんな所へ近衛が何の用がある?

 イーリスも、「ルーマニアへ飛んでくれ」といわれた時、内心で首を傾げたのは事実だ。


 「……」

 離陸して数時間。

 モスクワ経由でルーマニアに入る機内でイーリスは横に座る由忠をちらと見た。

 いつの間にか眠っていた。

 パラッ。

 どうにも飛行機に慣れず、眠ることも出来ないイーリスは、バックの中から一冊のファイルを取り出し、ページを開く。

 中に綴じられているのは一枚の写真。

 そこに映し出されているのは、一人の女性。

 特段、美人という程でもないが、十人前の器量。そんな女だ。

 

 イーリスは、この写真を渡された時のことを思い出した。

 「ターゲットはこの女よ」

 写真を渡したのは樟葉だ。

 「そう。ただし、外見に惑わされないで」

 「?」

 「詳細は現地の連絡員からとらせるわ。そっちの方が確実だから」

 「閣下も、ご存じないのですか?」

 「正しく言えば」

 樟葉は少し迷ったように目を泳がせた後、

 「絵としては掴めない。そういうべきね」

 「それほどの人物なのですか?」

 「人物、といえるのか。それすらわからない。時間がたてば、もしかしたらオトコになっているかもしれない」

 「?変装、ですか?」

 「変装……なのかしらね」

 「閣下」

 イーリスは写真を樟葉に戻した。

 「命令は正確にお願いします。そのような曖昧すぎては命令とは認めがたいです」

 「しかたないのよ」

 樟葉は頬をふくらませながら手元のモニターをイーリスの方へ向けた。

 「何しろね?こいつが殺人事件を引き起こした時、50歳の男性、しかも警察官だったのよ」

 モニタには顎の尖った神経質そうな男の顔写真と、犯行現場らしい写真が映し出されている。

 場所は香港になっている。

 「ところがね?この警察官が死体になって発見された」

 画像が変わった。

 同じ香港。今度はいかにもサラリーマンという感じの男の写真。

 「警察官殺しの容疑者が、第一発見者であるこの男。それでね?」

 画像が変わり、映し出される写真は女性。場所も今度はシンガポールになっている。

 「こいつがシンガポールで殺されて、現場で目撃されたこのオンナに容疑がかかった」

 「―――ちょっと待ってください」

 イーリスが樟葉を止めた。

 「連続殺人事件なら、我々近衛の任務とは相容れないものと」

 「私もそう思ったわよ」

 樟葉はマウスから手を離した。

 「ところがね?こいつが日本に来た。で、また殺された。現場は繁華街。目撃者は多数。第一発見者は事件から20日後に他殺体で発見された。……こいつがね?近衛が追っていた魔法薬のバイヤーだったのよ。それがきっかけ」

 「バイヤーが?それこそ警察の」

 「そう。実はこの件については問題があるの。というのは、近衛はこのバイヤーが死んでいたことに、バイヤーが死んだ後、数日間気づかなかったのよ。警察はそこそこ騒いでいたんだけどね」

 「何故、です?」

 「バイヤーを追っていた魔導師の感知する生体追跡(トレース)が生きていたからよ」


 生体追跡(トレース)能力。

 生命体はそれぞれ独自の波長の霊波を発している。この霊波は指紋のようなもので、同一の波長は存在しない。この原理を応用して、その存在の居場所を突き止めるのが生体追跡(トレース)だ。

 だからこそ、イーリスは怪訝な顔をした。

 飛行機でいえば、レーダーに反応があるのに、実は墜落していたといわれたのと同じ、別な見方では、人が死んで、その死後に作られた品に同じ指紋が付着しているのが発見された。

 そう言われているのと同じなのだ。

 あり得た話ではない。


 「何かの間違いでは?」

 「バイヤーが魔法薬で近衛の網に引っかかった時、すでに前の殺人は起きていたことは調べがついている―――ま、わかって当たり前だけどね」

 「バイヤーの霊波が、必ずしもバイヤー本人のものとは限らない、そういうことですか?」

 「そう。やっぱり少佐は打てば響くから助かるわ。あのバカ息子、そこのホワイトボードに一生懸命情報書き込んでようやく理解したといったけど、怪しいものよ」

 「魔族……いや、妖魔だと?」

 「少佐」

 樟葉は椅子の背もたれに体を預けながら言った。

 「こういうことが出来る存在は、一つだけいるのよ。霊体ゴーストって呼んでる」

 「霊体……ですか?」

 「そう。体を持たず、ヤドカリみたいに人様の体を次々と乗っ取っていく。実際、生体追跡(トレース)の結果、見つかったのがバイヤーじゃなくてこの女。反応は同一よ」

 「次々と宿主を変える霊体の存在なんて初耳です」

 「近衛の魔導師くらいでないと知らないことよ。無理もないわ」

 「?近衛は、何か情報を?」

 「同じような事件が、実は25年ほど前、日本で起きているのよ。よかったら調べてみて。“飯田橋連続殺人事件”資料室に行けば報告書あるから」

 「そういたしますが……この日本でそんなことが?」

 「そう。近衛の魔導師数名が殺害され、宮内省所有の呪具がいくつか盗まれた事件の犯人。もう迷宮入りしていたのよ」

 「閣下は、これとその件は、つながっていると?」

 「当時の生体追跡(トレース)した魔導師がまだ現場にいてね。言い張っているのよ。同じだ。あいつがまた来た!ってね」

 「成る程……それで、この女はルーマニアに向かったのですか?」

 「現在の宿主である女性は小西美代子、32歳。ルポライターってことになっているけど、実際はいいトコすねかじりのイモリ(ニート)よ。そんなのがヤドカリだなんて笑うに笑えないわ。当然、こんなクズがお金になる仕事なんて出来るわけないからビジネスの線は消していい。でね?この女に追っ手をかけたのと、タッチの差でモスクワ経由ルーマニア行きの飛行機に乗ったことが確認されている。モスクワで押さえようって外務省経由で網を張ったけど、わかるでしょう?」

 「ロシアの警官はそう優秀ではないので」

 「日本の外務省の役人並み。そういうこと―――他に質問は?」

 「この女の渡航目的や立ち寄りそうな場所は?」

 「ビザは観光。現地に知人はいないし、業者を利用しているワケでもない。親も知らないそうよ。ちなみに言葉も知らないはず」

 「捜査には生体追跡(トレース)能力のある魔導師が必要ですが」

 「現地にすでに派遣して調査に当たってもらっている。それに従って行動して頂戴。何しろ、相手はすでに宿を変えてるかもしれないから―――これで、命令が曖昧な理由がわかったかしら?」

 「はい」



 「ふうっ」

 考えるだけで厄介だ。

 霊体―――。

 恐らく、自分が死んだ時、一番近くにいる者に憑依してその体を乗っ取るんだろう。

 顔写真なんて必ずしも役に立つものではない。

 それだけに、今回の仕事は厄介だ。

 言ってみれば、全ての敵を、他人の目で見てもらって、敵を指示してもらわねばならないし、何より、間違えれば同士討ちや無関係の者達をいくら犠牲にするかわかったものではない。


 (それにしても)

 イーリスはちらりと横にいる由忠を見た。

 (閣下は何故、水瀬の変わりを?)

 単なる親バカ?

 それとは限らないだろう。

 甘いことは甘いが、仕事には厳しい人だ。

 息子が停滞期というのは明らかに口実だ。

 本当なら、「死んでもいいから行って来い!」位は言って、人員を増員させるはずだ。

 それがない。

 だから、イーリスは思わずにはいられないのだ。

 (何か、事情があるに違いない)


 「眠れ」

 突然、由忠から発せられた声に、イーリスはシートの上で軽く飛び跳ねたほど驚かされた。

 「―――何だ?そんなに驚いたか?」

 由忠が目を開いた。

 「てっきり、眠っているものと」

 「添い寝が欲しいか?」

 そっ。と近づく手を払いのけながらイーリスは言った。

 「遥香様から言われています。任務をタテに何かしようとしたら閣下を殺しても良い。殺してからでいいから、とにかく自分に知らせろと」

 「フン……そんな威しを恐れる俺か」

 「こうも言われています。“私が見抜けないと思ったら大間違いですよ?”とも」

 「お休み。良い夢を」

 「はい♪」

 イーリスもシートに体を預けて目を閉じた。





 イーリスはこの飛行機というのがどうもキライだ。

 何しろ時間がかかりすぎる。

 その間がとにかく退屈なのだ。

 何より、奇襲攻撃に弱い。

 いいことなんて何一つない。

 飛行機に乗る位なら、単独で飛んでいったほうがよっぽと楽だ。

 国境線の監視をくぐり抜ける方法はいくらでも知っているし。

 もし、今回の任務が身分を隠した上で行動することが求められないのだったら、イーリスはためらうことなくそうしたろう。

 実際、イーリスは飛行機に乗っている最中、ついに一睡も出来なかった。

 その不快感に健気に耐えたイーリスがルーマニアの土を踏んだ時、すでに空には星が瞬いていた。

 「……」

 久しぶりに見る東欧の星。

 ここから少し飛行すればあの生まれ故郷。

 時間がとれたら、死んだ村人の墓参りにでも行かせてもらおう。

 イーリスはそう考えながら、由忠と共に空港を出て、ホテルを目指して歩く。

 ホテルは市内のそこそこ高級そうな所。

 問題は、車の出入りが制限されているため、大通りから道を一本、少し歩かねばならない程度。

 「革命以降、随分治安も悪化したといわれていますが、この辺は安全ですよ」

 そう言うのは、空港からここまで案内してくれた宮内省の若い事務官だ。

 何でも、外国語研修の名目でここに派遣されているという。

 彼の手には二人のトランクが握られている。

 「そうか?」

 言いつつ、由忠は足を止めた。

 「何か、問題でも?」

 事務官が由忠の顔を見つめるが、由忠はあらぬ方を見つめたまま、身じろぎ一つしない。

 「?」

 事務官も耳を澄ませてみる。

 遠くで、何か悲鳴のような音が聞こえて来る。

 「―――犬、ですかね」

 事務官は言った。

 「ルーマニアは最近、野犬に手を焼いているんですよ。あちこちで人が襲われて」

 遠くで何かが破裂した音がした。

 「……」

 「欧州の動物愛護団体が野犬狩りに抗議するせいでおおっぴらに出来ない。たしか、犠牲者は年間死人だけで数十人に」

 「犬か」

 「そうです、いえ、多分」

 「―――すまんが、ホテルに先に入って、荷物置いたら帰って良いぞ?イーリス」

 「はい」

 由忠とイーリスは、音のする方へと走り出した。

 「あっ、ちょっと閣下!?―――もうっ。これだから騎士ってヤツは」

 ぶつくさいいながら、事務官は荷物をホテルへ運び込みはじめた。




 ハァ……ハァ……

 足が痛い。

 息が出来ないし体がバラバラになりそう。

 でも、捕まったら酷い目にあわされる。

 ううん。

 殺されちゃう。

 黙って部屋を出たヴィオーレはあの夜、見せしめだって、私達の目の前で棍棒で頭を潰されたんだもの。

 一緒に逃げたヴィオリカやマルガリータだってもうどこにいるかわかんない。

 さっきの悲鳴は、どっちかのだろう。

 多分、殺されたんだ。

 でも、私達は殺されたくない。

 死にたくない。

 

 ハァ……ハァ……


 どんなことがあっても、私達は走り続けるんだ。


 「待てこのクソが!」

 バンッ!

 耳元を何かがかすめた。

 多分―――ううん。絶対、鉄砲だ。

 当たったら死んじゃう!

 そんなもの向けないで!

 私達は角を曲がって路地裏に飛び込む。

 ゴミ箱の影に隠れて息を殺す。

 ドカドカドカ!

 激しい靴音がいくつも響いて走り去っていく。

 「探せ!」

 「大事な商品だぞ!?ったく、手間かけやがって!」

 「もう殺すなよ!?捕まえて二度とこんなこと出来ねぇくらい痛めつけろ!」

 「おうっ!」


 ……。

 私達は神様にお祈りしながら彼らがどっかにいっちゃうのを待った。

 お祈りが効いたのかな。靴音は遠ざかっていく。

 やった!

 私達はゴミ箱から出て路地を走る。

 「いたぞ!」

 えっ!?どこかにいっちゃったんじゃないの!?

 「このクソが!」

 バンッ!

 「っ!」

 焼けた火掻き棒を押しつけられたような痛みが右腕に走った。

 でも、私達は逃げるんだ。

 どこへ?

 こいつらのいないどこかへ―――。


 はぁ……はぁ……


 後ろから何人も追いかけて来ている!

 あの角を曲がろう!


 そう思った時だ。


 ボフッ


 私達は誰かにぶつかって転びそうになった。


 でも、なぜか私達は転ばなかった。


 気がつくと、大きな手が、私達を抱き上げていた。


 背の高い、男の人。


 もしかしたら、ううん。絶対、あいつらの仲間だ!


 もうダメだ!


 そう思ったら、その男の人は優しい声で言った。


 「どうしたんだ?こんな下着姿で、風邪ひくぞ?」

 それは、私達が聞いたことがないほど優しい男の人の声。

 大きくて怖いだけのあいつらと違う声。

 もしかしたら、助けてくれるかも。

 そう思ったから、私は叫んだ。


 「助けて!殺されるの!」



 「殺される?」

 男の人は、途端に厳しい目を細めて私達を見つめた。

 でも、私達二人を一緒に抱きかかえるなんて、この人、力強いなぁ。


 「そ、そう!」

 「誰に?」

 「あ、あいつら!」

 私が指さした先、そっちからあいつらが走ってきた。

 「に、逃げて!」

 でも、男の人は逃げない。

 「イーリス」

 私達をそっと石畳の上に降ろすと、後ろにいた女の人を呼んだ。

 「保護しろ。負傷している」

 「はっ」

 しゃがんで私達に微笑むのは、ちょっと顔が怖いお姉さん。

 でも微笑まれると何だか私達までほっとする、不思議な感じの人。

 そのお姉さんは、なぜか私達の目を塞いだ。


 「おいコラ!」

 現地の言葉で由忠を怒鳴ったのは、恐ろしくガラの悪い大柄な男だ。

 他の連中も含めて、どう見てもマトモな仕事についていないのは確かだ。

 「どうした?」

 由忠の声は平然としたものだ。

 「大の大人が雁首そろえて何をしている」

 「うるせぇ!さっさとそのガキ共よこしな!」

 言うなり、男は銃を由忠に突きつけようとして、出来なかった。

 ゴトッ

 そう音を立てて石畳の上に転がったのは、銃を掴んだ男の腕。

 「―――ひっ!?ヒギャァァァァァッ!!」

 切断された己の腕と、そこから吹き出した血しぶきに、男はたまらず悲鳴を上げる。

 「この子達の代金だ。受け取っておけ」

 「てっ、テメエ!」

 石畳の上でのたうち回る男の回りで、男達が一斉に銃を抜いた。

 「死ねやコラ!」


 ザンッ


 それは一陣の風。


 男達は、そう感じた。

 

 そう感じた男達で、銃の引き金を引けた者はいない。


 ズルッ


 そんな音が辺りに響いたかと思うと、辺りは静寂に戻った。

 石畳に転がるのは、上半身と下半身にキレイに切断された男達の屍。


 「どうにも斬った気がしないのは、どこの国でも同じか」

 由忠は、霊刃をしまいながらボヤいた。

 「試し切り用の骨付き肉に銃なんて持たせやがって―――金の無駄の極みだ」

 由忠は、死体の中からめぼしい銃を数丁取り上げると懐にしまい込んだ。

 「裏ルートあたる時の金代わりになる―――イーリス」

 「はっ」

 「二人を連れてホテルへ戻るぞ」


 

・実在した「ルーマニア王国」ではありません。架空の国です。ご注意下さい。

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