ボトルメール
『ハロー、地球の外側の方。
人間はしばらく前にようやく地球の外へ気軽に出られるようになった、もしかしたらアナタ方と会う日は近いのかもしれない。
けど地球は人間の暮らせる環境から遠退いてるみたいだ、最近だと昔は異常気象と呼ばれた現象が日常になってしまっている。
本題なんだが、地球の外側にいる知的生命体がこれを読めたら、是非地球で暮らしている俺に会いに来て欲しい。
昔の夢でね、地球人以外の知的生命体と友達になりたいんだ。
海淵 司』
地球は青い。
それを何の訓練も受けていない一般人が、自分の目で確認できるようになったのはつい数年前の事だ。
たかが数年、しかし今では海難事故の死傷者よりも宇宙難事故の死傷者の数が圧倒的に多くなっている。
それほどに身近となったのだ。
島国日本の生まれである俺には分かり辛いが、それなりに海から離れた都市などでは宇宙の方が気軽に訪れる事が出来るらしい。
周りが何だかんだと言いながら宇宙旅行に出かける中、俺は捻くれたガキらしくまるで興味が無いように振舞っていた。
そんな俺が宇宙旅行に出かけたのは、そんな学生時代からおよそ10年後。
社会人になって収入も安定した頃、昔が懐かしくなり卒業文集を開いたのがきっかけだ。
『宇宙人と友達になる事』
小学校を卒業するまでは本気で願っていた夢、それが意外と近くにある事を思うと途端に行動を起こしたくなったのだ。
今までは見向きもしなかった『宇宙旅行の楽しみ方』なんて本を買って、その旅費の安さに愕然としたり、その本の中に『宇宙に願い事を流して叶えよう』などと言う内容がある事に苦笑いしたり、火星の遊園地で最も人気があるのは意外にも無重力室である事に驚いたり。
こうして計画段階から楽しんでる自分を思うと、あの頃の俺は好きなモノが身近に突然現れた事が面白くなかったのかと気付いた。
そんな事を感慨深く思いながらも、卒業文集に一番多く書かれていた星、月への旅行計画は順調に進む。
急な計画だったが少し無理をして取れた有給は3日、往復の時間や帰った後の事を考えると観光できるのは1日程度だが今回はそれで十分だ。
特に問題が発生する事もなく、月の観光用ポートに降り立った俺は予約したホテルへと向かう。
研究施設や軍事施設などの一般人に公開できない場所はどうなのか知らないが、この観光用地区は思っていたよりも普通だった。
透明な天井に色々なPOPが並ぶ壁面、星や各月齢型の窓、土産物売り場に出店と、普通の観光旅行地と大きな違いは見当たらない。
あえて言うなら、天井向こうの宇宙は今の異常気象だらけの地球は元より、昔の地球からでも見る事ができないような星空がずっと見えている事。
窓の向こうには絵に描いたような黄色や銀色の月面ではなく、あえて開発されていない荒野と暗い宇宙が見える事などが、地球上の観光施設との違いだろう。
ホテルの中は地球の物と大して変わらないようで、少し残念な気分になりながらもチェックイン。
幾つかの説明を適当に頷きながら聞き流してさっさと部屋に入ると、倦怠感を掃う為に早めに寝る事にした。
目が覚めてまず思ったのは、地球の朝の方が寝起きが気持ちいい、なんて事だった。
月には大気も無ければ人工的な施設内以外では水も無い、当然空の色が変わることも無く、いまいち時間がはっきりしないのだ。
きっと朝日に起こされる事になれている俺は、モーニングコールがなければ寝過ごしていただろう。
昨日は結局夕食を食べないままに眠ってしまったので、この朝食が宇宙での初食事となる。
見た目は普通だ。
ベーコンにスクランブルエッグとトーストが2枚、ベーコンは焼き立てで食欲をそそる匂いがするし、スクランブルエッグは見事な焼き加減。
トーストの横に添えられたバターはトーストの熱で若干溶けて、濃厚な香りを立てている。
匂いからして味も期待できるだろうと口に入れると、思ったよりも味が濃い。
濃いだけで味は悪くないのでホテル独特の味付けなのだろう、特に気にせず食事は手早く済ませる。
実際の所、ホテル外の施設で食べる味も似たような濃さだそうだ。
重力差によって味の感じ方が違うらしく、ホテル内は地球と同程度の重力を発生させている為地球で感じる味と大差はない。
しかしホテル外の施設は地球の重力よりも小さく設定されているらしく、似たような味付けでも感じる味に違いがあり、それを楽しむ為の食事らしい。
チェックインの時に語られたこの話を思い出したのは、食後にミルクと砂糖を多量投入したコーヒーを飲み干して完全に目が覚めたときだった。
月の観光名所と言えば、地肌がむき出しになったクレータの幾つかが重力制御下に置かれた屋内施設だ。
全面を透明な壁で覆われているとはいえ、目立つのは一層大きなクレーター内に置かれた巨大な大砲ぐらいだ。
一昔前に比べると目新しさも無く、今となっては月の石など道端の石と変わらないので、観光客は減少しているらしい。
だがここが今回の一番の目的地である。
昔の夢とは言え、今ここで宇宙人と会えるなど当然思ってはいない。
だけど手紙をビンに詰め海に流すように、宇宙に流すぐらいは出来るだろう。
そう思って色々と探してみた所、それが可能だったのは月のこの施設と火星の遊園地だけだった。
出す手紙は既にビン詰めにしてある、事前に確認したが問題は無いと言われた。
さらにこの上から透明な球体カプセルで覆い、発射台に乗せて撃ち出す。
巨大な大砲は見た目に反して、大した音も立てずにボトルメールを宇宙の彼方へと流し、この旅の目的を達成した。
実にあっけない工程で作業は終わり、特に充足したモノは無いがそんなものだろう。
返事が返ってきたのは5ヶ月後。
よくわからない物質で出来た容器に入っていたのは、巻物状の手紙と虹色の鱗が数枚ずつ。
手紙は返事と異常気象の中で生き残る方法。
そして会うときの姿を事細かに説明する物、鱗は体表を覆うそれだと言う。
この日から俺の目的は死なない事になった。
〜〜〜〜〜
地球が青いと言われたのはもう50年は昔の話だ。
度重なる資源の回収などにより崩れた環境、それは数多の異常気象を生み、地球を幾重にもなる雲で覆って灰色の星に変えた。
資源を吸い尽くした人間は地球を捨て宇宙へと旅立ったが、僅かとは言え俺の他にも地球に残った者もいる。
しかし便利な社会に慣れきった人間は激変した環境に適応しきれず、栄養源の乏しいこの星に残った者達も次々と死んでいった。
誰も彼もが地球で終生の時を過ごしたかったのかもしれない。
こうして50年近く経った今、あの時地球に残った人間は子供を含め生き残っている者はいない。
今もこうして俺のような老体が生きているのは、『イスァ』からの助言に寄る所が大きい。
子供でも出来る安全な水の精製法、食物に含まれる栄養を100%体内に取り込む事が出来る調理法、生活必需品の簡易的な製作法。
最初に届いた手紙と一緒に入っていた助言だけでこれだ。
後に届いた手紙の内容は更に上を行く物で、厳重に保存するか燃やして見つからないようにするか、長い事迷ったものだ。
ともあれ長かった待つ期間も終わり。
これでようやく、約束の条件は満ちたのだ。
最後の人間を看取ってから数ヶ月。
雲に覆われ、灰色の空から若干の光が漏れるだけとなった地球に光球が飛来した。
光は優しく、暗さに慣れた目を焼くような事は無い。
大気圏に入る際一切の加熱を受けなかったらしく、俺の目の前に停止した光球は発熱している様子もなくゆっくりと着地した。
一瞬広がった光は直ぐに収まり、光球があった場所にいたのは虹色の鱗を纏った3mほどの円錐状の生命体。
手紙の1枚に書いてあった外見そのままだ。
そして2つある鋏の1つに古ぼけたビンと手紙が挟まっている、それは俺が出した手紙だった。
「『つかさ』だな、手紙を受け取ったイスァだ、会いに着たよ」
随分と昔に俺に手紙を返してくれた『イスァ』、その声には抑揚の無い。
それもその筈で、声の正体は鋏をこすり合わせた音だった。
不思議な事に2つの鋏をすり合わせた音は、俺の耳には若干しゃがれた声に聞こえる。
だがそれは今、どうでもいい事だ。
昔の夢は叶ったのだ。馬鹿馬鹿しくて誰も信じないかもしれないが確かに叶った。
言葉に表せない感情に涙をこぼしながら、食料不足から細くなった手を伸ばす。
まず、あんなちっぽけな手紙に答えてくれた事に感謝を。
出会えた事に感謝を。
友と呼んでくれた事に感謝を。
万感を込めて、しっかりと感触を確かめるように、『イスァ』の鋏の片方を手にとって上下に振ると『イスァ』は答えてくれる。
初めて触れた『イスァ』の感触は、俺にとって生涯忘れられないモノとなった。
〜〜〜〜〜
『ハロー、地球のつかさ。イスァはイスァと言う。
アナタは地球上で始めて電子媒体では無く、紙媒体を用いてイスァ達に接触を図った人間だ、この数億年の中で始めてのだ。イスァは嬉しく思うぞ。
イスァも会いたいが人間はあまり好ましくない、と言うのがイスァの種族における見解だ。
だがイスァはつかさと会ってみたい。同胞に反対されたが、つかさが地球に住む最後の1人になった時にイスァは地球を訪れる。信じる信じないはつかさの自由だが、その時に会おう。
つかさはただ地球で生きていればいい。寿命など気にする必要は無いぞ、イスァ達は時を統べる大いなる種族だ、生きていればどうとでもしよう。
会合の時を楽しみにしているぞ、新しき友よ』