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兵士を増やしたら、戦える兵士が減りました。

作者: よみなぎ
掲載日:2026/10/09

「王女殿下に敬礼!」


号令とともに、整列した兵士たちが一斉に胸へ拳を当てた。


私は答礼し、国境砦を見上げる。


隣国との緊張が高まる中、私は父である国王陛下の名代として、この砦の視察にやってきた。


「殿下! よくぞお越しくださいました!」


司令官が駆け寄ってくる。


ずいぶん歓迎されている。


「さっそくで申し訳ありません。お願いがございます」


「何でしょう?」


「半年前に増援として送られた五百人を、王都へ連れて帰ってください」


「……はい?」


私は司令官を見つめた。


「隣国との緊張が高まったから、千人だった兵士を千五百人に増やしたのですよね?」


「はい」


「なのに、五百人を帰すのですか?」


「このままでは国境を守れません」


司令官は真顔だった。


「現在、この砦で戦える兵士は八百人ほどです」


「……千五百人いるのに?」


「はい」


「なぜです?」


「増えた五百人を養うために、兵士たちが荷物を運んでおります」


私は言葉を失った。


「つまり……兵士を五百人増やした結果、戦える兵士が二百人減った?」


「そのとおりです」


司令官はさらに声を落とした。


「そして、こちらの実働兵力が減っていることは、敵国にも知られていると考えるべきでしょう」


「……攻めてくる?」


「いつ攻勢をかけられても不思議ではありません」


司令官が私を真っ直ぐ見た。


「時間がないのです。五百人を連れ帰ってください。千人に戻せば、以前の補給体制で回せます」


それなら、戦える兵士も千人に戻る。


八百人のまま敵を待つより、ずっといい。


けれど。


「……五百人は帰しません」


「殿下!」


「千人では足りないから、五百人増やしたのでしょう?」


「しかし、このままでは八百人です!」


「ですから」


私は司令官を見た。


「千五百人を、戦えるようにします」


「そんな時間はありません!」


「どれくらいあります?」


「分かりません」


司令官は即答した。


「明日、敵が来ても不思議ではありません」


「では、急ぎましょう」


◇


私は司令官と補給担当官を連れて、すぐに会議室へ入った。


「兵士ではなく、商人に運んでもらえないのですか?」


「すでに打診しております」


補給担当官が即答した。


「平時と同じ量なら運んでくれます。しかし、増援五百人分となると断られました」


「なぜ?」


「戦争が始まれば、届けられなくなるからです」


商人は五百人分の食料や薪を仕入れ、それを国境まで運ぶ。


だが途中で戦争が始まり、街道が封鎖されたら?


砦まで届けられない。


当然、軍から代金も受け取れない。


「……大量に仕入れた品物だけが残る」


「はい。一度の戦争で商会が傾きかねません。その危険を負ってまで引き受ける者はいません」


「では、この町で買えば?」


「それも試しました」


今度は司令官が答えた。


「一部は地元で購入しています。しかし五百人分すべてとなると、住民の食料まで買い占めることになります」


なるほど。


商人に運ばせることも考えた。


地元で買うことも考えた。


どちらも、できない理由がある。


だから兵士自身が運んでいる。


「……困りましたね」


「解決策はあります」


補給担当官が言った。


「あるのですか?」


「はい。戦争や軍の命令によって納品できなくなった場合でも、契約した物資を国が買い取る。そう保証していただければ、輸送を引き受けるという商会があります」


「では、それをやりましょう」


「できません」


「なぜ?」


「王都へ申請しましたが、財務局から認められないとの回答がありました」


「理由は?」


「納品されていない物資に、国費を支払うことはできない、と」


「……それは当然ですね。架空発注がやりたい放題になります」


「はい。我々も財務局の判断が間違っているとは思っておりません」


私は腕を組んだ。


軍は、保証がなければ商人に頼めない。


商人は、保証がなければ大量の物資を仕入れられない。


財務局は、届いてもいない物資に金を払う制度など認められない。


誰も間違っていない。


それでも、この砦では七百人近い兵士が荷物を運んでいる。


「……なるほど」


ようやく、何が詰まっているのか分かった。


「物資を買い取ろうとするから、認められないのですね」


補給担当官が顔を上げる。


「殿下?」


「届かなかった小麦に代金を払うのではありません」


私は机の上の申請書を指で叩いた。


「国の命令によって契約を履行できなくなった商人に、その損失を補償します」


司令官と補給担当官が顔を見合わせた。


「軍が事前に承認した契約だけを対象にする。戦争や街道封鎖、軍の命令によって納品できなくなった場合に限る。そして、実際に仕入れたことを証明できる分だけ補償する」


「それなら……」


「ええ。架空の小麦を買う制度ではありません」


私は二人を見る。


「国が原因で生じた損失を、国が引き受ける制度です」


「しかし、新しい補償制度を設けるとなれば、国王陛下の裁可が必要です」


「ええ」


私は頷いた。


「正式な制度とするには、陛下の裁可が必要です」


司令官と補給担当官が顔を見合わせる。


「ですが、この砦で試験的に運用するだけなら、陛下の名代である私の権限で認められます」


「……よろしいのですか?」


「もちろんです。そのための名代でしょう?」


二人の顔に、初めて安堵が浮かんだ。


「この砦に限り、試験運用を許可します」


私は申請書を補給担当官へ返した。


「すぐに商会へ連絡してください。細かい契約条件は、あなた方と財務の担当者で詰めてください。私は補給の専門家ではありません」


「はっ!」


「そして、効果が認められれば」


私は立ち上がった。


「王都へ戻ったあと、正式な制度となるよう陛下に進言します」


「ありがとうございます、殿下!」


「お礼はまだ早いですよ」


窓の外では、今も兵士たちが荷物を運んでいる。


「まずは、この砦で結果を出しましょう」


私は彼らを見る。


「敵が来る前に、彼らへ武器を返しましょう」


◇


その頃。


国境の向こうでは、すでに敵軍が動き始めていた。


「敵の兵力は?」


「名目上は千五百。しかし七百ほどが輸送任務に取られています。実際に戦えるのは八百程度かと」


敵将は頷いた。


こちらは二千五百。


拠点を落とすには三倍の兵力が必要と言われるが、それでも十分だ。


「進軍する」


敵将は国境砦を指した。


「増援を送ったことを、後悔させてやれ」


◇


その日の夕方。


「明日の朝までにですか!?」


呼び出された商人の声が、会議室に響いた。


「無茶を言わないでください! 契約するだけならともかく、荷馬車も御者も集めて、物資まで用意するんですよ!?」


「承知しています」


補給担当官が答える。


「ですから、最初の一週間だけ緊急輸送費を支払います」


「いくらです?」


「通常の三倍です」


商人が黙った。


ほんの数秒だった。


「何台必要です?」


「できるだけ多く」


「分かりました! 近隣の商会にも声をかけます! 荷馬車も馬も、今夜中にかき集めます!」


商人は立ち上がった。


「おい! 帰るぞ! 今夜は寝られんと思え!」


扉の外にいた部下へ怒鳴り、そのまま走っていく。


私は補給担当官を見た。


「……ずいぶん元気になりましたね」


「三倍ですから」


「一週間だけですよ」


「もちろんです」


補給担当官は笑った。


「一週間あれば、通常の輸送体制へ切り替えられます」


それでいい。


今、必要なのは金を節約することではない。


時間を買うことだ。


◇


翌朝。


砦の門を、何台もの荷馬車がくぐってきた。


荷台には、小麦や干し肉、薪が山のように積まれている。


御者台に座っているのは、兵士ではない。


商人たちだった。


「……本当に来ましたね」


「三倍ですから」


補給担当官が答えた。


昨日まで輸送に出ていた兵士たちが、荷馬車の横を歩いていく。


だが、もう荷物には手を伸ばさない。


彼らが向かったのは、武器庫だった。


扉が開く。


兵士たちが中へ入っていく。


そして、出てきた彼らの手には。


小麦袋ではなく、槍があった。


◇


五日後。


「王女殿下に敬礼!」


号令とともに、整列した兵士たちが一斉に胸へ拳を当てた。


五日前と同じ光景だった。


けれど、あの日とは違う。


槍を持つ者。


弓を背負う者。


盾を構える者。


もう、小麦袋を担いでいる兵士はいない。


「千三百七十二人です」


隣に立つ司令官が言った。


「最低限の輸送や砦の維持に必要な者を除き、戦闘任務へ戻せました」


千五百人の兵士を送り、戦える兵士は八百人になった。


そして今。


ようやく、千三百七十二人が戦える。


「では、私は王都へ戻ります」


「はっ。道中、お気をつけください」


私は馬車へ向かおうとした。


そのときだった。


「伝令――!」


砦の門へ、一騎の兵士が駆け込んでくる。


「敵軍を確認! 国境を越え、こちらへ進軍中!」


「数は!」


司令官が叫ぶ。


「およそ二千五百!」


空気が変わった。


つい先ほどまで私を見送っていた兵士たちが、一斉に司令官を見る。


彼は私へ向き直った。


「殿下」


「はい」


「予定どおり、ご出立ください」


私は頷いた。


「分かりました」


私がここに残れば、司令官は敵だけでなく、私まで守らなければならない。


それでは、せっかく戦場へ戻した兵士を、また私の護衛に使うことになる。


「後方の町まで下がります」


「王都へは?」


「戦が終わってから戻ります」


司令官が私を見る。


「前線はあなたに任せます。私は後ろで補給を見ます」


「……承知しました」


私は馬車へ乗り込んだ。


戦うのは、兵士たちの仕事。


兵士たちを戦わせ続けるのは、私たちの仕事だ。


「行きましょう。後方の町へ」


今度こそ、兵士に荷物を運ばせないために。


◇


後方の町へ着くと、私はそのまま補給所へ向かった。


倉庫の前には、食料や矢を積んだ荷馬車が並んでいる。


「敵軍が迫っています。商人の皆さんは避難してください」


「何をおっしゃいます!」


あの商人が声を上げた。


「今はまだ、緊急輸送期間ですよね!?」


「……ええ」


「なら三倍でしょう!」


「三倍です」


「では働きます!」


商人は振り返った。


「荷馬車を出せ! 今が稼ぎ時だ!」


実に商人らしい。


危険な仕事だから、高い金を払う。


高い金を払うから、彼らは働く。


それでいい。


そのとき、一騎の伝令が駆け込んできた。


「敵軍、砦へ到着! まもなく攻撃が始まります!」


「前線からの要求は?」


「矢と包帯を、可能な限り!」


私は補給担当官を見る。


「送りましょう」


「はい!」


荷馬車が走り出す。


五日前なら、あれを動かしていたのは兵士たちだった。


今、その兵士たちは砦で武器を持っている。


前線は司令官に任せる。


私は、ここを止めない。


◇


それから、伝令が何度も補給所を訪れた。


「敵軍、攻撃を開始!」


最初の報告から間もなく、次の伝令が飛び込んでくる。


「西側に攻撃が集中しています! 司令官より、矢の追加を!」


「すぐに送ります!」


荷馬車が走り出す。


しばらくして、また馬の蹄が響いた。


「敵の第二波です!」


「こちらは?」


「持ちこたえています! ですが負傷者が増えています!」


「包帯と薬を追加してください!」


「はい!」


補給担当官が倉庫へ走る。


商人たちは荷を積み、御者たちは前線と町を往復する。


戦が始まっても、補給は止まらなかった。


やがて三人目の伝令が来た。


「司令官より! 敵の攻撃は激しいものの、砦は健在! 兵士たちも戦線を維持しています!」


私は息を吐いた。


まだ勝ってはいない。


けれど、五日前とは違う。


千三百人を超える兵士たちが、誰一人、小麦袋を担ぐことなく戦っている。


「次の荷馬車を準備してください」


「はい!」


私たちの戦いも、まだ終わっていない。


◇


「話が違うぞ!」


敵将は砦を睨んだ。


攻撃を始めてから、すでに二度押し返されている。


「敵の実働兵力は八百ではなかったのか!」


「間違いありません! 五日前までは、実質八百でした!」


だが、目の前の砦から放たれる矢は一向に減らない。


城壁を守る兵士の数も多すぎる。


「現在の敵兵力は!」


「少なくとも千三百!」


敵将は絶句した。


こちらは二千五百。


実働八百なら、三倍を超えていた。


だが千三百なら、二倍にも届かない。


「……撤退する」


「よろしいのですか!?」


「この兵力で砦は落とせん!」


敵将は吐き捨てた。


「いったい五日で、何をした!」


撤退を告げる角笛が鳴り響いた。


◇


夕暮れ前。


最後の伝令が補給所へ駆け込んできた。


「敵軍、撤退しました!」


一瞬、誰も動かなかった。


「我が軍の勝利です!」


歓声が上がった。


補給担当官も、御者たちも声を上げる。


私もようやく、息を吐いた。


終わった。


国境は守られたのだ。


◇


翌朝、私は砦へ戻った。


門の前では、司令官と兵士たちが待っていた。


「王女殿下に敬礼!」


一斉に拳が胸へ当てられる。


私は答礼した。


「よく守ってくれました」


「殿下が、兵士を兵士に戻してくださったおかげです」


司令官は笑った。


半年前、この砦へ五百人の増援を送った。


けれど、人を送っただけでは増援にはならなかった。


食べさせる。


必要な物を届ける。


武器を持たせる。


そして、戦うべき場所に立たせる。


そこまでできて、初めて増援になる。


王都へ戻った私は、国境での結果を父へ報告した。


補償制度は正式に採用され、他の砦でも使えるようになった。


緊急時には、必要な輸送力を確保するための追加費用も認められた。


もう、王族が砦まで出向かなければ決められない仕組みではない。


兵士を五百人増やしたことで弱くなった国境は。


今度こそ本当に、五百人分強くなった。


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後方支援の大切さをわかり易く教えてくれる話だなー
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