兵士を増やしたら、戦える兵士が減りました。
「王女殿下に敬礼!」
号令とともに、整列した兵士たちが一斉に胸へ拳を当てた。
私は答礼し、国境砦を見上げる。
隣国との緊張が高まる中、私は父である国王陛下の名代として、この砦の視察にやってきた。
「殿下! よくぞお越しくださいました!」
司令官が駆け寄ってくる。
ずいぶん歓迎されている。
「さっそくで申し訳ありません。お願いがございます」
「何でしょう?」
「半年前に増援として送られた五百人を、王都へ連れて帰ってください」
「……はい?」
私は司令官を見つめた。
「隣国との緊張が高まったから、千人だった兵士を千五百人に増やしたのですよね?」
「はい」
「なのに、五百人を帰すのですか?」
「このままでは国境を守れません」
司令官は真顔だった。
「現在、この砦で戦える兵士は八百人ほどです」
「……千五百人いるのに?」
「はい」
「なぜです?」
「増えた五百人を養うために、兵士たちが荷物を運んでおります」
私は言葉を失った。
「つまり……兵士を五百人増やした結果、戦える兵士が二百人減った?」
「そのとおりです」
司令官はさらに声を落とした。
「そして、こちらの実働兵力が減っていることは、敵国にも知られていると考えるべきでしょう」
「……攻めてくる?」
「いつ攻勢をかけられても不思議ではありません」
司令官が私を真っ直ぐ見た。
「時間がないのです。五百人を連れ帰ってください。千人に戻せば、以前の補給体制で回せます」
それなら、戦える兵士も千人に戻る。
八百人のまま敵を待つより、ずっといい。
けれど。
「……五百人は帰しません」
「殿下!」
「千人では足りないから、五百人増やしたのでしょう?」
「しかし、このままでは八百人です!」
「ですから」
私は司令官を見た。
「千五百人を、戦えるようにします」
「そんな時間はありません!」
「どれくらいあります?」
「分かりません」
司令官は即答した。
「明日、敵が来ても不思議ではありません」
「では、急ぎましょう」
◇
私は司令官と補給担当官を連れて、すぐに会議室へ入った。
「兵士ではなく、商人に運んでもらえないのですか?」
「すでに打診しております」
補給担当官が即答した。
「平時と同じ量なら運んでくれます。しかし、増援五百人分となると断られました」
「なぜ?」
「戦争が始まれば、届けられなくなるからです」
商人は五百人分の食料や薪を仕入れ、それを国境まで運ぶ。
だが途中で戦争が始まり、街道が封鎖されたら?
砦まで届けられない。
当然、軍から代金も受け取れない。
「……大量に仕入れた品物だけが残る」
「はい。一度の戦争で商会が傾きかねません。その危険を負ってまで引き受ける者はいません」
「では、この町で買えば?」
「それも試しました」
今度は司令官が答えた。
「一部は地元で購入しています。しかし五百人分すべてとなると、住民の食料まで買い占めることになります」
なるほど。
商人に運ばせることも考えた。
地元で買うことも考えた。
どちらも、できない理由がある。
だから兵士自身が運んでいる。
「……困りましたね」
「解決策はあります」
補給担当官が言った。
「あるのですか?」
「はい。戦争や軍の命令によって納品できなくなった場合でも、契約した物資を国が買い取る。そう保証していただければ、輸送を引き受けるという商会があります」
「では、それをやりましょう」
「できません」
「なぜ?」
「王都へ申請しましたが、財務局から認められないとの回答がありました」
「理由は?」
「納品されていない物資に、国費を支払うことはできない、と」
「……それは当然ですね。架空発注がやりたい放題になります」
「はい。我々も財務局の判断が間違っているとは思っておりません」
私は腕を組んだ。
軍は、保証がなければ商人に頼めない。
商人は、保証がなければ大量の物資を仕入れられない。
財務局は、届いてもいない物資に金を払う制度など認められない。
誰も間違っていない。
それでも、この砦では七百人近い兵士が荷物を運んでいる。
「……なるほど」
ようやく、何が詰まっているのか分かった。
「物資を買い取ろうとするから、認められないのですね」
補給担当官が顔を上げる。
「殿下?」
「届かなかった小麦に代金を払うのではありません」
私は机の上の申請書を指で叩いた。
「国の命令によって契約を履行できなくなった商人に、その損失を補償します」
司令官と補給担当官が顔を見合わせた。
「軍が事前に承認した契約だけを対象にする。戦争や街道封鎖、軍の命令によって納品できなくなった場合に限る。そして、実際に仕入れたことを証明できる分だけ補償する」
「それなら……」
「ええ。架空の小麦を買う制度ではありません」
私は二人を見る。
「国が原因で生じた損失を、国が引き受ける制度です」
「しかし、新しい補償制度を設けるとなれば、国王陛下の裁可が必要です」
「ええ」
私は頷いた。
「正式な制度とするには、陛下の裁可が必要です」
司令官と補給担当官が顔を見合わせる。
「ですが、この砦で試験的に運用するだけなら、陛下の名代である私の権限で認められます」
「……よろしいのですか?」
「もちろんです。そのための名代でしょう?」
二人の顔に、初めて安堵が浮かんだ。
「この砦に限り、試験運用を許可します」
私は申請書を補給担当官へ返した。
「すぐに商会へ連絡してください。細かい契約条件は、あなた方と財務の担当者で詰めてください。私は補給の専門家ではありません」
「はっ!」
「そして、効果が認められれば」
私は立ち上がった。
「王都へ戻ったあと、正式な制度となるよう陛下に進言します」
「ありがとうございます、殿下!」
「お礼はまだ早いですよ」
窓の外では、今も兵士たちが荷物を運んでいる。
「まずは、この砦で結果を出しましょう」
私は彼らを見る。
「敵が来る前に、彼らへ武器を返しましょう」
◇
その頃。
国境の向こうでは、すでに敵軍が動き始めていた。
「敵の兵力は?」
「名目上は千五百。しかし七百ほどが輸送任務に取られています。実際に戦えるのは八百程度かと」
敵将は頷いた。
こちらは二千五百。
拠点を落とすには三倍の兵力が必要と言われるが、それでも十分だ。
「進軍する」
敵将は国境砦を指した。
「増援を送ったことを、後悔させてやれ」
◇
その日の夕方。
「明日の朝までにですか!?」
呼び出された商人の声が、会議室に響いた。
「無茶を言わないでください! 契約するだけならともかく、荷馬車も御者も集めて、物資まで用意するんですよ!?」
「承知しています」
補給担当官が答える。
「ですから、最初の一週間だけ緊急輸送費を支払います」
「いくらです?」
「通常の三倍です」
商人が黙った。
ほんの数秒だった。
「何台必要です?」
「できるだけ多く」
「分かりました! 近隣の商会にも声をかけます! 荷馬車も馬も、今夜中にかき集めます!」
商人は立ち上がった。
「おい! 帰るぞ! 今夜は寝られんと思え!」
扉の外にいた部下へ怒鳴り、そのまま走っていく。
私は補給担当官を見た。
「……ずいぶん元気になりましたね」
「三倍ですから」
「一週間だけですよ」
「もちろんです」
補給担当官は笑った。
「一週間あれば、通常の輸送体制へ切り替えられます」
それでいい。
今、必要なのは金を節約することではない。
時間を買うことだ。
◇
翌朝。
砦の門を、何台もの荷馬車がくぐってきた。
荷台には、小麦や干し肉、薪が山のように積まれている。
御者台に座っているのは、兵士ではない。
商人たちだった。
「……本当に来ましたね」
「三倍ですから」
補給担当官が答えた。
昨日まで輸送に出ていた兵士たちが、荷馬車の横を歩いていく。
だが、もう荷物には手を伸ばさない。
彼らが向かったのは、武器庫だった。
扉が開く。
兵士たちが中へ入っていく。
そして、出てきた彼らの手には。
小麦袋ではなく、槍があった。
◇
五日後。
「王女殿下に敬礼!」
号令とともに、整列した兵士たちが一斉に胸へ拳を当てた。
五日前と同じ光景だった。
けれど、あの日とは違う。
槍を持つ者。
弓を背負う者。
盾を構える者。
もう、小麦袋を担いでいる兵士はいない。
「千三百七十二人です」
隣に立つ司令官が言った。
「最低限の輸送や砦の維持に必要な者を除き、戦闘任務へ戻せました」
千五百人の兵士を送り、戦える兵士は八百人になった。
そして今。
ようやく、千三百七十二人が戦える。
「では、私は王都へ戻ります」
「はっ。道中、お気をつけください」
私は馬車へ向かおうとした。
そのときだった。
「伝令――!」
砦の門へ、一騎の兵士が駆け込んでくる。
「敵軍を確認! 国境を越え、こちらへ進軍中!」
「数は!」
司令官が叫ぶ。
「およそ二千五百!」
空気が変わった。
つい先ほどまで私を見送っていた兵士たちが、一斉に司令官を見る。
彼は私へ向き直った。
「殿下」
「はい」
「予定どおり、ご出立ください」
私は頷いた。
「分かりました」
私がここに残れば、司令官は敵だけでなく、私まで守らなければならない。
それでは、せっかく戦場へ戻した兵士を、また私の護衛に使うことになる。
「後方の町まで下がります」
「王都へは?」
「戦が終わってから戻ります」
司令官が私を見る。
「前線はあなたに任せます。私は後ろで補給を見ます」
「……承知しました」
私は馬車へ乗り込んだ。
戦うのは、兵士たちの仕事。
兵士たちを戦わせ続けるのは、私たちの仕事だ。
「行きましょう。後方の町へ」
今度こそ、兵士に荷物を運ばせないために。
◇
後方の町へ着くと、私はそのまま補給所へ向かった。
倉庫の前には、食料や矢を積んだ荷馬車が並んでいる。
「敵軍が迫っています。商人の皆さんは避難してください」
「何をおっしゃいます!」
あの商人が声を上げた。
「今はまだ、緊急輸送期間ですよね!?」
「……ええ」
「なら三倍でしょう!」
「三倍です」
「では働きます!」
商人は振り返った。
「荷馬車を出せ! 今が稼ぎ時だ!」
実に商人らしい。
危険な仕事だから、高い金を払う。
高い金を払うから、彼らは働く。
それでいい。
そのとき、一騎の伝令が駆け込んできた。
「敵軍、砦へ到着! まもなく攻撃が始まります!」
「前線からの要求は?」
「矢と包帯を、可能な限り!」
私は補給担当官を見る。
「送りましょう」
「はい!」
荷馬車が走り出す。
五日前なら、あれを動かしていたのは兵士たちだった。
今、その兵士たちは砦で武器を持っている。
前線は司令官に任せる。
私は、ここを止めない。
◇
それから、伝令が何度も補給所を訪れた。
「敵軍、攻撃を開始!」
最初の報告から間もなく、次の伝令が飛び込んでくる。
「西側に攻撃が集中しています! 司令官より、矢の追加を!」
「すぐに送ります!」
荷馬車が走り出す。
しばらくして、また馬の蹄が響いた。
「敵の第二波です!」
「こちらは?」
「持ちこたえています! ですが負傷者が増えています!」
「包帯と薬を追加してください!」
「はい!」
補給担当官が倉庫へ走る。
商人たちは荷を積み、御者たちは前線と町を往復する。
戦が始まっても、補給は止まらなかった。
やがて三人目の伝令が来た。
「司令官より! 敵の攻撃は激しいものの、砦は健在! 兵士たちも戦線を維持しています!」
私は息を吐いた。
まだ勝ってはいない。
けれど、五日前とは違う。
千三百人を超える兵士たちが、誰一人、小麦袋を担ぐことなく戦っている。
「次の荷馬車を準備してください」
「はい!」
私たちの戦いも、まだ終わっていない。
◇
「話が違うぞ!」
敵将は砦を睨んだ。
攻撃を始めてから、すでに二度押し返されている。
「敵の実働兵力は八百ではなかったのか!」
「間違いありません! 五日前までは、実質八百でした!」
だが、目の前の砦から放たれる矢は一向に減らない。
城壁を守る兵士の数も多すぎる。
「現在の敵兵力は!」
「少なくとも千三百!」
敵将は絶句した。
こちらは二千五百。
実働八百なら、三倍を超えていた。
だが千三百なら、二倍にも届かない。
「……撤退する」
「よろしいのですか!?」
「この兵力で砦は落とせん!」
敵将は吐き捨てた。
「いったい五日で、何をした!」
撤退を告げる角笛が鳴り響いた。
◇
夕暮れ前。
最後の伝令が補給所へ駆け込んできた。
「敵軍、撤退しました!」
一瞬、誰も動かなかった。
「我が軍の勝利です!」
歓声が上がった。
補給担当官も、御者たちも声を上げる。
私もようやく、息を吐いた。
終わった。
国境は守られたのだ。
◇
翌朝、私は砦へ戻った。
門の前では、司令官と兵士たちが待っていた。
「王女殿下に敬礼!」
一斉に拳が胸へ当てられる。
私は答礼した。
「よく守ってくれました」
「殿下が、兵士を兵士に戻してくださったおかげです」
司令官は笑った。
半年前、この砦へ五百人の増援を送った。
けれど、人を送っただけでは増援にはならなかった。
食べさせる。
必要な物を届ける。
武器を持たせる。
そして、戦うべき場所に立たせる。
そこまでできて、初めて増援になる。
王都へ戻った私は、国境での結果を父へ報告した。
補償制度は正式に採用され、他の砦でも使えるようになった。
緊急時には、必要な輸送力を確保するための追加費用も認められた。
もう、王族が砦まで出向かなければ決められない仕組みではない。
兵士を五百人増やしたことで弱くなった国境は。
今度こそ本当に、五百人分強くなった。




