おかわりはいかが?
「ヒュー、貴方本当に従者になるつもりなの?」
半年前に自分の夫になったばかりのヒュー・フェアモント。
彼が白いポットから茶を注ぐ様を見ながら、妻であるヴィクトリアはそう尋ねた。
「ええ、そうするつもりです」
まるで、今日はいい気候ね、という言葉に応えるような気安さで、茶を注いだカップをこちらに渡してくれる。
丁度、書類仕事がひと段落した休日の午後だった。
日が差し込むフェアモント侯爵家のヴィクトリアの執務室は、暖かな陽気に満ちている。
白い白磁のカップを手にとり、目の前の彼が注いでくれた茶の芳香を嗅ぐ。
華やかな香りはヴィクトリア好みで、何も入れていない茶の色は美しい飴色だった。
「この紅茶…もしかして、アンデルセン商会との話し合いが纏まったのね?」
返事の代わりに美麗な笑みが返ってくる。
元から整っている顔が、最近は頓に甘くなったとメイド達が騒いでいた。
(甘く…?かはわからないけれど、よく笑っているような気はするわ)
男っぽい顔が、笑うと随分幼く見えるのを、本人は気にしているようであるが。
「窓口だった者が、上手く執りなしてくれました」
アンデルセン商会の会頭は、昔からやり手として評判の好々爺である。
まだ父に付いていた頃、幼かったヴィクトリアに対しても、侮るようなことは一切せず、いつだって礼を尽くしてくれたのを覚えている。
ヒューがいう窓口の者とは、その会頭が目をかけている平民出の青年のことだろう。
あそこにはすでに後継がいるはずだが、いずれその青年にも店を持たせるのではないかと、専らの噂だった。
「あの商会は、最近特に評判がいいわね。従業員がよく教育されていて気持ちがいいし」
「ええ、元貴族のご令嬢が采配を振るっているようですよ。何でも、婚約破棄されて市井に下ったとか」
「まぁ、それでいて成果を上げているのね、気概のある方だわ」
あの商会の従業員達が生き生きと働いている様子を思えば、令嬢のそれも、決して悲壮な奉公などではないことが伝わってくる。
それでも、市井の中で平民に混じって働くとは、随分肝が座っている。
「この茶園の独占契約を結んだのが元々彼だったようです。カフェの方にも卸してくれることで纏まりました」
「流石ねヒュー、おめでとう」
「ありがとうございます」
ヒューが手がけ、オープンして約半年となるカフェは、今や王都でも指折りの人気店となっている。
今回仕入れが決まった茶園は、近年新しく注目され始めた産地のもので、確かある大きな商会が、随分前から契約を狙っていたと聞いた覚えがある。
窓口がアンデルセン商会に決まって、さぞ悔しい思いをしていることだろう。
小さな茶園故に生産量が多くなく、融通してもらえるだけで大したものだった。
いずれにしても、以前茶会で飲んだ際、香りを気に入っていたヴィクトリアには嬉しい知らせだった。
「それで?その好調なカフェを、貴方手放すつもりなのでしょう?」
ちなみにそのカフェの名前は“ヴィクトリア・カフェ”という。
ヴィクトリアが知った時にはすでに、関係各所への届出が済んでおり、撤回させることが出来なかった。
事前に知っていたらしい父が止めてくれなかったことを、当分、許さないつもりでいる。
結婚前からその片鱗を感じてはいたものの、この男、大人しい顔でなかなかの食わせ者だった。
「はい、移譲の手続きを進めています」
そんな彼が、それらを全て人に任せ、ヴィクトリアの補佐になりたいと言ってきたのだった。
ちなみに、それを彼から聞いた場には父もいた。
驚くヴィクトリアの横で、珍しく感情が隠れていない、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
父のそんな顔を見たのは、覚えている限り、それが二度目だった。
(一度目は、そう、私がハガード家の三男と借金の形で婚約すると言った時)
あの時も父は何も言わなかったが、同じような顔をしていた。
(あれはそうね…『若い者の決断には何も言わないが、それにしてもお前…』、とかかしら?)
父の心境もよく分かる。
上手くいっていないならいざ知らず、婚姻前にヒューが立ち上げた事業の、そのどれもが好調だと聞いている。
それを、まだまだこれからだと言うのに、実にあっさりと人に渡してしまうつもりらしい。
売却ではなく、あくまでも別の者に任せて一線を引く、ということのようだが、それにしてもだ。
(あんなに必死に、駆け回っていたでしょうに)
父から譲られた伯爵位相当の箔をつける為、婚姻前のヒューは、どんなにか忙しい生活を送っていたことだろう。
その合間を縫って、度々婚約者として会いに来る彼に、どこにそんな暇があるのかと訝しんだものだった。
そうまでして、作り上げてきたものだと言うのに。
こちらの戸惑いをよそに、テキパキと茶道具の後始末をしている夫を眺める。
結婚してからも、相変わらず従者のように茶を入れたり、甲斐甲斐しくヴィクトリアの世話をしてくれる、と思ってはいたのだけれど。
「ねぇジーン、ヒューって以前からこうなの?」
部屋の隅に控えている、腹心の侍女に声をかける。
夫と同じ歳ながら彼の叔母にあたるジーンは、ヒューとは幼い時分からの旧知の間柄だった。
二人が縁戚であることは把握していたものの、思いの外、それが気心の知れた仲だと知ったのは、彼との婚約が成った後だったが。
「はい、お嬢様。夫君はあの頃と、ほとんどお変わりになっておられません」
「価値基準が独特なところも?」
「そうですね。兄姉達が喜ぶものには見向きもせず、けれどご自分がお好きなものは、絶対に譲らない方でした」
「成程?こうと決めたら譲らないのは昔からなのね」
「ええ、周囲が何と言おうと、目的を果たすまでは決して」
「ジーン、勘弁してくれるかな。ヴィクトリア様もその辺で」
ジーンを巻き込んでヒューを揶揄う、最近お決まりになって来たこのやり取りに、当人が疲れた顔で制止をかけてくる。
普段は無駄口など叩かないジーンも、この時ばかりは乗ってくれるのだった。
浮かべていた苦笑いを、ふと澄ました表情に変えてヒューが言う。
「ヴィー、俺は好きにして構わないのだろう?」
それは確かに、かつてヴィクトリアが告げた言葉だった。
言った文脈は大分違っていたと思うけれど。
彼の叔母よりは短い付き合いだが、ヴィクトリアにももう分かっている。
こちらを楽しそうに見ている黒い瞳が、ヴィクトリアの言葉を待っているようで、それでいて、決して譲らないことを。
こんな厄介な男だとは思っていなかった。
敬語と敬称を使い分け、ここぞという時に愛称を呼んでくるような男だとは。
「僭越ながらお嬢様」
「何かしら、ジーン」
「望むまま、扱き使ってやればよろしいかと」
ヒューを見るジーンの視線は、自分に向けるよりも幾分、いやかなり、温度が低い。
目の前の夫は、そんな叔母の視線をものともせず、にこやかに笑んでいる。
実際の所、これだけの能力を持つ彼を補佐に据えるのは、ヴィクトリアにとってもメリットしかないのだ。
婚姻してからも減ることのない、不埒な取引相手からの愛人の誘いはまず無くなるに違いない。
後は社交界で取り沙汰されそうな、“仕事先にまで夫を連れ歩く夫人”と言う噂くらいだろうか。
けれどこの男のことだ、その辺りまで飲み込んで、さぞ卒なく働いてくれることだろう。
「ジーン、侍女達の中に休みを取りたい者がいたら、そのようにして頂戴」
「承知いたしました。ネリアが父君の加減を気にしておりましたので、喜ぶかと思います」
「そうだったのね。では見舞いの品は、貴女の方で見繕っておいて」
人手が増えるというのなら、有効に使わない手はない。
一旦そう決めて仕舞えば、取り組めることが山のようにある。
(そういえば昔、確かに、従者になりたいと言っていたわね)
初志貫徹、といった所だろうか。
本当に、ジーンの言う通り。
「旦那様、もう一杯お茶が飲みたいわ」
「はい奥様。じゃあ別のおすすめにしよう。これもヴィーの気に入ると思って仕入れたんだ」
ここからは夫の顔に戻るらしい彼に、とりあえずお茶を淹れて貰ってから。
厄介で有能な愛する夫の望む通り、思う存分働いてもらうとしよう。




