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星空短編集

霧だまり

作者: 浅葱秋星
掲載日:2025/10/10

 子供の頃、学校へ行く通学路は登り降りが多かった。家も丘の上の高台にあって、家をでて暫く歩くと、急な坂になっていた。谷底というほどではないが、低い土地を暫く歩いて、また登りが始まる。天気の良い穏やかな夏の朝などは、丘を下って底の方へいくと、空気がひんやりとして感じられた。

 吐く息が白くなるような季節になると、丘の下には、霧が雲海のように見えていることもあった。雲海、と言うほど広くも無い、海辺の潮だまりのように、小さな白い霧だまり、とでもいうようなものが丘の下に溜まっていた。


 子供の頃には、丘を下ってこの霧だまりの中に入るのが楽しいというか、面白いというか、妙にわくわくした気分になるものだった。

 一足下るごとに次第に白い霧の中へ入っていく。遠くまで見通せていた視界は白い霧に阻まれて、ぼんやりとしたものにかわる。霧だまり、というくらい小さなものなので、完全に白一色になるほど濃くは無く、遠くはぼんやりとだが見えていて、見上げると薄く青空も見えていた。

 やがて、登りにかかり、今度は一足ごとに霧は晴れて行き、登り切ったところで振り返ると、うすぼんやりとした霧だまりが下に広がっていた。


 小さい頃の霧だまりの記憶は、女の子と手を繋いで歩いているものだった。百合という名の女の子で、同い年は近所にその子しかいなかった。

 黄色い幼稚園のカバンを下げて、二人で手を繋いで幼稚園に通っていた。霧だまりが出来ていた日も、いつものように二人で歩いていた。

「おもしろいね」

「そうだね」

 ゆっくりと霧の中に入ると、顔を見合わせて笑った。

「くものなかみたい」

「くものなかにはいったことがあるの?」

「うん。ひこうきにのったときに」

「ぼくはのったことないや」

 そんな他愛のない会話をしていたような記憶がある。

 小学生になっても二人で学校へ通っていたが、学年が進むと手は繋がなくなった。

 そのうち、近所に家が幾つか建つようになって、同じ年の子どもも増えてきた。小学校の高学年になると、僕も百合も男女で別れて登校するようになった。そんな調子で中学へ進み、高校は百合と僕は別々の高校へ進学して、途中から通学路は別になった。


 高校生になった、冬のある朝。

「おはよう」

 家を出て暫く歩くと、家から出てきた百合と出会った。

「おはよう。早いね」

「朝練があるから」

 百合は吹奏楽部に入っていると言っていた。僕は学校が遠いので、いつも通り。

 丘の上から下りにかかるところで、下に霧だまりが見えた。

「霧がでてる」

「なんだか久しぶりにみたな」

 二人並んで丘を下る。

「小さい頃に、一緒に霧の中歩いたこと、覚えてる?」

 霧の中に入って、百合が話しかけてきた。

「うん」

 薄い霧の中。隣の百合ははっきり見えている。小さい頃は、手を繋いで笑って歩いていた。

「手を繋いで、繋いだ手を振りながら歩いてたよね」

「歌とか歌ったり」

 顔を見合わて、二人笑顔になった。その時には、もう、登りにかかっていた。幼い頃は、長い間霧の中を歩いていたような気がしていたが、ほんの少し歩いただけで、霧の外へ出ていた。

「じゃあ、私はこっちだから」

 百合は右へ。その先のバス停からバスに乗って学校へ。僕は左へ進んで、別の道へ行き当たったところにあるバス停から学校へ向かう。

「じゃあね」

 百合が胸のあたりで小さく手を振る。僕も軽く手を上げて、それから別れた。


 進学して故郷を離れてから、だいぶ経って大人になって帰省したときには、急だった丘からの下り坂もだいぶ緩やかになって、道幅も広げられて、ガードレールもつけられた立派な道になっていた。

 畑しかなかった道の両脇には住宅が立ち並んで、同じ道だとは思えない光景になっていた。

 久しぶりに帰省して、母が入院して誰も居なくなった家に泊まってみることにしたのは、もうその家で過ごすことも無いだろうという、そんな気持があったからだろう。

 冬の朝。台所でお湯を沸かしてコーヒーを入れていると、これから出かけなければ、という、変な感覚になった。どこへ? ここへ住んでいた頃ならば、学校へ。

 コーヒーとトーストの簡単な朝食を摂って、ダウンジャケットを羽織ると外へ出た。

 冬の良く晴れた朝。空には白い半月が浮かんでいる。

 のんびりと周囲を見回しながら歩く。知らない家が増えている。知った家も、表札が変わったりしていた。

 百合の家の前を通る。表札は違うものに変わっていた。百合は高校を卒業して大学へ進学した後、進学先で出会った人と結婚したと聞いていた。その後の消息は知らない。

 丘の上に立つと、坂道は緩やかに下っていた。その道の中ほどが、なんとなく、白く霞んで見えた。 ゆっくりと坂を下る。薄い霧のようなものは、中を歩いているときには気が付かないほどで、反対側へ歩いて抜けて、振り返って霞の中を歩いていたことがわかるくらいのものだった。


 反対側の、もう丘とは言えないくらい緩やかな登りの上に立って、自分の家のある辺りを見ていると、馴染みのない、違う土地のように思えてくる。いずれ、この土地に来ることも無くなるのだろう。


 せめて、霧だまりで、全て隠れていてくれれば。


 昔の記憶の欠片でもその眺めの中に見つけ出し、ノスタルジックな気持ちになれたかもしれない。 そこにはもう、自分が住む場所でもない、初めて見るような、見慣れない風景が広がっていた。

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