第三話 アストレア領の再生
馬車が領地アストレアの町へと入った瞬間、胸の奥がずしりと重くなった。
石畳は所々ひび割れ、かつて賑やかだった商店通りは、ほとんどの店の扉が固く閉ざされている。
人影はまばらで、行き交う者たちも俯き、疲れた足取りで通り過ぎていく。
私は窓から外を見つめ、唇を噛んだ。
——予想はしていたけれど、ここまで酷いとは。
「……お嬢様」
向かいに座る執事カイルが、私の表情を伺うように声をかけてきた。
私はゆっくりと視線を外へ戻す。
「見れば分かるわね、カイル。これじゃ税収どころの話じゃない」
馬車が止まり、降り立った瞬間、乾いた土の匂いと、どこか焦げたような匂いが鼻をかすめた。
近くの井戸のそばでは、痩せた婦人が水を汲もうとしているが、その桶は半分も満たないうちに引き上げられている。
水不足だ。
「領主館に戻る前に、視察をしましょう」
「今すぐ、ですか?」
「ええ。見ないで判断するのは、愚かな領主のやることよ」
カイルが渋い顔をしながらも頷く。
護衛のルーカスが周囲を警戒しつつ、私の前に立った。
通りを進むと、やせ細った子供たちが空き家の前で石蹴りをして遊んでいた。
私の姿に気付くと、一人の少女が立ち上がってお辞儀をした。
——その笑顔が、胸に突き刺さる。
「ねえ、坊や。お父さんは何をしているの?」
「……森に行ったまま、帰ってこない」
短い答えに、ルーカスが目を細める。
盗賊か、あるいは魔物か。どちらにせよ、このままでは領地の人間が減っていく一方だ。
視察を終え、領主館に戻ると、カイルが報告をまとめてきた。
「治安の悪化は予想通りです。街道沿いには盗賊が出没、交易が滞っています。市場も機能しておらず……」
「農地は?」
「干ばつの影響で収穫は半減。加えて重税が……」
「それじゃあ農民はやっていけないわね」
私は椅子に腰を下ろし、机を軽く叩いた。
思考を整理するための癖だ。
「まずは治安回復を最優先。ルーカス、兵の再編をお願い」
「承知した」
「カイルは税率を一時的に三割下げて。商人を呼び戻し、流通を再開させるの」
「しかし、それでは財政が——」
「だからこそ、先に動くのよ。金は回さなければ増えないわ」
カイルは何か言いかけたが、結局口を閉ざした。
私のやり方は危険だとわかっているのだろう。
けれど、前世の知識を持つ私には、この国の経済構造が手に取るように分かる。
物資と金の流れを作れば、領地は生き返る。
夜になり、私は地図を広げた。
赤い線で示された街道沿いは危険地帯。
そこを押さえるには、少なくとも三十人規模の討伐隊が必要だ。
「ルーカス、夜明けと同時に出て」
「ああ。任せろ」
短く答えた彼の声に、わずかな頼もしさを感じる。
窓の外では、月が雲間から顔を出していた。
荒れ果てた領地——けれど、この地こそ、私が守るべき場所だ。
(必ず立て直す。悪役令嬢としてではなく、この国を変える領主として)
胸の奥で、炎のような決意が静かに燃え上がった。