第二十九話 交錯
潮の匂いが濃く漂う港で、私はミリアを見つめた。
彼女の肩はわずかに上下し、息が乱れている。
足首をかばっているのが、暗がりでもわかった。
——逃げ場はない。
「こんな夜更けに、ずいぶん危ないところを歩くのね」
私がそう言うと、ミリアは皮肉げに笑った。
「お互い様じゃない?」
「私はただの散歩よ」
「嘘。あなたは——」
彼女の視線が鋭くなる。
「レナを操ってる」
港の波音が、二人の間の沈黙をさらに際立たせた。
私は笑みを崩さない。
「証拠はあるの?」
「今、集めているところ」
その答えに、私はほんの一瞬だけ眉を動かした。
——やはり、倉庫の件は彼女か。
背後で足音が近づく。
レナの側近の青年が現れ、ミリアを取り囲むように立った。
「どうしますか?」
「放っておきなさい」
私の指示に、彼は意外そうな顔をしたが、一歩下がった。
「……なぜ、殺さないの?」
ミリアの問いは直球だった。
私は肩をすくめる。
「生きていてくれたほうが、面白いから」
「遊び半分で人を貶めてるの?」
「違うわ。これは戦いよ。あなたが負ければ、私は勝つ。それだけ」
彼女の瞳が怒りに燃える。
だが、怒りの奥にほんのわずかな迷いも見えた。
この迷い——私は利用できる。
「ミリア」
名前を呼ぶと、彼女は動きを止めた。
「あなたは、誰のために戦ってるの?」
その一言が、彼女の心にわずかな影を落としたのを、私は見逃さなかった。
次の瞬間、港の鐘が鳴り響いた。
貨物船の入港を知らせる音だ。
その隙にミリアは私の横をすり抜け、暗がりに消えた。
——逃げ足だけは速いわね。
私は微笑み、夜風に髪をなびかせながら港を後にした。