第十三話 王都に届く囁き
巡礼団が王都へ戻るよりも早く、井戸の事件の噂は城下に広がっていた。
事の真偽を確かめる者などほとんどいない。
人々は想像を交えて語り、尾ひれをつけ、そして——囁きは貴族街へと届く。
「聖女様が祝福しようとした井戸に、毒があったそうですわ」
「まあ……それは本当ですの?」
「ええ、現場にいた者から聞きましたの。毒はすでに混ざっていて……それを見抜けなかったとか」
「聖女様が?」
「ええ。もしかして、奇跡の力は噂ほどではないのかもしれませんわね」
午後のサロンでは、上流夫人たちが扇子を揺らしながら、慎ましげに、しかし確実に評判を削っていく。
それはやがて、聖職者たちの間にも届いた。
枢機卿の一人は、私の使者にこう囁いたという。
「奇跡に陰りが見えれば、人心は離れる……それが神の定めだ」
私は領邸の書斎で、ルーカスからの報告書をめくっていた。
「広まり方は順調ね」
「はい。直接的にミリア様を非難する声は少ないですが、『完全ではない』という印象が着実に浸透しています」
「それでいいの。人は、完璧な偶像よりも、疑わしい偶像を崩したくなるものよ」
窓の外には、秋の気配が漂っていた。
冷たい風がカーテンを揺らし、机の上の蝋燭がわずかに瞬く。
私はその灯を見つめながら思う。
——この灯を吹き消すのは、今ではない。
もっと暗闇に包まれた時、ひと息で消せるように。
その夜、密偵から新たな情報が届いた。
「侯爵家の元使用人、牢の中で口を閉ざしています。報酬を渡した人物の名は明かさず……」
「つまり、背後にまだ誰かいる」
「恐らく。しかも、その者は王都にいます」
私は唇に指を当てた。
侯爵家の失脚、井戸の事件——そして背後に潜む黒幕。
これらは一本の糸で繋がっているはずだ。
糸を辿れば、ミリアだけでなく、その後ろにいる者も引きずり出せる。
ちょうどその時、使者が慌ただしく駆け込んできた。
「セリーナ様、王宮からの招待状です。数日後の晩餐会に、ご出席をとのこと」
「晩餐会?」
「ええ。ミリア様もご出席になるそうです」
私は静かに笑った。
王宮——人の視線と噂が交差する場所。
舞台は整い始めている。
今度は、あちらから私の前に出てくるというわけだ。
「よろしい。礼服の準備を」
私は椅子から立ち上がり、窓の外に広がる月を見上げた。
——次の一手は、あの晩餐会で打つ。