第十二話 巡礼の影
翌日も巡礼は続いた。
ミリアは街外れの小村へと向かい、貧しい農民たちに祝福を授ける予定だった。
朝から民は広場に集まり、手作りの花冠や供物を並べて聖女を待っている。
——だが、私はその人だかりの中に、妙な緊張感を感じていた。
広場の中央には古い井戸があり、その傍らに水桶が置かれている。
ミリアは到着すると、白い法衣の裾を翻し、井戸の前に立った。
「この水が、皆さまの命を支えますように」
そう言って、井戸の水を汲み上げ、手のひらに触れる。
周囲からため息と拍手が起こる——その時だった。
「お、おい……!」
群衆の一人が声を上げた。
水桶の中に、小さな死んだ鼠が浮かんでいるのが見えた。
その瞬間、ざわめきが走り、誰かが叫ぶ。
「毒だ! 水が汚されている!」
人々は慌てて井戸から離れ、子どもを抱き上げる。
ミリアは一瞬、硬直した。
井戸を調べた神官たちが顔を見合わせ、低く報告する。
「……毒物が混入されています」
この場に毒——それは偶然ではない。
だが問題は、それが「ミリアが祝福しようとした水」であったことだ。
群衆の中から、不安げな声が漏れる。
「聖女様は、知らなかったのか?」
「いや、最初から知っていて……」
私はすぐに前に出て声を張った。
「皆さま、落ち着いてください! これはミリア様を貶めようとする者の仕業です!」
その一言で、疑心はやや鎮まる。
ミリアも私の方を見て、かすかに安堵の色を浮かべた。
だが——群衆の視線には、もはや昨日のような純粋な崇拝はなかった。
式典は中止され、私たちは村長宅に避難した。
ミリアは椅子に腰掛け、膝の上で両手を組んでいる。
「……感謝しますわ、セリーナ様。あの場で庇ってくださって」
「当然ですわ。領内で不安が広がれば、誰の利益にもなりませんもの」
ミリアは微笑もうとしたが、その唇はわずかに震えていた。
聖女の権威は、清らかさと無謬性で成り立っている。
たった一度の不信感が、致命的なひびとなる。
——そのひびを、私は広げることができる。
夜、ルーカスが密やかに報告を持ってきた。
「井戸に毒を入れた者を捕まえました。村の若者で、報酬を受け取っていたようです」
「報酬?」
「はい。渡した人物は……侯爵家の元使用人だそうです」
私は薄く笑った。
侯爵の影か、それとも別の黒幕か。
いずれにせよ、この事件は利用できる。
ミリアが聖女として完全無欠ではない——その事実を、静かに、確実に王都へ流すのだ。
(これで……一手目は打った)