第十話 広がる火種
翌朝、王都は静かではなかった。
舞踏会での出来事が、夜明けとともに市場や貴族街にまで駆け巡っていたのだ。
——「ディートリヒ侯爵、横流しの罪で拘束」
見出しのように語られる噂は、たちまち脚色され、まるで芝居の台本のように派手になっていく。
「聞いた? 侯爵は王都から逃げようとしたらしいわ」
「いいえ、違うわよ。王太子殿下の前で罪を認めたんですって」
「それより、あの場にセリーナ様もいたとか……」
噂の中で、私の名前はしっかりと混ざっていた。
中には、私が侯爵を陥れた首謀者だと断定する声すらある。
——構わない。私の立場が「何かを動かせる存在」だと認識されれば、それだけで価値になる。
私は領邸の応接間で紅茶を口にしながら、ルーカスの報告を聞いていた。
「王都警備隊は、侯爵家の財産差し押さえを開始しました。関連商会にも監査が入っています」
「公爵閣下は?」
「……あの方は動いていません。ですが、噂の広まり方からして、裏で手綱を引いているのは間違いないでしょう」
エドワード公爵——あの夜、証拠を受け取った男。
彼が沈黙しているのは、動かないのではなく、動くタイミングを見極めているからだ。
そこへ、カイルが封筒を持って入ってきた。
「セリーナ様、匿名でこれが」
中を開くと、手紙と一枚の羊皮紙が入っていた。
羊皮紙には、侯爵とある教会関係者のやり取りが記されている。
日付は二年前——その頃、ミリアが「聖女」として現れた時期と一致する。
「……面白いわね」
侯爵は単なる後援者ではなく、ミリアを聖女として押し上げるために裏金を流していた可能性がある。
もしそれが事実なら、ミリアの聖女としての正当性は揺らぐ。
「これをどうされます?」とカイル。
「まだ使わないわ。温めておくの」
私は微笑む。
情報という刃は、抜く瞬間を間違えれば鈍る。
今は、相手が一番油断している時に突き立てるべきだ。
そんな時、侍女が慌ただしく駆け込んできた。
「セリーナ様、急報です。ミリア様が本日、聖女としての巡礼に出られるそうです!」
「巡礼?」
「はい。しかも最初の訪問地は……セリーナ様の領地とのことです」
ルーカスとカイルの表情が一変する。
私も、グラスを持つ手にわずかな力が入った。
——私の領地に、彼女が来る。
それは単なる巡礼ではなく、力比べの舞台宣言だ。
「いいわ。歓迎の準備をして差し上げましょう」
紅茶を飲み干し、私は立ち上がった。
「ただし……彼女が後悔するような歓迎を、ね」