魔族の王がとある国を滅ぼした理由
先日、ある国が滅亡した。
開戦から滅亡まではあっという間、わずか一日のことであった。
国土は焦土と化し、一つの建物の残骸も、草木も屍も、何も残っていない。いまそこには、焼け焦げたまっさらな土地が広がるばかりである。かつてこの国の誇った栄華を偲ぶものは、この世界から、わずか一日のうちに、一つ残らず消え去ってしまった。
この圧倒的な殲滅は、世界中を戦慄させた。
友好的であるとはいえ、いかに恐ろしい存在と共存しているのか、ということを、人間たちは再認識したのである。
何より人間たちに衝撃を与えたのは、此度の所業が、魔王ただ一人の手によるものであるという点であった。
そもそも、人よりも遥かな永きを生きる種族の魔物などは、口を揃えて言っていた。
「今代の魔王様は、歴代最強の魔力を持っている」と。
しかしそれがどれほどのものかは、人間にはわからなかった。彼らの目に映るのは、人間離れした凄まじい美形ではあるが、積極的に人間との和平を呼びかけ共存の道を歩もうとする、魔族らしからぬ平和主義者然とした姿だけだったからだ。
此度の戦――というより一方的な殲滅に、他の魔物は一切関わっていない。
たった一人の、外見には人間とそう変わらないように見える魔王が、単独で、わずか一日で、一国を消滅せしめたのである。
歴代最強、という言葉の意味を、人間世界は、まさに身を以て知ったのだった。
その国の滅亡から程なくして、魔王から各国へ通達が出た。
いわく。
此度は近隣諸国をお騒がせして申し訳ない。
罪無くして亡くなった方、並びにその親類縁者へ、衷心からお悔やみ申し上げる。
今後とも、人間諸国との友好関係は、相変わらずに築いていきたい。
しかしながら、我々がそちらからの条件を遵守している以上、こちらの条件も遵守していただきたい。
それが破られる場合には、甚だ野蛮ではあるが、此度のような事態もやむを得ないということを、ご理解いただきたい。
人間諸国は、心の底から思った。
「もう二度と絶対に、スライムに手を出すのはやめよう」と――
満月の夜と新月の夜、魔物たちは人の姿をとることができる。
今宵は満月。満月の夜は、魔物達の宴の夜である。
魔王城の前庭も開放され、金色の光が夜の大地をほの明るく照らし出す中、人型をとった多くの魔物たちが、楽しげに会話をしたり、踊りを踊ったりしている。
弱い魔物は普段人語を操れないから、この夜をことさら楽しみにしている。
朝が来て月の魔法が解けるまで、この宴は夜通し続くのである。
その楽しそうな喧騒をかすかに聞きながら――
俺は、俺の腹にひたすら顔を埋め、俺の腰にがっしりと手を回し、じっと動かない大男を見下ろした。
俺はいま、ベッドから半分身体を起こしている。この男は俺の下半身に覆いかぶさるように腹這いになっており、はっきり言おう、かなり間抜けな体勢になっている。
俺が今座っている、天蓋付きの、黒一色で統一された大きなベッドは、彫刻にしろシーツの素材にしろいちいち作りが精緻で上質で、相当な代物であることがわかる。
なぜならそれがこの城の主の寝台であるからだ。
すなわち、俺――今宵は満月ゆえに平凡顏の地味な少年の姿だが、常はRPG最弱と名高いスライムである俺ごときが、本来横になっていていい場所ではないのである。
「魔王様…そろそろ離してくれませんか」
俺は、俺の腹に埋まる頭に話しかけた。
長く伸びた闇よりも濃い漆黒の髪が、一つのクセもなく魔王様の背に散らばっている。
漆黒は、魔王のみが持つ高貴な色。綺麗である。
が、魔王様は応えない。
「魔王さまー」
「……」
「宴終わっちゃいますよー」
「……」
「一緒に踊ろうって約束してたじゃないですかー。俺、楽しみにしてたのになー」
「……」
月明かりのみに照らされた室内に、俺の声がぽろぽろ転がる。
しかし、魔王様は一向に返事をくれない。
ふう、とため息をつくと、少し魔王様が身動ぎした。
俺はその頭を優しく撫でる。
「……魔王様。俺、怒ってないですから」
「……」
「たしかに、最初話を聞いたときは、何してんだと思ったし、今も、やりすぎだろと思ってるけど。でも、俺のこと、助けに来てくれたし」
「……」
「おかげで俺、またこうしてあんたに会えてるから。だから、ありがとう」
魔王様が、ゆっくりと顔を上げる。
切れ長の瞳が印象的な、凄絶な美形。無表情のようでいて、少し俺の機嫌を窺うように眉尻が下がっているところが可愛らしい。
明るいところで見ると少し茶がかって見える瞳も、いまは髪と同じ、美しい漆黒だ。じっと見ていると吸い込まれそう。
「……おまえに」
ぽつり、と魔王様が口を開いたので、俺は髪を梳いてやりながら優しく返事をする。
「うん」
「おまえに、……花をやろうとおもったんだ。庭師が、綺麗に咲いたから大切な者にやってはどうか、と……。それでおまえの元を訪ねたら、おまえが、人間にいたぶられているところで……」
「うん」
「……頭が真っ赤になった。とにかく、おまえを連れて……。それで、どうしても、許せなくて……」
「うん」
「おまえが嫌がるのは……わかっていたんだ。だが、我慢できなかった。……すまない」
魔王様が、再び俺の腹に顔を埋める。
魔族と人間の和平には、いくつか条件がある。
「スライムに攻撃しないこと」というのもその一つであり、今回の戦は、例の国がこの条件に反したために勃発した。
スライムは魔族界最弱で、下手をすると子供にも負けることがある。その弱さゆえ、これまでスライムは、人間たちの憂さ晴らしや経験値稼ぎなど、相当な無体を強いられてきた。
大事を為すには足下から。
和平を結ぶなら、魔族最弱のスライムへの扱いをまず変えて欲しい、という意味が込められた条件である。
――というのは、実は建前で。
実際は、なぜだか俺を見初めた魔王様が、俺を守るためだけに組み込んだ、私欲丸出しの条件であったりする。
出会い云々はさておいて、この人はなぜか俺にベタ惚れしている。この、HPギリ二桁程度の、幼児に蹴られて死にかける、なんの長所もないこの俺を、である。
しかし魔王様は真剣そのもので、「俺と結婚してくれ」とか言ってくる。
とてつもない美形だし、魔王様だし、何より真摯だし、ほだされそうにもなる。しかし身分不相応といったワードも脳内にちらつく。
俺は悩んだ。
悩んで悩んで悩み抜いた末に、言った。
「では、俺のために、人間と魔族を仲良くしてくれたら、考えましょう」と。
――そしたらこの魔王様、本当に和平を結んじゃったのである。
歴史上長く対立しあい、時には戦争になったこともある人と魔物とが、いまでは互いの長所を活かして助け合い、共存しているのである。ちなみに今年で人魔和平条約締結10周年だ。
俺としては、人と魔物が仲良くなったら俺たちスライムも平和に生きられるかな、でもまー無理か、くらいの気持ちだったのだが、魔王様はそれを実現した。いまや生前からすでに歴史上の偉人の一人に数えられている名君だ。
俺は思った。俺は凄い人に好かれている、と。
魔王様が、再びそろそろと顔を上げる。俺と目が合った。不安げなその瞳を宥めるように、笑いかけてやる。
魔王様は愁眉を寄せ、躊躇い躊躇いしながら、口を開いた。
「……もう一度、チャンスをくれないか。……今度こそ、二度と…こんなことは……」
言い淀んだ語尾は、しかし頼りなく消える。
魔王様は素直だと思う。断言しないのは、また同じような事態に陥ったら、同じような結果になりかねないということをわかっているからだろう。
この一国消滅事件は、まあたしかに、俺の出した条件「人と魔族を仲良く」からは、完全に外れた所業である。
魔王様は、人にいたぶられて(幼い子供たちに蹴られて)さっきまで瀕死だった俺が心配であること、プラス、俺に振られるんじゃないかという不安から、俺から離れないらしい。
魔王様の髪の毛を優しく梳きながら、その漆黒の瞳を覗き込む。やはり不安そうだ。
普段はあんなに凛として魔物達の前に立ち、人魔和平の功労者として偉人の一人に数えられ、人間たちからも畏れられている凄い人なのに、――どうしてこんなに可愛いんだろう。
「魔王様、俺、考えたんです」
「……」
「今回のことは、俺が人にいじめられたことがきっかけで起きた。それまでの10年は、こんなことはなかった。つまり、俺が人里にいなければ、10年に一度だって、こんなことは起きないんですよ。俺が、人里離れたところに住んでいれば――」
にこりと笑ってみせる。
「例えば、このお城とかね」
魔王様の瞳に光が宿る。
比喩では無く、赤、青、と様々な光が代わる代わる瞳を彩る。きっと感情の高ぶりにあわせて魔力が躍っているのだ。キラキラしてきれいだ。
俺には、そんなに魔力はない。でもたまに何か体内に燻るものは感じるから、レベルが上がったら魔法を使えるようになるのかな、と思っている。
そうしたら、俺も、魔王様の役に立てるだろうか。役に立ちたい。
だってこれから先ずっと、側にいるのだから。
「俺が人にいじめられないように、一番側で、見守っててください。……いい?」
魔王様は飛びつくようにして、力強く俺を抱きしめた。
……その衝撃で俺のHPが半分くらいになったのはご愛嬌である。
それから大陸では、恒久的に人魔の和平が継続するようになった。一度一国を消滅させたのが相当効いたらしく、人間側もそれ以降決して条約を違えることなく遵守している。
俺は安全な魔王城でのほほんと暮らしつつ(大抵は執務する魔王様の膝の上でぷるぷるしている)、少しずつレベルを上げる日々を送っている。
だがそれは闘うためではなくて、えーと、なんだ。
つまり、抱きしめられただけでHPが減るようでは困るので。
ま、平和が一番ということで。




