お見合い前のある令嬢と侍女のやり取り ~誰がとは言わないけれど人でなしだった件~
「緊張で吐きそう……」
一人の令嬢が青白い顔で項垂れていた。令嬢の顔色の悪さは、化粧でも誤魔化しきれていない。そんな令嬢の傍らには、彼女に仕える侍女が控えていた。二人は令嬢の自室で、令嬢のお見合い相手が屋敷に来るのを待っている最中だった。
令嬢が初めてのお見合いでここまで緊張しているのは、お見合いに対して良いイメージを持っていないからだ。お見合いで連戦連敗しまくり、『こうなったら、私はゴリラとお見合いすればいいのかしら?』と姉が真顔で言っていたのを、令嬢はずっと忘れられずにいる。
このままでは緊張で死にかねない令嬢を見かねて、侍女は令嬢に声をかけた。
「そこまで緊張される必要はありません。あいつはお嬢様が緊張する価値がある奴ではありません。気楽に望めばよろしいかと」
「え? 今日のお相手は貴方の知り合いなの?」
それまで椅子に座って自分の膝を見続けていた令嬢は、侍女を見上げて目を丸くした。今日のお見合いの相手が、田舎領主の息子だということは予め聞いていた。息子とは言っても、養子で血のつながりは全く無いのだが。
侍女が令嬢に仕え始めたのは、二年ほど前のことである。片田舎から出稼ぎに来た彼女を一目見て気に入った令嬢が、自分の専属に大抜擢したのだ。
侍女の故郷とお見合い相手の領地が同じだとは、令嬢は思ってもみなかった。
「幼馴染のようなものです」
心底苦々しげに侍女が言い、令嬢は良いことを思い付いた。両親に一方的に決められたので、令嬢はお見合い相手の情報をほぼ知らない。名前はおろか、田舎領主の養子ということだけしか知らなかった。
「どんな人なのか、知っていることを教えて欲しいわ。お願い」
令嬢たってのお願いを侍女が叶えないはずがない。侍女はどう言ったものかと、しばし考え込む。
「そうですね……、イケメン……のようなものです」
「イケメンに変な何かが付いたわね。ようなものってことはつまり、イケメンではないのね」
「あいつは常に仮面を着けています。『お面を外したら、僕はただのイケメンになってしまうではないか!』とか、あいつ自身がほざいていましたので」
「何を言っているのかしら? 言っている事がなかなかにやばいわね」
これが世に言う残念イケメンか。緊張と不安で死にそうになっていた令嬢は、侍女との話のおかげで多少持ち直してきた。その様子を見て、侍女はさらに話を続ける。
「大人になった今はだいぶ減りましたが、昔のあいつは今みたいな意味が分からないことを、よく口走っていました。『笑いたければ笑うがいい。僕は神隠しする側だったはずが、神隠しされる側になっちゃった身だ』とか」
「それで貴方は何て返したの?」
令嬢が侍女にそう尋ねたのは、今日のお見合いでの返しの参考にしようと思ったからだった。
「笑うがいいと言われたので思いっきり笑ってやったら、あいつは泣きながら走り去っていきました」
「正解の反応は私もいまいち分からないけれど、爆笑が間違っていた事だけは分かるわ」
あと本当に言っている意味も分からなかった。神隠しって何? 侍女に訊いてもたぶん分からないだろうと、令嬢は理解することを諦めた。
「他に知っていることはあるかしら?」
「あいつが養子だという話は、お嬢様も知っていますね?」
「ええ、それだけは知っているわ。でも引き取られた経緯とか、そういうのは知らないの」
「ではそれについてお話ししましょう」
これから重い話が始まるのではないかと、令嬢は身構えた。
「幼いあいつは行き倒れていたところを、領主夫妻に拾われました。子供がいなかった領主夫妻は、拾ったあいつをおもしれー奴だと、養子として引き取ることにしました」
「養子にするノリがびっくりするほど軽いわね」
田舎から出稼ぎにきた侍女を自分の専属に抜擢しているので、実は令嬢も似たようなことをしている。
「領主夫妻がなぜあいつをおもしれーと思ったのかというと、行き倒れていた時から、長い鼻の赤い仮面を着けていたからです。あいつはいつでも同じ仮面を着けていて、あいつが言うには『なんかこっちに来たら、外せるようになった』だそうです」
「それってつまり、元々は外せなかったということよね? 呪われていたのかしら?」
「それは無いかと。あいつにとって仮面はアイデンティティーらしいです。私が『仮面が本体かよ』と突っ込みましたところ、『仮面じゃないもん、お面だもん』と」
「仮面お面うんぬんより、もっと他に文句を言うべき箇所があったわよね」
仮面が本体の部分に文句はないのか。先にそちらに文句を言うべきではないのか。否定しないということは、まさか本当に仮面が本体……。令嬢はこのことについて、それ以上考えるのを止めた。
侍女とお見合い相手のやり取りを聞く限り、二人は相当気の置けない関係だったようだ。令嬢はある可能性に思い至った。
「ねえ、もしかして二人は……」
令嬢はつい言葉を濁してしまう。
「お嬢様の推察の通りに、私とあいつはとても深い関係にありました」
「まさか恋仲だったの?」
令嬢はドロドロとした三角関係を想像し、今日のお見合いは上手くいかない方が良いかもしれないと思った。
「それはありません。深いのは因縁です」
仮にお見合いが上手くいっても、別の理由でドロドロしそうである。令嬢は侍女にその因縁について語ってもらうことにした。
「お嬢様のご期待に沿えるような、面白い話ではありません。何か例を挙げるとするならば、私はあいつに沼に引きずり込まれたことがあります」
令嬢は侍女が沼と言えるほどに、熱烈にはまっている物を知らない。純粋な興味で令嬢は侍女に尋ねた。
「あら、何の沼なの?」
「どんな沼かですか? 泥沼でした。熾烈な泥沼の争いでした」
「まさか泥沼で争ったの? 比喩ではなく、場所の話? 泥沼に引きずり込まれて、そのまま争ったの?」
侍女は重々しく頷いた。
「私が何の理由も無くただ何となく、あいつを泥沼に突き落としたせいかもしれません」
「それは全面的に貴方が悪いと思うわ」
やり返されて当たり前だった。というか、侍女がそこまでお転婆だったと令嬢は知らなかった。お転婆というか、若干サイコパ……いやこれ以上は言うまい。
「泥沼の争いからしばらくしてのことです。空を飛んでいたあいつは、私のことを一目見た途端、翼を翻して逃げ出そうとしました」
「え? 翼?」
「あいつは翼を生やして飛ぶことが可能です」
さも当然のように侍女が言う。
「非常に気に食わなかったので、とりあえず魔法で狙撃し射落としました」
侍女は下手な護衛よりも強い。魔法で狙撃されて無事だったのかと、令嬢は心配になった。
「今日お見合いするんだから生きているのは分かるけれど、大丈夫だったの?」
「あいつは頑丈なので大丈夫です」
侍女はそう言うが、肋骨一本にヒビが入り、せき込んだり笑ったりするたびに痛かったので、あまり大丈夫ではなかった。でも射落とされたわりに、その程度の怪我で済んでいるので、頑丈なことは確実だ。
「因縁についてはこれくらいにしておきましょう。話が終わらなくなってしまいます」
もっと聞きたかったような、聞きたくなかったような。
「ええ、分かったわ。じゃあ性格について教えて?」
「私が出会ったばかりの頃は、人を見下した本当にいけ好かない奴でした。でも今は領民達から慕われているようですし、何だかんだ言いましたが悪い奴ではありません」
「きっと虐げられる人の気持ちを思い知ったのね」
やり返すこともあったようだが、お見合い相手は侍女にほぼ一方的にやられていた。周りが侍女を止めなかったのは、性格矯正されないかと淡い期待をしていたからかもしれない。
さて、これまでの話を総合すると。
「貴方の話を聞いて、悪い人ではないけれど、まともな人でもないことが分かったわ」
「そうですね、あいつはまともに人ではありません」
「え? 人ではないの?」
「誰も人だとは一言も言ってはいないかと。あいつが言うには、あいつは異世界から来た『テング』なのだそうです」
令嬢が思い返せば、確かに誰も人だとは言っていなかった。
「もっと早く言って欲しかったわ。人でないのなら、今までの話全部そんなものかと、すんなり受け入れられるわね」
侍女がした仕打ちだとか受け入れてはいけない部分も多々あったのだが、令嬢は特に気にしない。
「初めてのお見合いの相手が人でないという事実に、少しは疑問を持ってください、お嬢様」
侍女ちょっと心配。
「でも、懐が深いそんなお嬢様も素敵です」
侍女は心配だけれど、これが令嬢の良いところだとも思う。侍女と話している内に、令嬢の不安と緊張はもう完全にどこかに行っていた。
頃合いを見計らったかのように、お見合い相手が到着したと知らせが入り、令嬢と侍女は本日のお見合い会場である応接室に向かう。
「先程は常に仮面を着けていると言いましたが、今日は着けていないかもしれません」
「あらそうなの? まあそうよね」
この国では正式な場で仮面を着けるのは失礼にあたる。お見合いの場なら外していて当然だ。
「たしか……仮面を外すと落ち着かなさすぎるから、代わりにメガネをかけて気を紛らわせると言っていたような……」
侍女は言ってから、しまったと気付いた。最後の最後でやってしまった。侍女が令嬢の顔を見れば、令嬢は目を爛々と輝かせていた。
「メガネの形は? ラウンド? スクエア? レンズの材質は? フレームの材質は? 色は? 似合ってる? 似合ってる? 似合ってるの? ねえ!?」
令嬢はメガネのことになると人が変わる。




