出会い
「ブーン、ブーン、ブーン」
まぁまぁ広い室内を手をバタバタさせて両足をバタつかせて、花瓶の花をじっと見つめてる男の人、壁に指揮棒を振り続けている中学生ぐらいの男の子、これ見よがしに扇子を顔の前にバタバタと降り空を見ている女子高生、そして、そのコのお尻の匂いを嗅いでいる丸メガネをかけた同じぐらいの女の子。
普通の人がこんな状況を見たら、ここは特殊な病院なのか、まぁ、想像力が豊かな人間であれば劇団員が芝居の稽古をしているのか、いずれにせよ日常には見えない。
だけど、ここは…。
「あそこでブンブンと口で羽音を出しているのは前世がハチだったから、今もああしてハチミツを採取しようとしてるんじゃ」
何事も無いように、魅也子はテーブルの上に置かれたティカップに口を着けた。
そう、ここは何かの実験施設でも何でも無くただの日常らしい。
どうして、自分がこんな訳の分からないとこにいるかと言うと。
それは昨日の事だった。
死にたい。
何でだろう?
今の生活に全く不満なんて無いのに。
ここのところ唐突にそんな事を思ってしまう。
夕暮れ時、西陽の明かりが少しづつ闇に飲み込まれてゆく。
級友達と別れ学校からの帰路、通い慣れた道なのに、家に続くこの一本橋を渡り切れば無事に帰れるのに。
ここに来ると足が重くなる。
重力で引っ張られているかのように足が上がらなくなる。
生きていたって仕方ない、これ以上何を望む?誰も僕を必要としていない。
ああ、頭も心も僕に死を選択させる。
急に襲ってきた悪寒に頭を抱え踞った。
今まで生きていて楽しい事なんてあった?
どうしたんだろう?僕?何も思い出せない。
楽しい事たくさんあった筈なのに。
僕より弟を大切にする母親、勉強勉強と成績でしか見ない父親。
あれ?もしかして…僕はいらない存在?
このまま…ここから飛び降りたらどんなに楽だろうか?
橋の手すりに手を乗せるとさっきまでの震えが治まった。
ああ、このまま楽になれる。
すっと息を吸い手に力を込める、その時。
「日々生きていて違和感を感じる事はない?」
ハキハキとした女の人の声が僕の行動を止めた。
すっと伸びた影が動きを止め僕をじっと見詰める。
「ふと目に入ったモノを愛しく感じる事はない?今まで全く興味の無かったモノなのにどうしてこんなに惹かれるのだろう?と感じる事はない?」
振り返ると、僕より頭一つ分ぐらい小さな女の人が立っていた。
腰まで伸びた闇を投影するようような真っ直ぐな黒髪には一輪赤い花の髪飾りがついていた。
「それは全て前世からの因縁」
私の手をぎゅっと握り長い睫毛を下に伏せ言葉を続けた。
「袖振り合うも他生の縁、人は昔から前世との繋がりを信じてきた」
不思議だった。
彼女の言葉を聞いていくうちに、さっきまでの暗い気持ちが消えていくのを感じた。
「あ…と、えっと、貴女は?」
「今日はもうお帰りなさい、早く家に帰り、温かいご飯を家族と食べてゆっくり休みなさい」
「えっと…」
「私は魅也子、明日、この場所に来なさい、話はそこで」
そう言うと私の手の平に一枚の紙片を握らせ、彼女は闇の中に消えて行った。
そんな訳で今僕はここにいる。
オフィスビルの雑踏を抜け、こぢんまりとした路地裏にいくつかの占い館があり、紙片に書かれたその場所はその中の一角にあった。
廃墟のように寂れた狭い階段を上り重い扉を開けると、そこは別世界だった。
どこまでも続く真っ白な壁紙、天井には大きな大きなシャンデリア、きらびやかな食卓、クラッシック調の音楽まで聴こえてきた。
間違って入ってしまったのかと思ったが、魅也子の姿を見て安心した。
「あの…どうして、僕をここに?」
恐る恐る口を開けると、魅也子は小さく息を吐いた。
「貴方自分の命の灯を消そうとしていたから」
「え?」
「昨日言ったでしょ?前世からの因縁って」
魅也子は大きな真っ黒の瞳を数回瞬きさせると彼女の瞳の色が真っ白になった。
僕は彼女から目が反らせなくなり、息を止めたまま彼女を見た。
「一度死の道を選んだ人間は何度転生しても死の道を選択してしまう、稀にそんな人間がいるのよね」
彼女の目の中に見知らぬ長身で金髪、青い瞳をした青年がバルコニーから飛び降りる姿が写し出された。
気分が悪くなり口元を手で抑えた。
「彼も18の誕生日を迎える数日前に自分の命を絶った。お主ももうじき18を迎えるのだろ?」
魅也子は残っていた紅茶を一気に飲み干した。