聖女様、上で良いんです。下じゃありません。
一か月前、魔族領に変化があった。
知能が高い一部の魔族はともかく、理性の欠片も無い魔物、魔獣が足並みを揃えるなど、ありえない。
それ以上に強大な力を持つ主に従っていると考えて良い。
つまり、考えられるのは魔王の誕生。
何百年単位で繰り返される人類、亜人類と魔族の戦争が幕を開けるということだ。
この緊急事態に国家連合軍の首脳陣による会議は紛糾した。
攻めるのか、守るのか。
やばい敵が出現したってのに始めたのは長々とした話し合い。
つまりは後手に回ったってわけだ。
魔族領から一番近い、我が国の国王は早急に手を打った。
国境の村々に住む民たちを王都付近に避難させたのだ。
案の定、魔族は我が国の領土に侵攻。
人的被害は無かったものの、いくつかの村は敵の手に落ちた。
襲ってきた敵を撃退するのは当然のこと。
国王は軍隊の出兵を決めた。
敵の数は魔獣に乗った騎兵も含めて、約一万。
比べて小国な我が国がかき集めたる軍勢は、約三千。
グダグダくっちゃべってる国家連合軍が援軍として到着するのは、我が国の軍が全滅してからになるだろう。
いくさで一番初めに接敵するのは、切り込み隊である一番隊。
つまりは俺たちってわけだ。
そしてその中でも先陣を切り、敵の群衆へと突っ込むのは隊長である俺だ。
出陣を翌日に控えた午後、俺は国王に呼ばれた。
聖女様から個人的に祝福を授けてもらえ、とのこと。
誰かがチクったのだろう。
俺が聖女様にあこがれを抱いているのは、一番隊の隊員しか知らない。
要するに祝福なんてのは口実で、死ぬ前にあこがれの女に会わせてやるということだ。
あとが無い俺にとっちゃ金や物より良い話。
死出へのはなむけにしちゃ随分と気が利いてる。
王城の中に併設されたこじんまりした礼拝堂。
その中で聖女と二人きりで会うことになった。
齢は俺と同じ二十代半ば。
間近で見る聖女は美しかった。
町娘や酒場で見る女なんて、それこそ別種族に思えるくらい。
清楚かつ美麗。
か細い腕に、華奢な腰つき。
なのに相対すれば身が引き締まるほどの厳粛さ。
緊張の中、俺は祝福を授かった。
祝福が終わると聖女は言った。
何かして欲しいことはありますか、と。
俺は顔を上げ、聖女の顔を拝む。
俺だって男だ。女にして欲しいことはありますか、と聞かれればそれなりにある。
だが、聖女の顔を見ればやましいことは一切、浮かんでこなかった。
明日、死ぬというのに俺は不思議と落ち着いていた。
俺の視界に聖女の美しい髪が目に入る。
「あの、一つお願いがあるのですが」
「はい」
俺は思い切って言う。
「一本で良いので、髪の毛を頂けないでしょうか」
この言葉に聖女は黙り込む。
よく考えれば気持ちの悪い発言だったかもしれない。関係性の無い男に渡すには少々、気が引ける代物だろう。
長い沈黙のあと、聖女が口を開く。
「それはその……。毛はお守り的な意味で欲しいのでしょうか」
「ええ、まあ」
聖女はそうですか、と言ったあと顔を真っ赤に染めた。
その瞬間、神々しい存在から一気に生身の可愛らしい女性へと変貌する。
そして聖女は、少々お待ちください。と言い残して礼拝堂から出ていった。
聖女の急激な変化に俺は戸惑った。
理由は分からないが、胸がざわつく。
少しの間、待っていると聖女が少々艶めかしい顔で帰ってきた。
聖女は顔を朱に染めたまま、折りたたまれたハンカチを俺に差し出す。
「このまま、お持ち帰り下さい。ハンカチは差し上げます」
――なんだろう。
俺は見てはいけないものを見ているような気がして、聖女の言葉に頷いた後、祝福の礼を言ってから礼拝堂を出て行った。
外へ出ても胸騒ぎは収まらない。
俺は礼拝堂の外壁へと駆け寄る。
風でハンカチの中身が飛ばないようにする為だ。
周囲を見渡し、無風状態なのを確認してからハンカチを開く。
そして、ハンカチに挟まれていた毛を確認した。
――どう見ても髪の毛じゃない、よな。
毛は思いっきり縮れており、太さも違う。
これって、いわゆる……下のおケケでは?
見入っているとなんだか禁忌を犯しているような気がして、俺はハンカチを折り畳んで胸元のポケットへとねじ込んだ。
その後、酒場へと足を運んで顔見知りの常連たちにそれとなく聞いてみた結果、今回の聖女の行動理由が分かった。
一部の田舎では、戦地に向かう男たちにお守りとして、好きな女が自分の下のおケケを持たせる風習があるという。
聖女はその地方の出身なのだろう。
俺はちゃんと髪の毛、と言ったのだが、聖女は毛とお守りという言葉に反応して勘違いしたに違いない。
次の日。
俺たちは出陣した。
平地を挟んだ向うに見えるは一万の大軍。対して俺たちはその半分以下。
敵は余裕の兵力差からか嘲りの笑いを漏らしているが、俺たちは全ての者が国を守ろうと決死の覚悟の顔つきだ。マジでいい面構えだぜ、お前ら。
均衡が崩れすぎて、にらみ合いとも言いづらい兵力の差を見ながら、うちの部隊の若手が震える声で俺に話しかけてきた。
「隊長、いま何を考えていますか」
「ん? 昨日のことだが」
俺が悩むことなく答えると若手が少し微笑む。
「こんな時に女のことですか? やっぱ隊長ってすげえっす」
コイツも俺が昨日、聖女に会ったことを知っているのだろう。俺の言葉を聞いて緊張が解れたのか、隣で大きく深呼吸をする。
そうなのだ。
俺は昨日からずっと、懐に入っているおケケのことが頭から離れないのだ。
やばい、やばい。
現状を思い出し、俺は馬の鼻先を横に巡らせると、少し遠くにいる将軍へと顔を向ける。
「将軍、いつまで俺たちは突っ立ってりゃいいんだ? 数が少ねえんだから、先に仕掛けないと勝てねえぞ」
俺が大声で問うと、将軍は強張らせた顔を引き締めた。
「ぬかしよる! なら一番隊の隊長には格別の働きをしてもらおうか。皆の者、一番隊に続けよ! 全軍、突撃用意!」
――分かってるじゃねえか。そう、突撃。今の俺たちが取れる作戦なんて突撃しかないんだよ。
皆が鬨の声を上げる中、俺は、いの一番に馬で走り出す。
スピードに乗り、視野が広がる。俺の前には味方は誰も居ない。見えるは一万の魔族、そして魔獣だけだ。
疾走の中、俺の背に声がかかる。
「先ほどの檄、感謝する」
将軍だ。馬に乗った将軍が俺たち一番隊の馬群に紛れ込んできたのだ。将軍は全滅確定のいくさを始めるきっかけを言い出せなかったのだろう。感謝は俺がそのきっかけを作ったことに対する礼だ。
「おいおい、あんたが先頭にいたら、軍の統率が取れないだろ」
「フハハ、いつも後ろで仲間の死を見守らされているんだ。最後の戦いぐらい好きにさせてもらうぞ」
――最後って言っちゃったよ。まあ、いいか。
そんなことを思いながら、俺の馬を抜かそうとする将軍に負けないように俺は魔族の軍勢に突っ込んだ。
はず、だったんだが……。
おかしいことが起こり始めていた。
魔族の軍に近づけば近づくほど、相手が下がっていく。
そう、ジリジリと後退していくのだ。いくら荒くれ揃いの魔族軍と言えど決められた陣形で列をなしている。当然、後ろが詰まっているのだから、まともに下がれるわけがない。
前列が強引に下がり始めると、後列ともみ合う形となり、団子になっていた。
明らかに混乱している魔族が突撃している俺たちを指さして言う。
「アイツ、何だ。とんでもねえ物を持って来てやがる!」
「ありえねえ! どけどけぇ、あんなのが傍に寄って来るなんて聞いて無え、オレは逃げるぞ」
「ニンゲンどもは恥も外聞もないのか!」
等々。
突撃状態の俺は、敵の声を聞いて頭にあることが浮かぶ。
――あいつらの言ってることって、もしかして聖女様のおケケのことでは?
だが、俺は即座に頭を振ってその考えを否定した。
そんなわけがない。
俺がずっとおケケのことを考えているからそう思うだけだ。馬鹿なことを考えずに、戦いへと専念しなければ。
そして接敵。
だが、敵のほとんどは背を向けて逃げ出しているのだ。後ろから槍で突くのは少々忍びないが、これも戦いだから勘弁してくれ。攻め入ってきたのはお前らだからな。
敵はほぼほぼ謎の恐慌状態に陥っているとはいえ、応戦してきている魔族も居る。
俺が馬上から槍を振るっていると、一番隊の同僚がある一点を指さす。
「隊長! 魔王だ。魔王があそこにいる」
ハア? 魔王。こんな所に魔王なんているわけないだろ。と思うが、見れば風格、漏れ出す魔力、オーラともども、どう見ても魔王な存在が視界に入った。人間との戦いの初陣で、圧倒的な魔族軍の力を見せつけにでも来たのだろうか。
まあ、ずっと引きこもっている大将なんざ誰も尊敬しねえし、勝ち確の初戦に浮かれて出陣したのかも知れない。
俺は一番隊に指令を出す。
「おし、魔王の首を獲りに行くぞ。お前ら、ついてこい」
そう言って、俺は魔王の方へと馬を走らせた。
一番隊と共に敵の群衆をかきわけて、魔王へと特攻。
俺の姿を見た魔王が叫ぶ。
「お、お前はなんというものを持ってきておるのだぁぁぁ!」
知ったこっちゃない俺は馬上で槍を構えたまま、突っ込む。
いや、知ったこっちゃないは嘘か。
やっぱおケケのことかな。
そんなことを考えていたら、俺の槍は魔王を貫いていた。
なんとなく思考が分散していて集中できていない。そんな俺の肩を背後から叩く奴が居る。
将軍だ。
ずっと一番隊と動きを共にしていた将軍が興奮気味に俺へと叫ぶ。
「早く首を獲れ! そう、そうだっ、よし、取ったのなら勝ち名乗りを上げよ!」
将軍が必死に急かすので俺は馬から降りて言われた通りにする。
俺の勝利宣言に合わせて、味方のラッパが吹かれる。けたたましい音が戦場に響き渡ると、魔族たちは一斉に逃げ出していった。
始まるまでは絶望的だった戦いが信じられないくらい呆気なく終わると、みんなが俺の周りに集まる。
一番隊の若手が俺に尋ねる。
「魔族の奴ら、なにかに怯えて喚いてましたけど……。隊長、ヤバイ物でも戦場に持ち込んでいたんですか?」
「ああ、それは」
俺はそう答えながら胸ポケットに手を入れようとする。もちろん、おケケを取り出すためだ。
だが、ふと考えて止めた。
そしてポケットに持っていっていた手を握りこぶしに替えて、自分の胸板を叩いた。
「俺の、みんなを守るという熱い心意気に奴らは恐れをなしたのかもな」
俺がそう宣言すると、場が一様に白けた雰囲気になっていた。
将軍以外は。
将軍はいたく感動した面持ちで俺のことを見ていた。
――なんだよ、お前ら。将軍を見習えよ。
まあ普段、こんなことを言わない俺が変なこと言い出したらこうなるか。
そんなこんなで俺たちは魔族との初戦に大勝利したのだった。
■ ■ ■
以降。
魔族はあれから俺たちの国を攻めてこなくなった。
別におケケを恐れたわけじゃない。
魔王を失った魔族は、魔王の息子、そして魔王に従っていた四天王がそれぞれ五つの派閥に別れて、魔王の跡目争いを始めたのだ。
人間の世界でもよくあることだ。頂点が死ぬと、次は俺が、とばかりにのし上がろうとする。
次の魔王が決まるまで、人間の領土侵攻など後回しになるだろう。
実際には、既に獲得した領地を維持しようと、ちょろちょろと攻め入ってはきたのだが、五つに別れた魔王軍のうちの一つの派閥が出す軍隊の規模など、たかが知れてる。少数なら問題なく俺たち王国軍だけで対処できた。
攻めてくるような、来ないような、生ぬるい警戒状態が続くせいで身動きが取れなかった俺が一息つけるようになったのは、約一か月後だ。
あの戦いから一か月経って、ようやく国家連合軍からの援軍が到着したのだ。ありがたいっちゃありがたいが、戦況が変わっても未だに首脳陣は、魔族領にまで攻めていって元凶の根を絶つのか、国境に砦などを築いて鉄壁の守りを固めるのか揉めている。
気の長いこって。
援軍のお陰で俺は休暇を貰えることになった。
国王から褒美は何が良いかと問われたが、俺は再び聖女との面会を望んだ。
礼も言いたいが、詫びなければならないこともある。
面会の日。
またもや礼拝堂で会うこととなった。
聖女様は、いつもの神々しい聖女様だった。
俺が礼拝堂の中央まで進むと、聖女様は恭しく頭を下げた。
「勇者様、遅れましたがこの度は戦勝、おめでとうございます」
「その呼び名、止めて下さいよ」
聖女に言われて、照れ臭くなった俺は言う。
そうなのだ。
初戦で魔王を討ち取った俺は、ちょくちょく勇者扱いを受けているのだ。たかが一戦、戦っただけ、しかもその場に居合わせた魔王をたまたま倒しただけなのに、横で見ていた将軍が話を広めまくったせいで、大層な呼び名で呼ばれることとなった。
「物語の冒頭に、顔見せに来た魔王を倒したなんて、冒険譚にしては短すぎますから」
俺がそういうと、聖女様はクスリと笑う。
あこがれの存在を笑わせて、少し緊張が解けた俺は言葉を続ける。
「今日、聖女様に会いに来た理由はですね。この前のお礼と懺悔がありまして」
俺の告白に聖女が首を傾げる。
「懺悔、ですか?」
「ええ」
そう言うと俺は懐に手をやろうとする。だが、止めた。よく考えれば目の前で本人のおケケを取り出すなど、聖女様にあこがれを抱いている俺には無理だった。
俺はハンカチを返すことを諦めて、咳ばらいをする。
「えーっとですね。その……この前頂いたものが、魔族にはとても効果的なものでしてですね」
俺は馬鹿だ。なぜ事前に熟考しなかったのだろう。礼だ、懺悔だ、と言ってはいるが、その話をするにはどうしてもおケケのことに触れなければならない。
案の定、目の前にいる聖女様は顔を真っ赤にし始めた。
デリカシーの無い男だと思っているのか、絶句している聖女様。
もう引き返せなくなった俺は続ける。
「それでですね。あのいくさに勝ったのも、魔王を討ち取れたのも、聖女様から頂いた、その、まあ、ブツのお陰で勝てたんですが」
「ブツ」
あまり聞きなれていない単語なのか、聖女様が無意識に繰り返す。しかし、俺は無視して先へと進む。
「本来の手柄は聖女様なのに、俺は黙っていたんですよね。それを謝罪したいと」
話したいことを全て言うと、俺は黙り込んだ。
しばらくの間、頬を紅潮させていた聖女様は大きく息を吐いたあとに口を開く。
「でもそれは、私のことを考えてのことでしょう?」
「それはその通りです」
まあ、そうだ。
魔王を討ち取った後に、俺がおケケのことを言わなかったのはまさしく聖女様の為だった。
聖女様のおケケに魔族を畏怖させる効果があるなら、誰でも欲しがるだろう。
とはいえ、ものには限りがある。我が国の軍のみならず、後から国家連合軍も援軍としてやってくるのだ。数はそれこそ万単位。例え下のおケケだけでなく、他の毛にも効果があるとしても、希望者全てが欲すれば聖女様は体毛全てを失ってしまうことになる。
「そうですよね。私の、その、ブツ、ですか? それのお陰で勝てたって言ったら、私、ツルツルになってしまいます」
その時聖女様は、明らかに。
下を見てツルツルと言っていた。
――やっぱり下のおケケだったのか。
俺が共に視線を追っていたことに気が付いた聖女様は、更に顔を赤くした。
それから、唇を引き締めて涙目になり、こちらを睨むようにする。
だが、その表情は完全に怒っているというより、恥ずかしいのを誤魔化しているようにしか見えない。
ぶっちゃけ、可愛い。
「私だって髪の毛が欲しいと言われたことくらい、分かってます」
――ん? どういうことだ。
「でもね、聖女って誰も声をかけてくれないのです」
――おいおい、話が変な方向へ曲がり始めたぞ。
「もちろん、男の人からです。なんか近寄りがたいとか、恐れ多いとか」
――まあ、それは分かる。
「私も二十歳を超えているのです。恋めいたことの一つもしたいのです」
聖女はだんだんと早口になっている。
「下の……ブツですか? それを渡すことが非常識だなんて分かってます。でも私の出身地では、その……好きな人がお守りにしてくれるっていう言い伝えがあるのを知ってましたし」
聖女の声が小さくなっている。
「いや、あの時、私は勇者様のことはよく知りませんでしたよ。でも勇者様が私のことを好ましく思っている、というのは聞いておりましたから……。これは殿方とお近づきになれる好機ではないか、と」
まだ続く。
「それにお世話をしてくれる女の人たちから聞けば、女は上品でお高く留まっているより、少々隙のある下品なくらいが好まれると聞いて」
誰だよ、聖女に変なことを吹き込んだのは。上品より下品がいい、なんて。最高かよ。
というか、次の日には国が滅んで皆が死ぬかも知れないって時に、聖女様は恋愛のことを考えていたわけか、大したタマだぜ。
「あの」
いまだ真っ赤になってボソボソと愚痴っている聖女に俺は割り込む。
俺は言う。
「今度、二人でメシでも食いに行きませんか。美味いところを知ってるんで」
俺は覚悟を決めて聖女をデートに誘う。
すると俺の唐突な誘いに聖女は不意打ちを食らったかのように、一瞬、動きを止めたあと、
ぱあっと顔を明るくして、ニッコリと極上の笑みを見せてくれた。
おしまい。
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