人形と男
「ちなみに山越えで西に行こうとしたらどれくらいかかります?」
「……しっかり準備して、案内人もつけて、天候もよければ七日ってとこかね。道が消えてるところも多いから」
「でも、その案内人になりたがる奴がいない、と」
太郎はそれを聞いて苦笑した。
「その通り。迷うことを考えたら、船を待った方がいいよ。渡し値も安いし」
荷物を下ろして軽くなった船をただ戻すより、人を乗せた方が儲かって船頭も喜ぶという。だから話はすぐまとまる、と次郎も言った。
「こっちからの荷は乗せないんですか?」
「今はまだ、日持ちするもんの収穫期じゃないから」
「……参考になりました、ありがとう。村を探してみて何もなければ、その船に乗せてもらうことにします」
しばし、会話がなくなった。愛生はぼんやりと囲炉裏の火を見ている。家族が食器を片付け始めた時、不意にゆらりと影が動いた。
「もし、そこの旅の人よ」
「うわ、爺さんが動いた」
失礼だと思いながらも、愛生はついそう言ってしまった。爺さんはその間に、ひたすら飯をかきこむ。
「あんた、河原にいたらしいな。もしかして何か見たか?」
「いや、何も知らない……」
やや間をおいて、爺さんは口を開いた。
「……もうあそこには、行かん方がええ。あれは、儂らが関わるもんじゃないわ」
突然重い声を放られ、愛生は言葉に詰まった。ぴしりと愛生の周りの空気だけが引き締まる。
「何故ですか?」
やっとそう聞き返しても、爺さんは軽いいびきをかきながら眠ってしまっていた。
翌朝、愛生は眠い瞼をこすりながら起きた。住民たちが早起きなため、朝飯を一緒にとろうとすると、愛生も夜明け前に起こされることになるのだ。愛生はうとうとしたまま食事をとっったため、ろくに味が分からなかった。それでも、子供の明るい声を聞きながらとる食事は悪くなかった。
食事の片付けを手伝い、薪割りを済ませると、愛生は今日出かけたら戻らないことを告げた。すると弥助も奥方も、ひどく残念がってくれた。
「遠慮せんでええがね。お夏もお時も懐いとるし、しばらくゆっくりしていけばどうだい」
「そうよ。どうせ煮炊きなんて、一人増えても同じ手間だし」
「……本当にありがとうございます。でも、ちょっと事情がありまして」
なんとか言い含めて、囲炉裏の前にたむろしていた家族と別れを済ませた。あの河原に何か問題があるとしたら、それを探ろうとした愛生もただではすむまい。この善良な家族を、変な騒ぎに巻き込みたくはなかった。
愛生は、のんびり歩きながら空を見上げる。
村でも、人形のことを何人かに聞いてみた。ぽつぽつ知っている人はいたが、だいたいは気持ち悪そうにするか、興味がないといった様子。本当のことを知っていそうな住民は、一人もいなかった。別に事情があって隠している感じでも、誰かに遠慮している感じでもない。
それに、村の中には人形に関するものは何一つなかった。困った愛生は、結局同じ場所に戻ってくることになる。
ひょっとしたら、連中はもうあそこにいないかもしれない。そんな心配もしたが、それは杞憂だった。
「始まってたか」
丘を駆け下り、堤防の上から荒れた河原を見下ろす。そして愛生はひとり人形同士の戦争を見ていた。頭数は昨日とそう変わりない。愛生の姿を認めた人形もいたようだが、やはり河原から出て襲いかかってはこなかった。
ちょうど戦が最高潮に盛り上がっているところで、首や手足が乱れ飛ぶ。愛生はそれを複雑な思いで見ていた。壊れた人形は、誰かが修理しているのだろうか。昨日、声をかけられて目を離してしまったことが悔やまれた。
無言でしばらくそうしていると、ぽつぽつと愛生の頭を何かがたたく。愛生ははっと頭を上げた。
「雨か……」
弥助たちの言うことは当たっていた。やがてあちこちの川に水が集まり、流れが大きくなれば船がやってくる。もうしばらくの辛抱だ。
しゃがみこんでいた愛生は、腰を伸ばして立ち上がる。村に向かって踵を返そうとしたその時、横道からひょいと小柄な男が出てきた。年は愛生より三十ほど上、といったところだ。兜も鎧もつけていない、極めて軽装だ。それでも奇妙に見えるのは、男が和服でなく、普段の愛生と同じような黒い洋装をまとっているからだ。
男は河原に顔を向け、そのまますたすたと降りていった。
「誰だ、あいつ」
いきなり集団に飛び込んできた男を、人形たちは黙って見つめている。男は血色の悪い顔をしているが、崩れた人形たちを事も無げに修理し始めた。現実世界にいたとしても、類い希な職人として通用しただろう。
「器用なもんだな……」
ほとんどの人形はその場で綺麗になったが、数体は損傷が激しかった。どうするのだろう、と見ていたら、男は人形を肩にかつぐ。そして傍らに置いてあった荷車に、無造作にそれを放り込んでいった。
「あ、あの。ちょっと」
愛生は寂しげな男を呼び止めた。




