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勝負を分けたもの

 月の光は広場を満遍なく照らしていた。しかし、そこは今や不快極まりない空間と化している。


 生臭い。道端の、車に踏みつぶされた蛙を集めて煮詰めたような臭い。愛生あいの記憶の中の、「最悪」の臭いが更新された。


 雑魚蛇が、怯えた様子で後ろに下がる。そいつらを尻尾ではじき飛ばし、今までとは比べものにならないほどの巨体──王が、姿を現した。スカーレット卿自体が、体を変えていったのだ。体の直径は十メートルを軽く越え、大きく開いた口の中からは鋭い歯が並んでいるのが見える。


 そして彼の目は、黄金色に輝く球体と化していた。人の瞳ではありえない、極端に細くなった瞳孔。それが愛生をとらえる。


「……おいおい、マジかよ」


 愛生は驚きを軽口で誤魔化す。そうすることしかできなかったのだ。


 スカーレット卿が身をくねらせた。あれほど大事にしていた黄金の玉座が、尾の一撃で消し飛び、段の下に落ちる。愛生は破片をかろうじてかわしたが、りゅうは至近弾を受けて再び姿が見えなくなった。


「龍!!」


 石床が剥がれ、もうもうと土煙があがっている。悲鳴も聞こえない婚約者の名前を、愛生は必死に呼ぶ。しかし、卿の声は無慈悲だった。


「今度こそ落ちたかな。──そうそう、外壁は先程の指摘を受けて、より硬くしておいた。弾丸程度では刺さらないくらい、硬くね」


 頭上から、矢のような視線が愛生に突き刺さってくる。


「このまま潰してやる」


 厚い胴体を見せびらかしながら、スカーレット卿が言った。愛生はその影にすっぽり入ってしまっている。


 だが、絶対に俯かない。相手の気配に押されない。たとえ、どんなに強い化け物だったとしても。


 のしかかってくる卿に向かって、愛生は長刀を振るった。抵抗が重くて肩がみしみし痛む。それでも反撃は、巨大な蛇の胴を大きく歪めた。だが、胴を切り裂く前に、数多の敵を斬ってきた長刀が限界を迎えた。小さな火花と共に砕け散る。


 卿が頭を振り上げ、そして地面に打ち付ける。巨体の殴打によって、床が大きくえぐれた。


「くっ……!」


 長刀がなくなった今、愛生と卿のリーチの差は歴然だ。愛生は懐に手を入れ、煙幕をつかみ放り投げた。それと同時に、卿が尾を振りかぶる。


 尾が当たるぎりぎりのところで、愛生の放った煙幕がようやく地面を打って炸裂する。時間が一瞬止まったように思えた。


 愛生は煙にまぎれて、柵の間際に転がった。擦った膝が痛む。体勢を立て直すうちに、卿が追いついてきた。図体がでかいくせに、相手の方が速い。今更剣を作ったところで、攻撃さえ受けられないなまくらしかできないだろう。


 ──方法はこれしかない。


 相手の気配が近付いてくる。愛生はフェムトで作った人形を、自分とは反対側に放った。後は祈るしかない。


 数秒の後、卿が引きずったのは、ダミー人形だった。右か左かの二択、運任せの二択を外したのだ。


 おもむろにそれを咥え、しばらくしてから残念そうに低く唸る。大きな目がぎょろっと動き、人形は勢いをつけて投げ出され、外へと消えた。


 危なかった。足先を食われていたら、ああやって外に投げ捨てられるか、先から胃袋に納まるかのどちらかだ。


 再び、卿が突進してきた。うずくまっているうちに、少し足を休めることができた。今度は体の横をすり抜けて、無理矢理突破する。


 尾は自由に動くからダメだ。狙うなら少しでもましな胴体。


 愛生は相手の体を蹴り飛ばして間合いを広げ、卿の首をナイフで横凪に斬り払った。切れ味鋭い刀が当たって、首の皮膚が裂ける。これで相手が倒れれば、殴打が使えるはずだった。


 しかし、卿は苦痛の声をあげたものの、まだ倒れていなかった。


 振り回された尾に当たって、愛生の体が宙に舞った。とどめをさそうとする卿の手は愛生をつかみそこねたが、その代わり愛生は勢いのまま、塔の頂点から放り出されていた。


「終わったな」

「くそっ!」


 愛生は最後の抵抗で、柵にしがみついた。それでも勝ちを確信している卿の声が、広場に響く。愛生を落とそうと、這い寄ってくる音が聞こえる。もう愛生のところから、数歩もない距離に迫っている。


 次の瞬間──愛生の反対側にある鏡の一枚がくるりと回転する。裏側の金属に寄り添うようにして、龍がいた。そして龍の胸元には、構えられた銃がある。


 龍の銀の銃弾が、卿の背筋を打ち抜いた。倒れる卿の顔は、苦痛に歪んでいる。


「まさ……か……」


 勝ち誇っていた表情から一転、絶望をまとったスカーレット卿が呟いた。信じられないものを見て、二の句が継げない彼とは反対に、龍はにっこり笑って言う。


「そう、落ちていませんよ」

「今まで……どこにいた……」


 完全に虚をつかれた表情の卿に、龍は首をかしげてみせた。


「気づきませんでした? 私の作った鏡が一枚増えていたんです。私は増やした鏡の陰に身をひそめていただけ」

「なに!?」

「鏡の位置と数を覚えていなかったのは、あなたの失点……今度生まれ変わったら、小学生の計算と間違い探しからやり直すんですね」


 離れようとしていたスカーレット卿は、完全に間合いの外にいた。駆け寄ろうとしても、もう龍には届かない。──詰みだった。


 龍の指が引き金にかかる。彼女の表情は険しかった。


「こ、殺さないで……」


 卿が短く言う。龍はわずかに首を振った。


「自分がやってきた悪事でしょう? 幕引きの時くらい、堂々となさい」


 命乞いに構わず、引き金が絞られた。銀の銃弾が卿の眉間にめりこむと、断末魔の叫びが口から漏れた。


「……やった」


 とうとう、敵の親玉が死んだ。それを喜ぶ暇もなく、愛生の手が塔の端から外れた。落ちる。十階建ての高さをまっさかさまに。深い闇を切り裂くようにして。──そして愛生は吸い込まれるように、天幕の上に落ちた。


 それでも全身に衝撃が走り、痛みで息が詰まる。布で衝撃が弱まったとはいえ、急なことだったのでクッション材が何もなかったのだろう。破れていたら、大怪我は免れなかっただろう。


「いつつ……」


 しばらく天幕の上で寝転がったまま、愛生はうめいていた。


「無事か、兄さん!?」

「なんとかな……準備してもらっといて、助かった」


 愛生の目から、集団が見える。すでに下に降りていた警官たちから、熱のこもった視線が注がれていた。愛生は生存の証明に右手を掲げてみせる。


「本当に、本当に大丈夫なの!?」


 来るなと言ったのに、ソフィアが警官たちに混ざっていた。からかってやろうかと思っていたが、ぼろぼろ泣いている彼女の顔を見てその気が失せる。


「ああ。しかしお前、来るなって言ったのになんで……」

「大事な仕事が残ってるのを、思い出したの!」


 それはなんだと問おうとした次の瞬間、塔の頂上から、大きな物体が落ちてきた。愛生はそれを指し示す。


「なんだ、あれ……」

「黒幕の体だ。よく見てみろ。もう死んでるから、噛みつきゃしない」


 愛生は上体を起こし、天幕から降りながら言った。


「本当ですか?」

「おい、俺にも見せてくれよ」


 あっという間に、人混みの中に首が消えた。最初は遠巻きに見ていた人間たちも、徐々に距離をつめていく。この物見高さには、愛生も少し驚いた。処刑の時といい、人間は怖い物が好きなのかもしれない。


「……本当に、死んでるぞ」

「化け物は死んだ。俺たちの勝ちだ!」


 遠慮無く肩や背中を叩き、挙げ句の果てに胴上げしようとしてくる警官隊から、愛生は逃げ回る羽目になった。治るのは分かっているが、それでも痛いものは痛いのだ。特に背中の筋が痛い。落下したときに、寝違えのような状態になってしまったのかもしれない。


「愛生!」


 歓喜の声に混じって、聞き慣れた声がする。愛生を心配した龍が階段を降りてくるのが見えた。

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