第九十六話 「交錯する感情」
ミュゼットと話を終えて、控え室から出た後。
僕は本戦出場の手続きをまだしていないことに気付き、急いで受付カウンターに向かうことにした。
ミュゼットと一緒に、十数分ぶりに受付広場に戻ってくると、すでに広場に人の影が少なくなっていることが窺える。
今日中なら受付できるはずだから焦る必要はないけれど、受付カウンターにほとんど人がおらず静かになっているところを見ると、自然と冷や汗が滲んできてしまう。
急いで受付さんに青札を見せて、本戦出場の手続きを終わらせなければと、僕は首に札がかかっていることを確かめてからカウンターの方へ向かおうとした。
その時……
「モニカさーん!」
「あっ、ヴィオラ」
広場にいた三角帽子に黒ローブの少女が、僕の方に手を振りながら名前を呼んでくる。
そして彼女は、持っている杖を落とさないように、両手で握りしめながらこちらに駆け寄ってきた。
そんなに急いでこなくてもいいのに、と微笑ましい気持ちでヴィオラを見ていると、目の前で立ち止まった彼女が間近からジト目を向けてくる。
「もう! ひどいじゃないですか! 私だけ置き去りにするなんて……!」
「置き去り……? あっ、ごめんごめん! ああでもしないと闘技場に入れないと思ったからさ」
「あの後すっごく大変だったんですよ! 観客さんたちに質問攻めにされたり、ファストトラベルのことを転移魔法ということにして精一杯誤魔化したり……」
そういえばと二十分ほど前のことを思い出す。
闘技場の入口前には、予選を観戦していたお客さんたちが大勢いた。
そして予選で活躍した参加者たちを取り囲んでお祭り騒ぎになっており、ろくに歩く隙間もないほど大混雑していたのだ。
どうにかして闘技場に入れないものかと思っていたところに、観客の一部がヴィオラを見つけて流れてきて、その隙に僕だけ闘技場に入った。
置き去りにした、という言い方が適切である。
改めてそのことを申し訳なく思って『ごめんなさい』と謝っていると、ふとヴィオラの視線が僕の後方へ向けられた。
「ところでモニカさん、そちらの方は確か予選の時にお見かけした女の子ですよね? どうして一緒に奥から出てきたんですか?」
「えっ? あぁ、えっと、後で詳しく説明するんだけど……」
急いで受付の方に行って本戦出場の手続きをしなければいけないので、手短に説明を済ませることにする。
僕は後ろでちんまりと佇むミュゼットを手で示しながら、改めてヴィオラに彼女を紹介した。
「彼女の名前はミュゼット。ちょっと話の流れで、次の本戦からうちのチームに加わってもらうことになったんだ」
「えっ、そうなんですか⁉ なんだか唐突ですね」
「わたくしからチーム加入の話を持ちかけましたのよ。チームの一員であるあなたにも説明してから、するべき話ではありましたが」
「い、いえいえ。お仲間が増えるなら大歓迎ですよ」
ヴィオラはぶんぶんとかぶりを振ってから、ミュゼットに微笑みかける。
それに対してミュゼットも「よろしくお願いいたしますわ」と優雅なお辞儀を見せながら返すと、次いで彼女は僕に怪訝な視線を向けてきた。
「それよりも、先ほどの話は本当なのでしょうね?」
「うぅーん、まだ確証はないけど、たぶん上手くいくと思うよ。ていうかそれを実証するために、後で一緒に冒険者ギルドに行くんでしょ?」
「あのお話を聞いただけでは、にわかには信じられませんの。あなたにそんなお力があるだなんて……」
「まあまあ、騙されたと思ってとりあえず一緒にギルドに行ってみよう。で、その後に今日中にできそうな簡単な討伐依頼で検証してみるってことで」
「わ、わかりましたわ。本戦まで何もしないよりかはいいですものね。それにしても、あなたのその自信はどこから湧いて出ているのか……」
改めてミュゼットの納得が得られて僕は満足げに頷く。
するとふとヴィオラの方から視線を感じて、そちらに目を向けてみた。
何やら彼女は僕とミュゼットを交互に見ながら、魂でも抜けたみたいにぽかんと呆けている。
どういう反応? と疑問に思っていると、ヴィオラはハッと我に返って、ついでなぜかぎこちなく聞いてきた。
「……な、なんだかおふたり、とても仲良くなってませんか」
「「えっ?」」
仲良くなった?
その言葉を受けて、思わずミュゼットと顔を見合わせて固まってしまう。
それすらもヴィオラには友好的な交流に見えたのだろうか、心なしか目を細めて僕たちを見てきた。
「少し前までは、すごく険悪な感じだったのに、今はなんというか気の置けないやり取りをしているように見えて……」
「気の置けないやり取りか……。まあ、遠慮みたいなものがなくなったのは確かかもしれないね。だから、ミュゼットとの仲はちょっとだけ良くなったような……」
「なってませんわ!」
すかさずミュゼットが否定してくる。
次いで彼女は小さな両腕を上下にぶんぶんと振りながら不機嫌をあらわにした。
「わたくしたちは事情があって、あくまで一時的な協力関係を築いたというだけですの! 断じて友達などではありませんのよ!」
ふぅー、ふぅー、とひとしきり吠えた後の犬のように息を乱す。
そこまで完全に否定されるほどでもないと思っていた僕は、やや肩を落としながらため息を吐いた。
「そっか、今回の一件だけでも結構打ち解け合えたと思ってたんだけど、あんまり仲良くなれてなかったのかぁ……」
「えっ? あっ、いえ、その……」
僕としては少なからず、オルガンの件でお互いの考え方や性格というのが見えてきたような気がしていた。
飾らない素直な気持ちで、本音で話し合うことができたし、友達と言えないまでも志を同じくする仲間くらいには思っていたんだけどなぁ。
と、思いきや、不意にミュゼットが少し頬を赤らめながら、小さな体をもじもじとさせた。
「ま、まあ、最初に会った時よりかは、あなたのことは信頼していますの。ここで助けてもらった恩もありますし」
次いで彼女はブロンドのツインテールの一本を片手で掻き上げてから、ぷいっと視線を逸らして続けた。
「な、なので、そちらが勝手に、仲が良くなったと思ってもらう分には、わたくしとしては別に構いませんわよ。あと、初対面から今まで……ずっと冷たくあしらっていて、申し訳ございませんでしたわ」
「そ、そう……? それならまあ、そうさせてもらおうかな」
勝手に仲が良くなったと思う分には構わないらしい。
そこまでは心を許してもらえているのだと改めてわかって、僕は人知れず頬を緩ませる。
するとその様子を傍らから見ていたヴィオラが、またも僕たちの間で視線を行ったり来たりさせて、頬に少しだけ空気を含ませた気がした。




