第九十五話 「痛み」
ミュゼットをチームに入れる?
思いがけない提案を受けて僕はつい言葉を失ってしまう。
彼女は冗談を言ったような表情をしていない。至って真剣な顔だ。
数秒の沈黙ののち、僕はハッと我に返ってミュゼットに問いかけた。
「な、なんで急にそんなことを? 確かに前に一度、チームに誘いはしたけど……」
「もしわたくしが一緒に本戦に出場したら、オルガンの敵意をこちらに逸らすことができるはずですわ」
「――っ!」
ミュゼットの言わんとしていることを、今の一言ですべて察する。
僕はオルガンに目をつけられてしまった。
ミュゼットはそれを自分のせいだと思っており、奴に尻尾を振ることで僕に手出しさせないようにするとまで言ってくれた。
しかし僕はそれを拒んだ。僕のために身を犠牲にする必要はないと。
だからミュゼットはまた違った形で僕を助けようとしてくれているのだ。
「わたくしが一緒に本戦に出場したら、あの男はわたくしを絶対に無視できないはずですわ。もしかしたらあなたへの興味そのものを取り上げることができるかもしれません」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それじゃあ奴に従属するって手段と何も変わらない。どっちにしろ君が“犠牲”になるだけじゃないか」
「犠牲になるつもりはありませんの! わたくしはちゃんと、奴に“立ち向かう”つもりでこれを提案していますのよ」
眼下からミュゼットの力強い眼差しを向けられる。
華奢な体躯から放たれているとは思えない熱意と覚悟。
本気であの男と対峙するつもりなのだと全身で伝えてきている。
確かにミュゼットが一緒に本戦に出れば、おそらくオルガンは僕じゃなくてミュゼットに興味を示すはず。
それで代わりに奴に立ち向かうと彼女は言ってくれたが……
「でも、君は戦うこと自体が怖いんじゃないのか。だから予選の時、魔法の分身体に追われただけであんなに震えていたんじゃないのか。それなのに苦手なオルガンに立ち向かうなんて……」
「……もう知られているのなら、隠す必要はありませんわね。えぇ、わたくしは戦うのが怖いですわ」
再び自嘲的な笑みを白い頬に浮かべる。
そして小さな右手に目を落とし、懺悔でもするように控えめな声音で続けた。
「腕っぷしだけで領地を守ってきたブリランテ家の子女だというのに、武器を持った人間や恐ろしい魔物と対峙すると、怖くて震えが止まりませんの」
次いで彼女は、震えた声で吐露する。
「なぜなら戦いは、痛いのが当たり前なのですから」
「痛い?」
「殴られてあざができる、斬りつけられて血が出る、毒や炎を浴びせられて体が焼ける。わたくしはそういった“痛み”を、心の底から怖いと思っていますの」
痛いのが、怖い。
冷水を浴びせられたかのように、ハッとさせられた気がする。
なんだか久しく忘れていた感情を思い出させてくれたみたいだ。痛いのが怖いなんて。
しかし思えば僕も冒険者になる以前は……より厳密に言えば冒険者になって間もない頃まで、“痛み”というものを恐れていた気がする。
いや、もしかしたら今も少しは思っているかも。
戦いになれば、どこかしら怪我をして痛い思いをするかもしれないと。
生物としては自然な感情だ。痛覚が鋭敏な人間なら尚の事。
僕は冒険者活動を通じて、何度も何度も怪我をして痛みに慣れてきたから、今はそこまで痛みを恐れてはいないけど。
冒険者になって間もない人とか、戦いとは無縁の生活をしている人にしてみたら、怪我や痛みは恐怖でしかないはず。
ミュゼットはその痛みに対して、いまだに恐怖心を振り払えずにいるみたいだ。
「軍人や冒険者が当たり前のようにしている怪我が、わたくしには恐怖でしかありません。逆にあなたは、どうして平気でいられますの?」
「えっ?」
「痛いのが怖くはありませんの? 怪我をするのが恐ろしくはありませんの? ささくれだけでも泣くほど痛いのに、骨が折れたり爪が剥がれたり歯が砕けたり、そんな怪我が戦いの中では当たり前になっている。そんなの……怖いに決まっています」
ミュゼットは震え出しそうな体を抑えるように、右手で自分の左腕をぎゅっと掴む。
あの分身体に追われていた時と同じ怯え方。
思えばこんなに小さな女の子が、怪我や痛みを恐れていないはずがないんだ。
十二の頃から冒険者として活動してきて、周りでも同じ歳頃の人たちが傷だらけになりながら戦っていたから、僕の感覚が麻痺しているだけ。
町には治療院があって怪我を治してもらえるけど、それで割り切って傷だらけになれる人間の方が絶対に少ない。
そう、ミュゼットみたいに戦いを恐れて震えてしまう人の方が多いはずなんだ。
「……それならやっぱり、無理に一緒に戦わなくていいよ。痛いのが怖いのに、僕の代わりにミュゼットがオルガンに立ち向かう必要は……」
「それでも!」
ミュゼットは震え出しそうな体をぎゅっと押さえつけながら、力強い眼差しでこちらを見上げてきた。
「わたくしのせいで別の誰かが傷付けられる方が、よっぽど怖いことですわ」
「……」
自分のせいで別の誰かが傷付けられる方が怖い。
この子は戦いを恐れている以上に、他の誰かを思いやる気持ちも強いんだ。
臆病だけど優しくて、責任感も人一倍強い女の子。
力強い眼差しから確固たる意志を感じる。
ミュゼットというのがどんな人間かわかってきた僕は、密かに笑みを浮かべながら告げた。
「……やっぱり君を助けてよかったよ」
「えっ?」
「でもごめん。やっぱり君をチームに入れることは許可できない。怯える君をオルガンに立ち向かわせるなんてあまりにも心苦しいからさ。奴は僕自身でなんとかするよ」
「そ、それではわたくしの気が晴れませんの!」
納得のいっていない様子のミュゼットに、それでも僕はかぶりを振る。
ミュゼットの覚悟は確かだ。けどあのオルガンを前にして同じように平静を保っていられるとは思えない。
もしかしたらミュゼットの、『痛いのが怖い』という悩みを解決できるかもしれない手はあるけど、それを使ったところでオルガンに対抗できるとも思えなかった。
彼女をこれ以上オルガンとかかわらせてしまうのも忍びないので、僕は今回の話はなかったことにして控え室から立ち去ろうとする。
その時、立ち去りかけた僕を見てミュゼットが懐から手鏡を取り出し、すかさず【恩恵を開示せよ】と口早に唱えた。
ついで手鏡の鏡面をこちらに見せてくる。
「確かに恩恵の数値は低いですが、少なからず役に立てる力を持っていると自負しております。邪魔になるようなことはしませんから、どうかわたくしをチームに入れ……」
刹那――
踵を返しかけた僕の横目に、手鏡に表示されたミュゼットの恩恵とスキルが映る。
直後、ほとんど我知らずミュゼットの方を向き直り、僕は食い入るように鏡面を凝視していた。
「……ど、どうかしましたの?」
「ミュ、ミュゼット! これが君の恩恵とスキルで間違いないんだよね?」
「え、えぇ。今まさに、目の前で恩恵を開示した通りですわ」
ぎこちない頷きを見せるミュゼットと、彼女が持つ手鏡をおもむろに交互に見つめる。
僕の不審な動きを見て、ぱちくりと碧眼を開閉するミュゼットに、僕は密かにほくそ笑みながら告げた。
「ごめん、さっきの話は無しにしてもらってもいいかな?」
「えっ?」
「一緒に出よう、闘技祭。それでオルガンに目に物を見せてやるんだ」
「ど、どういうことですの……?」
僕は右手の人差し指を立てて、下から上に弾き、メニュー画面を開いたのだった。




