第九十三話 「頼もしい味方」
わたくしが尻尾を振る?
とても良いとは思えない響きの台詞に、僕は思わず言葉を失う。
その悪い予感はどうやら当たっていたらしく、ミュゼットは聞き捨てならない台詞を続けた。
「わたくしがあの男に、従属することを約束して言いなりになります。それであなたを許してもらえるように頼めばきっと……」
「な、なにバカなこと言ってるんだ。あんな男は死んでも願い下げって自分で言ってたじゃないか。それなのに僕のために君が身を犠牲にする必要なんてない」
自分だけではなく家族まで侮辱してきた憎き男。
そんな相手の言いなりになるなんて屈辱以外の何物でもない。
高潔なミュゼットなら尚更そう感じることだろう。
だからそこまでしなくていいと返したが、ミュゼットは険しい顔つきでさらに続けた。
「でも、そうしなければあなたがオルガンに……!」
「それは大丈夫だよ。もしあいつの方から喧嘩を吹っかけてきても、あいつに勝ちさえすればそれでいいんだから」
「勝ちさえすればって、あのオルガンに勝つつもりでいるんですの? 先ほどもお伝えしましたが、あの男はSランク冒険者と遜色ない力を、もっと言えばその中でも上澄みの力を持っていて……」
「相手がどんな強さだろうと関係ないよ。それにそもそも、僕はこの闘技祭に優勝するつもりで出場してるんだ。今回の件がなかったとしても、いずれはあいつと戦うことになってただろうし、どっちにしろ避けては通れない道だったんだよ」
オルガンが真の強者なら、きっと闘技祭のどこかで必ずぶつかることになっていた。
ミュゼットを庇った件がなかったとしても。
闘技祭で優勝するにはどっちにしろオルガンを倒さなきゃいけなかったので、別にミュゼットが責任を感じて奴に尻尾を振ることはない。
「だからミュゼットが気に病む必要はまったくないってことだよ。僕はミュゼットのせいでやむなくオルガンと戦うわけじゃなくて、闘技祭の優勝を目指してあいつと戦うだけだから」
「……どこまでお人好しなんですの、あなたは」
ミュゼットは申し訳なさそうな表情をそのままに、顔に翳りを落とす。
そんな彼女を慰めるため、あるいは安心させてあげるために、僕は胸を張って少し誇らしげに続けた。
「それに僕には頼もしい仲間たちがいるんだ。オルガンなんて目じゃないよ」
「えっ、お仲間? 確かイントロ大森林でお会いした時は、黒髪の子とふたりでいましたわよね。頼もしいお仲間というと、まさかあの方のことですの?」
「あっ、その反応はヴィオラのこと侮ってるでしょ。確かに見た目は普通の女の子だから仕方ないけど」
僕の中でもヴィオラは、いまだに両手で杖を握って少しおどおどした感じが印象的な少女だ。
あの外見は『頼もしい』という言葉とまったく無縁のように思える。
でも……
「ああ見えて、ヴィオラは僕よりも強いよ。それもぶっちぎりにね」
「えっ、あれだけの力を持つあなたよりも、ですの……?」
「本人は否定してるんだけどね。でもこれは紛れもない事実なんだ。だからこそ頼もしいと思うと同時に、彼女の才能を少し羨ましいとも感じてる」
視認しただけでどんな魔法でも習得できる規格外の才能。
僕の【パーティー】メニューで魔力を底上げしているとは言っても、潜在能力の貴重さはどう考えてもヴィオラの方が上。
あれだけ色んな魔法を高次元で使えたら、きっと戦いも楽しいだろうな。
素早く動いて怪力を叩きつけるだけの地味な僕とは大違いだ。
「それに僕の力の一部に、ほぼどんな情報でも教えてくれるヘルプさんっていう物知り博士がいるんだ。みんな心強い僕の仲間たちだよ」
改めてそのことに胸を張ると、ミュゼットはぽかんとした様子からおもむろに首を傾げた。
「と、ということは、実質あの黒髪の子とあなたのおふたりだけということですの?」
「まあ、そういうことになるね。結局僕たち、チームの最後のひとりを見つけられずに、ふたりでの出場になっちゃったから。それでもオルガンに負けるつもりはないけどね」
「……」
僕の自信ありげな様子から、他にも頼もしい仲間がいるとでも思っていたのだろう。
チームに他の味方がいないことを今一度知ったミュゼットは、唖然とした表情で固まっていた。
やがて呆れたように長々としたため息を吐く。
「それで本気で闘技祭で優勝するつもりだなんて、前向きというか無鉄砲というか……」
「いやいや、それを言うなら君の方もだろ。たったひとりで闘技祭に出場して、いい成績を残そうとしてたんだから」
僕たちよりも無鉄砲だと言える。
それにこの子は戦うことそれ自体を恐れている。
そんな彼女がたったひとりで猛者が蔓延る闘技祭に出場したことの方がよっぽど命知らずだと僕は思うけどな。
と感じて逆に呆れた顔を向けると、ミュゼットは心なしか自嘲的な笑みを浮かべて返してきた。
「わたくしの場合は、そうする他なかったというのが正しいですわ。わたくしひとりで闘技祭に名を刻まなければ、ブリランテ侯爵家にまだ力があると証明できませんでしたから」
「力があると証明する……。ってことは、ミュゼットが闘技祭に出場した理由は、あいつの言ってた通りだったってこと?」
先ほどオルガンから聞いた台詞を思い出しながら問いかける。
ブリランテ侯爵家の令嬢として闘技祭でいい成績を残して、生家の名誉を取り戻そうという魂胆だろうとオルガンは言っていた。
だとするとミュゼットがひとりで闘技祭に出場したことも説明がつくが、本当にその通りなのかと僕はずっと疑問を覚えていた。
すると彼女は重苦しそうな表情のまま、沈黙という形で頷きを返してくる。
そしてぽつりぽつりとこぼすように、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「わたくしの生家のブリランテ侯爵家は、古くから国境防衛を任された由緒ある家系でしたわ。しかし六年前に魔人と魔物の大規模な侵攻を受け、領地は半壊してしまったのです」