第九十一話 「身分」
「あっ? 誰だてめえ?」
蹴りを止められたオルガンは、不機嫌そうに翠玉色の目を細める。
そして突き出していた脚を引き戻し、改めて鋭い視線で睨んできた。
その圧に負けじと僕も強気な視線を返しながら、彼の問いかけに返答する。
「冒険者のモニカだ。それと、あんたと同じ闘技祭の参加者だよ」
「へぇ、てめえみてえな小汚いヒョロヒョロなガキがな。しかも青札まで持ってんじゃねえか」
オルガンはポケットから手を出し、自分の首にかけている青札を指先でパチッと弾く。
同じ予選通過者であることが改めてわかって、奴がこちらを見る目が少し変わった気がした。
さっきまで、まるで羽虫でも見るみたいにつまらなそうな目をしていたのに。
「俺の蹴りを片手で止めたのも褒めといてやるよ。で、同じ闘技祭の参加者だからって、なんでてめえがこいつを助ける。こいつとてめえは何も関係ねえだろ。部外者が首ツッコんでくんじゃねえよ」
オルガンは僅かに前に出て、僕の頭上から見下すような視線を向けてくる。
対して僕は後ろで固まっているミュゼットを一瞥し、彼女との会話を思い出しながらオルガンに返した。
「親しいって言えるほどの間柄じゃないけど、まったく知らない仲でもない。そんな相手が蹴り飛ばされそうになったら、助けに入るのは当然だろ。いくらなんでもこれはやりすぎだ」
次いで先ほどのオルガンの発言を脳裏に浮かべながら続ける。
「それに、あんたの言い分にも納得できなかったからな」
「はっ?」
「才能がない人が努力をしたところで、何も変えられないなんてことは絶対にない。たとえどんなに小さな力でも、成長する余地が残っていたり、誰かの力と合わせることで本領が発揮されることだってあるかもしれないんだ」
僕が【メニュー画面】のシステムレベルを見つけた時と同じように。
あるいはヴィオラが僕の【パーティー】メニューの恩恵を受けて規格外の魔法使いになったのと同じように。
努力や工夫、他の人との連携によって、小さな力でも輝ける可能性は充分にあるんだ。
だからオルガンの発言で、祝福の楽団そのものを否定されたような気持ちになって、僕は一言言ってやりたくなった。
力強い視線を返していると、その目が気に入らなかったのか、オルガンが額に青筋を立ててドスを利かせてくる。
「平民ごときが楯突くとはいい度胸だな。てめえ、誰にそんな口利いてんのかわかってんのか」
次第に棘のある声音に変わっていき、この場の空気が徐々に凍りついた。
張り詰めるような緊張感が迸る中、いつ何をされてもいいように、僕も睨み返しながら身構えていると――
「はいは~い、そこまでにしなよおふたりさん」
不意に横から聞き覚えのある、間延びした声が聞こえてきた。
そちらに視線を向けると、ぼんやりした赤目をしながら赤髪を掻く試験官さんが目に映る。
予選開始前に参加者たちの前で自己紹介をしていた、主任試験官のグーチェンさん。
どうやら人だかりとその中心で口論している僕たちに気付いて、注意をしに来たらしい。
「受付広場で人だかりができてると思ったら、参加者同士で口論してたとはな。受付に来た人たちの邪魔になるでしょうが」
グーチェンさんは相変わらず欠伸を噛み殺しながら、面倒くさそうに続ける。
「喧嘩だったら闘技祭でいくらでもできんでしょ。ここじゃやめてもらえるとありがたいんだけどな」
「別に喧嘩なんかしてねえよ。ただの雑談だ」
「あっ、そうかい? でも、俺にはあんたが、今にでも少年に手を上げそうに見えたんだが、余計な心配だったかな」
「……」
オルガンは目の前に立つグーチェンさんに冷めた目を向ける。
実際、殴り合いの喧嘩にはまだ発展していなかったが、グーチェンさんが来ていなければおそらくそうなっていただろうと僕も思う。
ミュゼットを蹴り飛ばそうとしていた脚にも相当な力が入っていたので、このオルガンという男は大衆の面前だろうと容赦をしない危険人物だ。
「ま、とにかくここで争いごとはやめてもらえるかな。受付に来た人たちもびっくりしちゃってるし。それに……」
グーチェンさんは僕とオルガンの間に入って引き離すと、微かな笑みを浮かべながら今度は僕の方を見た。
「闘技祭の競技中なら、身分に関係なく剣や拳を交えることが許可されてる。少年にとっても、戦うなら闘技祭の方が都合がいいっしょ」
「……はい、ごめんなさい」
グーチェンさんの言う通りである。
ここでの争いごとは周りの人たちの迷惑になる。
そして闘技祭の競技中なら身分を問わず、上の者にも切っ先を向けることが許されている。
この男と争うならその舞台の方が望ましい。
ミュゼットのことがあるにしろ、僕は平民でこいつは貴族だから。
諸々のトラブルを避けるためにも闘技祭で戦う方がいいと思った僕は、視線に込めていた力を抜く。
オルガンもグーチェンさんののんびりした雰囲気に興がそがれたのか、つまらなそうに呆れて視線をそらした。
ひとまず事態の収拾を見たグーチェンさんが、今度は人だかりの方を見てパンパンと手を叩く。
「つーわけなんで解散解散。ほらほらぁ、野次馬の皆さんもさっさと受付して明日に備えてくださいねぇ」
その声を受けた人だかりは、それぞれ受付カウンターの方へ行ったり出口に向かって散って行った。
随分と風通しがよくなると、グーチェンさんも安心したように一息ついて受付の方へ戻って行く。
残された僕は目の前に立つオルガンをいまだに警戒して身構えていると、やがて奴は再び棘のある声音でこう言い残していった。
「命拾いしたな平民。ま、明日の本戦までの短い安寧だけどな。必ずてめえから真っ先にぶっ潰してやるから、覚悟しておけよ」
そしてオルガンはこの場から立ち去っていく。
その後ろ姿をしっかりと見届けた僕は、ようやく緊張の糸を解いて胸に詰まっていた息を吐き出した。
なかなかに緊迫感のある状況だった。それにあのオルガンという男、かなりの威圧感があったし。
内心で胸を撫で下ろしながら後ろを振り返り、いまだに呆然と佇むミュゼットに改めて声をかけた。
「大丈夫ミュゼット? どこか怪我とかしてない?」
オルガンの蹴りはちゃんと防いだので無事であることはわかっていたが、念のために確認をしておく。
するとミュゼットは固まったまま僕の方を見据えていたので、まさかと思って提案した。
「もしどこか怪我してるなら、僕の仲間が治癒魔法を使えるから……」
魔法で治してもらおう、と続けようとすると――
ミュゼットは突然、硬直させていた体を動かし、閃くような速さで僕の右腕を掴んできた。
そしてあまり強いとは思えない力で引っ張ってくる。
「ちょ、ちょっとこちらに来てくださいませ……!」
「えっ? ちょ……!」
突然のことでわけがわからないまま、僕はミュゼットの手引きで受付広場の隅へと連れて行かれた。