第八十八話 「盤石の布陣」
ミュゼットの姿を見失った後。
僕たちは予定通り【トラベルポート】の設置に取りかかることにした。
ミュゼットがどんな理由で闘技祭に参加しているのか、怪我とかしないで無事でいるのか、その辺りのことは気になったけれど。
僕たちは僕たちでやらなければいけないことがある。
だからそちらに集中することにして、程なくして五つの【トラベルポート】の設置を終えた。
これにて僕たちの盤石の布陣が完成である。
バッジを三つ保持した状態は非常に危険。
けど【ファストトラベル】で設置した【トラベルポート】を転々とすれば、敵から安全に逃げることができる。
【ファストトラベル】に上限回数や使用制限などがない利点を最大に活用した戦術だ。
おかげで僕たちは三つのバッジを抱えた状態にもかかわらず、集中狙いされるという悲劇とは無縁で、危なげなく敵をやり過ごすことができていた。
「おい! バッジ三つ持ってる奴いるぞ!」
「あいつから全部奪え!」
遠くに参加者の姿を確認した直後、僕は開いていた【マップメニュー】に目を向ける。
そこにはこの森の全体図と、地図上に銅像のようなマークが五つ表示されており、そのうちの一つを右手の人差し指で押した。
【選択したトラベルポートに転移しますか?】
【Yes】【No】
それを確認したのち、隣のヴィオラに告げる。
「飛ぶよ、ヴィオラ」
「はい」
ヴィオラが頷いたのを見るや、僕は笑みを浮かべながら【Yes】の文字を押した。
遠くから迫ってくる参加者たちの姿が、森の景色と共に陽炎のように揺らぐ。
そして一瞬暗転した後、僕たちはまったく違う場所に移動していた。
目の前にはただ天使の羽を生やした女性の銅像が立っているだけで、周囲は静寂によって満たされている。
「周りに敵の気配はありません。しばらくは安全だと思います」
「よし、また次に敵が接近してきたら別の【トラベルポート】に移動するよ」
「了解です!」
僕とヴィオラは余裕綽々といった感じで笑みを交わした。
本当にいい作戦を思いついたと思う。
会敵した瞬間にいずれかの【トラベルポート】に転移する。
ヴィオラの広大な感知魔法も相まって、危なげなく敵をやり過ごすことができているのだ。
不意打ちされる心配もなく、【トラベルポート】が破壊されることもないためまさに盤石だと言えるだろう。
唯一の心配点が、【ファストトラベル】先の近辺がどこも混戦状態で、安全な転移場所がなくなることくらいだけど……
五つも転移地点を設定しているから、そうなる危険性はほぼないと言い切れる。
「【トラベルポート】、いい仕事してくれてるね。自由に【ファストトラベル】先を決められるってだけで、こんなにも楽に立ち回れるとは思わなかったよ」
「でもあまりにも簡単に逃げることができてしまっているので、少し申し訳ないと言いますか……闘技祭の運営さんたちや観客の皆さんから、どう見られているか心配になっちゃいます」
「心配?」
と、一瞬首を傾げかけるけど、すぐにヴィオラの発言の意味を察する。
現在闘技場の方では、不思議な水晶に森の様子を映し出して、観客たちが観戦を楽しんでいる。
予選から猛者たちが熱戦を繰り広げてくれるだろうと、期待を抱いて観戦しに来てくれたのだ。
そんな中、敵の姿を見るや一瞬にして消えるという、まったく戦おうとしない立ち回りをしているチームがいるとなると……
「今頃観客席で『ちゃんと戦えー!』なんて怒号が飛び交ってるかもしれないから、そこを心配してるってこと?」
「皆さん熱い戦いを見にわざわざ闘技場に来てくださったわけですから。それで、あるチームが逃げてばかりで、しかもまともに交戦せずに転移して逃亡してるだけなのは興ざめなのではないかと思いまして」
「うぅーん、その可能性は否定できないけど、まあそんなことにはなってないんじゃないかな」
「えっ? どうしてそう言い切れるんですか?」
「熱い戦いを見に来た人が多いのは確かだと思うよ。でもたとえそれが見れなかったとしても、観客たちは別の要因で満足してるんじゃないかな」
「別の要因?」
眉を寄せて首を傾げるヴィオラを見て、僕は開きっぱなしにしている【マップ】メニューを指でトントンと叩いて続ける。
「だって、熱戦を見られない代わりに、世にも珍しい能力を目にすることができてるんだから」
「あっ、【ファストトラベル】の力ですか」
「うん。たぶん観客たちから見ると、ヴィオラが転移魔法を連発してるように見えているはずだけど、それでも充分に見応えのあるものになってるんじゃないかな」
転移魔法はそれ自体が希少で、使える人がまったくいない力。
加えて過去に転移魔法を使えた人の中でも、せいぜい目に見える距離までしか転移できなかったという。
対して【ファストトラベル】は、転移魔法とは思えない距離を飛び、精神力も消費しないため何度も繰り返して使うことができる。
戦いを見られないのは残念と思う人もいると思うが、それ以上にあちこちに瞬間移動しまくるチームがいたら、それはそれで大盛り上がりしているんじゃないかな。
「ま、もしブーイングされてたとしても、最後まで勝ち残れてたらそれでよくない? 変に気にする必要はないんじゃないかな」
「それもそうですね」
僕の言い分を飲み込んでくれたみたいで、ヴィオラの顔から心配な気持ちが綺麗に剥がれ落ちる。
それから僕たちは再び敵の接近に備えるために、周囲の警戒に意識を回した。
その最中、僕はふと先ほどのことを思い出して、ついため息をこぼしてしまう。
「んっ? どうかしたんですか?」
「あっ、いや……さっきの子、大丈夫かなって思ってさ」
「さっきの……? あぁ、ツインテールのあの子ですか」
参加者の誰かが魔法で作った分身体に追われて、僕たちの前に震えた姿を晒したミュゼット。
僕の脳裏にはずっと彼女の怯えた姿が残り続けている。
僕たちはもうすでに何度か【ファストトラベル】で戦闘を回避している。
設置した【トラベルポート】は、それぞれかなり遠い距離に置いたのにもかかわらず、会敵が後を絶たないのだ。
それくらい森のあちこちにチームが散らばっていて、どこも激しい混戦状態ということである。
戦うことを恐れていたミュゼットが、果たしてこんな場所にいて本当に大丈夫なのだろうか?
バッジに関しては失ってしまっていても仕方がないが、せめて大怪我だけはしないでいてほしい。
改めてそんな気持ちを抱いて目を伏せていると、ヴィオラがそれを察して問いかけてきた。
「あの子が激戦に巻き込まれて怪我をしていたり、またどこかで怖がって震えているんじゃないかと心配しているんですか?」
「ん、まあね。まったく知らない仲ってわけでもなくなったし」
一度仲間に誘って断られただけだけど。
でもなぜか気になるんだよな。
もしかしたら、あの思い詰めている感じが、パーティーを追い出された直後の僕に似ているからかもしれない。
妹のコルネットを助けたいと思う気持ちと、その目標が遠く離れてしまった虚無感。
当時は【メニュー画面】のシステムレベルに気が付いていなかったので、あれ以上強くなれる兆しもなく、本当にダメかと思った。
それでもがむしゃらに討伐依頼を受けて、汗だくになりながら最弱の鬼魔を討伐して、我ながらあの頃は醜くあがいていたなと感じる。
その時の無鉄砲だった僕と、どことなく姿が重なるんだ。
だから気になっているのかもしれないと自分の中で答えを見つけていると、不意にヴィオラの湿っぽい視線に気が付いた。
「随分とあの子のことを気に掛けているんですね~」
「な、なにその語尾の伸ばし棒は?」
「いえ別に……」
するとヴィオラはジトッとした目をいつも通りのつぶらな瞳に戻して、こくこくと頷きながら続ける。
「でも確かに気になりますね。森の中はあちこち大混戦の状態ですし、飛び火する形で誰が意図したわけでもなく怪我を負わされてしまう可能性もありますから。そもそも戦いを怖がっているあの子が、どうして闘技祭に参加しているのか不思議です」
「あんなに震えてまで、この闘技大会に出なきゃいけない理由ってなんなんだろう? この闘技祭に懸ける想いが人一倍強いようにも見えたし、無茶なこととかしてないといいけど」
まあ、この辺りのことはヘルプさんに聞けばわかるかもしれないけど。
ただ前にも言ったように、絶対的に必要な情報でない限り、許可なく聞いてしまうのは心苦しいと思っている。
だからミュゼットの抱えている問題や気持ちがなんなのかわからないまま、歯がゆい思いで予選の時間を過ごしたのだった。