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第八十七話 「戦う意思のない者」


「はぁ……はぁ……!」


 ミュゼットは青白く光る人物に追いかけられる形で拓けた場所に出てくる。

 そのタイミングで足をもつれさせてしまい、ぬかるんだ地面に勢いよく転んでしまった。


「きゃっ!」


 転んだ衝撃で泥が跳ね、頬と衣服を汚した彼女のもとに、青白く光る人間が迫ってくる。

 その人物は剣と盾を持っており、軽めの胸当てと手甲も付けていて冒険者の風体をしていた。

 しかしどこか虚ろな目をしていて、顔も無表情である。


「はぁ……はぁ……」


 ミュゼットは倒れたままその青白い人物の方を向き、顔を強張らせて立ち上がれずにいた。

 よく見ると、体が震えていて、目の端には涙が滲んでいるように見える。

 あれだけ強気な態度を貫いていた彼女が……

 それにどうして戦わないんだ? 立ち向かおうとしないんだ?

 そんな光景を前に驚愕していると、ヴィオラが青白い人に目を向けながら声をこぼした。


「な、なんですかあれ……⁉ ただの人間ではないような……」


「何かはわからないけど、今はとにかく!」


 僕はすぐさま茂みから飛び出す。

 素早く地面を蹴って風になり、瞬く間にミュゼットと青白い人物の間に割り込んだ。

 傍らからミュゼットの息を飲む気配が伝わってくる。

 目の前の人物がどんな存在かはわからないけど、ミュゼットはすでに戦う気力を失っている。

 だというのに襲いかかろうとしているため、さすがにこれは見過ごすわけにはいかない。

 青白い人物が右手の剣を振り上げるのを見ながら、僕は右の拳を力強く握り、ぐっと上体ごと後ろに逸らして振りかぶった。


「はあっ!」


 その人が剣を振り下ろすよりも早く、対象の胸を目掛けて拳を突き出す。

 ドゴッ‼ と鈍い感触が拳に走ると、青白い人物は地面から足が離れ、衝撃で後方の大木まで吹き飛んでいった。


「んっ?」


 木の幹に激突して壊れた人形のように地面にくずおれる奴を見ながら、僕は覚えた違和感に眉を寄せる。

 修復不可能の怪我や死に至らしめる攻撃は禁止ということを考慮し、半分ほどの力でぶっ飛ばした。

 だというのに青白い人は想像以上に後ろまで飛び、しかも一撃で行動不能にまで至った。

 それに今の感触は、まるで中身のない樽を殴りつけたような感じで……


「おぉ、一撃で……! さすがはモニカさん」


「いや、今のはもしかしたら……」


 違和感を覚えながら右の拳を何度か開閉していると、地面に倒れていた人物が突如して“光の粒”となった。

 青白い光に包まれていた体がいくつもの光の粒となって飛び散り、空気に溶けるようにして消えていく。

 突発的な怪事を前にヴィオラとふたりで目を丸くしていると、脳内でヘルプさんの声が響いた。


『いましがた討伐した存在は人ではなく、魔法によって作られた“分身体”です』


「分身体?」


『【フェイクオーダー】。自身の姿を象った分身体を、魔力によって生成する魔法となっております。単純な命令であれば遵守させることが可能で、本体の恩恵値を半分引き継ぐようになっています。ただしスキルや魔法は使用できません』


 なるほど、だからあの感触だったってわけか。

 おそらく参加者の誰かが魔法で作った分身体。

 しっかりと血の通った肉体ではなく、魔力によって構成された体なので中身がすかすかな感触だったというわけだ。

 恩恵値を半分しか引き継がないためそこまで強くもなく、僕の半分だけの力で一撃で倒せたのも頷けるな。

 それと『ミュゼットが魔法の反応から逃げている』と言ったヴィオラの台詞も、今ので説明がつくわけだ。

 でもなぜミュゼットが襲われていたのだろうか?


『おそらく“参加者を襲撃しバッジを強奪しろ”という命令を下していたと思われます』


「そういうことか……」


 魔法で作った分身体にバッジを取らせに行くという立ち回りか。

 自分で戦う必要がなくバッジが奪われる危険もない堅実な戦い方だと言えるだろう。

 でも、そのせいでこの子は、戦う意思がないのにもかかわらず執拗に追いかけられてしまったんだ。


「はぁ……はぁ……」


 ミュゼットはいまだに息を切らしながら、こちらに驚愕の視線を向けている。

 そして残留している震えが体の節々に窺え、乾き切っていない涙の跡が頬に残っているのが見えた。

 最初に彼女に感じた強気な性格とは正反対の“怯えた”様子。

 なぜそこまで怯えているのかわからず、僕はミュゼットに問いかけた。


「どうして戦おうとしなかったんだ? あの程度の相手だったら簡単に……」


「……」


 彼女はこちらと目を合わせようとせず、震える体を押さえるように右手で左肩を掴む。

 僕に怯えている姿を見られるのを嫌がっているようだ。

 事情はどうあれ、ここは気を利かせて、何も見なかったことにして立ち去ろうかと思ったけれど……

 ミュゼットの異常な様子を前にして、我知らずこんな問いかけを重ねていた。


「君はもしかして……“戦う”のが怖いのか?」


「――っ⁉」


 ミュゼットは座り込みながらハッと目を見開く。

 図星を突かれた反応。

 あれだけ気の強い様子を見せていたミュゼットに限って、そんなことがあるだろうかと最初は思った。

 ヘルプさんからの情報によれば、彼女は元名家であるブリランテ侯爵家の令嬢で、力によって国境防衛をしてきた家系の生まれらしい。

 そしてその血を色濃く継いでいる人物だと。

 だからきっと相当な実力の持ち主で、ひとりで闘技祭に参加したのも自信があるからだと思っていた。

 けど、今の反応を見る限り、そうではないのだろう。

 本当は彼女は、“戦うこと”を怖がっているんだ。

 あの分身体に立ち向かわなかったことと、今もなお体を震わせているのが何よりの証拠。


「……だったら、なんだっていうんですの」


 今の姿を見られて誤魔化し切れないと思ったのだろうか。

 ミュゼットは否定することなく、涙を滲ませた目をこちらに見せてきた。

 そして自嘲的に続ける。


「あれだけ強気に振る舞っていたのに、それがすべて虚勢だとわかって蔑んでいるんですの? 惨めに地面に這いつくばって、汚く泥にまみれて、震えてなにもできなかったことを嘲笑っているんですの?」


「君をバカにするつもりなんてないよ。少し意外だとは思ったけど、戦うのが怖いなら『棄権した方がいい』って伝えようとしただけだ」


 瞬間、ミュゼットの碧眼が大きく見開かれる。

 気を遣われたことに驚いているらしい。本当にバカにされるとでも思っていたのだろうか。

 僕はそんなことをするつもりはなく、戦いが苦手なら闘技祭を降りることを勧めようとしただけだ。

 でなければまた先ほどのような目に遭うことになる。


「さっきの青白い人影は参加者の誰かが魔法で作った分身だ。バッジを奪ってくるように命令されていたから、君は襲われてしまったんだよ」


 そう、たとえ無抵抗であったとしても、参加者である限り容赦なく攻撃されることになってしまう。

 バッジを渡さない限りその繰り返しだ。

 さすがに相手を殺さないように分身体に制御はかけているはずだが、無抵抗の人間を攻撃するなという複雑な命令までは受けていないと思われる。

 そもそも、この闘技祭に参加している人間の中に、戦う意思を持たない者がいるなんて誰も考えていないことだろう。


「戦うのが怖いなら早めに降参した方がいい。でなければ先ほどみたいに無抵抗なのに襲われる羽目になってしまう。それにあの分身体だけじゃない、闘技祭に参加している以上、みんなは君を戦う意思があると思って本気で襲いかかってくるんだぞ」


「……」


 闘技祭に参加するからには、全員が戦う意思を持った戦士に違いない。

 誰もがそう考えている。当然僕だって今のミュゼットを見るまでそうだった。

 だからこのまま予選を続ければ、目が合った瞬間に本気で襲いかかってきて、今度は本当に取り返しのつかない大怪我を負わされる可能性だってある。


「そもそもどうして戦いが怖いのに、闘技祭なんかに参加しているんだ。こうなることくらい事前にわかっていたはずなのに……」


 そう問いかけると、ミュゼットは俯いたまま悔しげに地面の草を握りしめている。

 やがて彼女の口から、怒りと恐怖が入り混じったような、震えた声がこぼれ出た。


「あなたには、関係のないことですわ……」


 そしてミュゼットはおもむろに立ち上がり、重い足取りでどこかへ行こうとしてしまう。

 ヴィオラの戸惑っている姿を横目に見ながら、僕は離れていくミュゼットの背中に声をかけた。


「まだ続けるつもりなのか? 今度は本当に転ぶくらいじゃ済まな……」


「知ったことではありませんの!」


 ミュゼットの叫び声に、踏み出しかけた足を止められる。

 それ以上なんて声をかけていいかわからず立ち尽くしていると、いつの間にかミュゼットの姿は森の奥深くに消えてしまっていた。


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