第八十六話 「トラベルポート」
マップメニューから使える転移機能【ファストトラベル】。
その転移地点を細かく指定できるようになる、設置式の補助機能が【トラベルポート】だ。
なぜ今そのトラベルポートの設置場所を長々と検討しているのだろうかと視線で疑問を投げかけてきたので、僕はその理由を話す。
「改めてわかったけど、やっぱりこの予選の肝は獲得したバッジの死守だと思う。でも【リバースルーム】で異空間へ隠れたり、【エアグライダー】で上空へ逃げるのは、規則違反に触れる可能性があるからできない。だから【トラベルポート】を使ったらいいんじゃないかなって思ったんだよ」
「バッジを守るのに、【トラベルポート】が役に立つんですか?」
「自由に転移地点を設定できるっていうのは、言い換えれば思いのままに各地に瞬間移動できるようになるってことだ。だから設置した【トラベルポート】を“転々として”、森の中をあちこち飛び回りまくれば、誰にも捉えられることなくバッジを保守できるんじゃないかな」
「はぁ、なるほど……。そういえば設置できる上限数は“五つ”ですもんね」
そう、その五つの【トラベルポート】を森の中に設置し、敵の接近を感知したら別の【トラベルポート】に逃げるという手を考えた。
だからマップメニューを見ながら設置先の検討をしていたというわけだ。
まあ、闘技祭の運営側からしてみたら、この戦法も空に逃げるのと変わらないくらい見た目が地味だから望むところではないだろうが。
「闇雲に設置するよりかは、人に見つかりづらくて乱戦にもなりにくい場所に設置した方が安全でしょ。五つの逃げ場所を設定できるけど、いざ逃げた先が大混戦してたら危ないし」
「だから先ほどから森の全体図を確認して、【トラベルポート】を設置できそうな安全な場所がないか探していたというわけですか」
ヴィオラは納得したようにこくこくと頷いて、その度に頭の三角帽子がゆらゆらと揺れる。
ヘルプさんに検討してもらえば一瞬かと思ったけど、イントロ大森林の現在の混戦状態はかなり複雑。
常にあちこちで危険度が変わる混沌と化しているので、ヘルプさんでも最適な設置場所をすぐには提案できないらしい。
そのため自分で地図を確認して、設置場所を決断する必要があるのだ。
「とりあえずはまだ安全なこの場所にひとつ設置しておいて、次に北側300メルの辺りに見つかりづらそうな場所があるからそこに設置しに行こう。この【トラベルポート】を使った作戦が有効的かどうかはまだ定かじゃないけど」
「はい、わかりました」
と、いうわけで、ひとまずはここに【トラベルポート】を設置する。
クイックスロット画面を呼び出して、その中にある“旗印”のようなアイコンを押した。
【現在位置にトラベルポートを設置しますか?】
【設置可能数×5】
【Yes】【No】
人差し指で【Yes】を押すと、ガラスのように半透明な銅像が突如として目の前に現れる。
天使のような羽を生やした女性が、交差させた両手を胸に当てながらなにかを祈っているような見た目の銅像。
これで設置は完了したけど、僕はふむと顎に手を当てて、訝しい気持ちで銅像を見据えた。
「何がモチーフの銅像なんだろう? 神託の儀で恩恵やスキルを授けてくださる神様とかかな?」
「えっ、なんのことを言っているんですか?」
「んっ? なにって、この【トラベルポート】の見た目のことだけど……」
僕は目の前に佇む銅像を指で示す。
その指先を目で追ったヴィオラだが、視線は【トラベルポート】を通り過ぎて森の彼方に流れてしまった。
「【トラベルポート】の見た目と言われても、私には何も見えませんけど」
「えっ?」
何も見えない?
こんなにはっきりとガラスのような銅像が立っているのに?
触れることはできないけれど、僕の視界には森の大木の陰にひっそりと佇む羽を生やした女性の像が見えていた。
「もしかしてこれ、設置した僕にしか見えないようになってるの?」
『おっしゃる通り、【トラベルポート】はアルモニカ様ご本人のみ視認が可能となっております。加えて誰であっても触れることはできず、破壊される心配などもございません』
へぇ、そうなんだ。
これまで実際に試したことがなかったからわからなかった。
もっと早くに試しておくべきだったけど、こんな隠れた仕様があったなんて思いもしなかったな。
ていうか破壊される可能性を考慮していなかった。あいにく、その心配はいらなかったみたいだけど。
「ヘルプさんいわく、【トラベルポート】は僕にしか見えないんだってさ。僕の目には半透明な、羽を生やした女性の銅像みたいなものが見えてるんだよ」
「へぇ、それは少し残念ですね。私も見てみたかったんです。というかそんな見た目をしてるんですね」
ヴィオラは見えるはずのないそれを観察するように、なにもない空間を訝しげに見つめている。
それにしても、他の人に見えなくて壊される心配もないのか。
そして最大五つ置くことができる。
「……ふぅーん」
……少しやってみたいことが増えたな。
と、考え事をしていると、隣からヴィオラの視線を感じて僕は慌てて告げた。
「とにかく、これでひとつ目は設置完了だ。残り四つを仕掛けに行こう。できれば他のチームに見つからないようにね」
「そうですね」
というわけで僕たちは先ほど話した北側300メルの地点を目指して歩き始めた。
ヘルプさんが言っていたSランク冒険者のチームには遭遇しないことを願いながら、森の中を密かに進んでいく。
あちこち遠くの方で爆発音やら喧騒が響いており、いつ自分たちも戦いに巻き込まれてもおかしくない状況に緊張感を覚えていると、不意にヴィオラが僕の前に手を伸ばして制止してきた。
「待ってください」
「んっ?」
「北側80メルほどに人の気配と魔法の反応を感知しました。人数はひとりです」
「ひとり?」
今この森にいるってことは、闘技祭の参加者なのは確実。
でもなんでひとりでいる状況で魔法なんか使っているんだろう?
誰かと戦っているならわかるけど。
「もしかして負傷した参加者が、隠れて治癒魔法で怪我を治しているとか?」
「いえ、その人が魔法を使っているというわけではなさそうです。むしろその魔法の反応から“逃げている”ような感じで……」
「それどういう状況?」
魔法の反応から逃げている?
北側80メル先でいったい何が起きているのか皆目見当もつかなかったけど、差し当たってやることは決まった。
「とりあえずこのまま進むだけ進んでみようか。迂回してやり過ごすでもいいんだけど、魔法ならヴィオラが視認すれば習得できるし、通りがかるついでに新しい魔法を覚えられたらお得でしょ」
「そうですね。今後とても役立つ魔法かもしれませんし」
そう決めた僕たちは、止まっていた足を再び動かして北を目指す。
どうやらヴィオラが感知した反応はこちらに近づいているらしく、40メル先のところでちょうど鉢合わせることになりそうだとか。
程なくしてその地点の目前まで迫ると、僕たちは茂みの裏に身を潜めて一層息を殺す。
茂みの裏から前方を窺うと、僅かに拓けた場所があり、ヴィオラとふたりでそこを見つめた。
やがて思わぬ人物がその場所に飛び出してくる。
「えっ?」
ブロンドのツインテールにつぶらな碧眼の少女。
1.4メルほどの小柄な体躯を包むのは、ワンピースに近い赤いドレスで、その上には甲冑の胸当てと手甲が装着されている。
見覚えのあるその少女は、僕たちが一度チームに誘って断った子だ。
名前は確か……ミュゼット・ブリランテ。
見知った少女を偶然見つけたことも驚きだったが、それ以上に――
「な、なんだ、あれ……?」
彼女を追うように、“青白く発光する人間”が現れて、僕とヴィオラは息を飲んだ。




