第八十二話 「幕開け」
闘技祭当日。
参加登録をしたチームは、朝十時に闘技場に集められていた。
吹き抜けとなっている一階闘技場で、視界いっぱいに参加者たちがひしめき合っている。
そして二階と三階の観客席のほうもほぼ満員で、闘技場全体が凄まじい熱気と喧騒に包まれていた。
その渦中の中心に立ちながら、僕は人知れず拳を握りしめる。
「この中で、一番になれたら……」
2000万の賞金が手に入る。
それを手中に収めることができれば、妹のコルネットの解呪に必要な金額まで大きく近づけるんだ。
妹の身を蝕む呪いを早く取り払ってあげるためにも、負けるわけにはいかない。
改めて闘技祭の熱気に当てられて決意を固めていると、その気持ちが顔にあらわれていたのか隣からヴィオラが声をかけてきた。
「頑張って一番になりましょうね、モニカさん」
「うん、よろしくねヴィオラ」
会場の喧騒にほとんど掻き消されながらもそう言い合っていると、不意に皆の視線が一点に集められる。
釣られてそちらに目を向けると、そこには会場に設けられた石壇があった。
そして壇上に、礼服のような黒服を来た人物たちが現れる。
おそらくは闘技祭の試験官たちだろう。
そのうちのひとりである赤髪の男性試験官が前に出てくる。
僅かに乱れた無造作な赤髪に、眠たげにぼんやりとしている赤目。
その人物は参加チームを見渡しながら、拡声魔道具を片手にやや棒読みな声を上げた。
「えぇ、よく集まってくれたな勇猛な戦士たち。俺の名前はグーチェン。今回の闘技祭の主任試験官を務めさせてもらうからよろしくぅ」
この場の熱気に相応しくない気だるげな声が皆の耳を打つ。
グーチェンと名乗った赤髪の男性は、欠伸を噛み殺しながら頭を掻き、あまり真面目な性格には見えなかった。
しかしグーチェンさんは試験官たちを取りまとめる主任らしい。
あの人が主任試験官でいいのだろうかと思っていると、彼は空を見上げながらまるで話す内容を思い出すかのように、たどたどしく続けた。
「えぇーと、みんなもう知ってると思うけど、闘技祭は予選、一次本戦、最終本戦の三日開催になってる。今日はそのうちの予選を執り行うから、ルールの説明をしていくぞぉ」
なんとも気の抜けた主任試験官に、会場の熱気が僅かに奪われてしまう。
ともあれ予選のルールについて、グーチェンさんの口から初めて公表されることになった。
闘技祭予選は大都市マキナの隣にある『イントロ大森林』と呼ばれる場所で行われる。
まずチームそれぞれに一つの“バッジ”が配られて、リーダーが“見えるところ”に着用する。
その後、チームは森のどこかに指定されたスタート地点へと向かう。
全チームがスタート地点に到着したのち予選開始となり、他のチームと“バッジの奪い合い”をする。
制限時間は二時間。終了時に計三つのバッジを保持しているチームが予選通過となる。
という話を主任試験官のグーチェンさんから告げられて、参加者たちの間にどよめきが走った。
「つまり、他のチームを倒してバッジを奪えばいいってことか」
「予選からいきなり激しい殴り合いになりそうだな」
拡声されたグーチェンさんの声は観客たちにも聞こえており、高揚した様子で喧騒を響かせている。
一方で僕とヴィオラは、特にこれといった反応を示さず密かに笑みを交換していた。
「私たちは昨日のうちに、ヘルプさんから教えてもらっていますもんね」
「ね」
予選のルールの公表はこれが初めてだけど、実際に決まったのは昨日の夜のこと。
その段階でヘルプさんから連絡があって、森の中でのバッジ争奪戦ということを教えてもらった。
だから別段驚きはしなかったし、すでにある程度の作戦も僕たちは立てている。
他のチームの人たちは、今急いで話し合いをしているけれど。
これがヘルプさんがいる僕たち側が持っている優位性だ。
まあ、ルールがシンプルで工夫できることも少ないので、そこまで複雑な作戦を立てることはできなかったけど。
それから改めて怪我や事故は自己責任ということや、細かい注意点の話が終わると、チーム全体にくだんのバッジが配られた。
「それではリーダーの方がこちらをお付けください」
「はい」
僕らの元にも試験官さんがやってきて、木造りの丸い板を渡してくる。
手の平にちょうど収まるサイズの木製バッジ。
裏には小さいながらもイントロ大森林の全体図と、指定のスタート地点が記されている。
それ以外は特に変哲もない木のバッジだった。
隣で同じようにバッジを見ていたヴィオラが、不意にムムッと眉を寄せる。
「なんだか、その……言い方を選ぶと随分と素朴でシンプルなバッジですね」
「言い方を選ばなかったら、すごく安っぽいってことね」
「わざわざ言い直さないでくださいよ! でも、簡単に壊れてしまいそうで不安じゃありませんか? フレームなどで保護されているわけではありませんし」
「バッジを壊されないようにするのもこの試験における試練ってことじゃないかな。壊れたバッジは無効扱いって話だし」
原型を留めていると見なされないバッジは無効となり、数に含まれないと規定されている。
だから奪われてもダメだし壊されてもダメで、確実にバッジを守り抜けという試験になっているのだ。
「いっそのこと魔法でモニカさんごと守れたらよかったんですけど、自己防衛魔法の【パーソナルスペース】は自分ひとりしか守れないんですよね」
「いいよいいよ、自分の身は自分でなんとかするから」
そんな話し合いをしていると、やがて試験官さんに先導される形で森へと案内される。
闘技場に集まっていたチームがぞろぞろと出ていき、代わりに闘技場中央には巨大な“水晶”が運び込まれていた。
両端に先端がある六角錐の水晶で、闘技場の中央に置かれた台座のような魔道具にセットされる。
不思議な力によってゆっくりと回転しており、水晶の六角の面には何やら森のような景色が映し出されている。
木々と茂みが密集した薄暗い森。
地面にはぬかるみが多く、大木の根っこが大蛇のようにそこら中に走っている。
一見すると不気味な雰囲気ではあるが、ほのかに黄緑色に光る苔がまばらに生えており、少しだけ幻想的な様子も見て取れる。
おそらくあれは今から僕たちが向かう予定のイントロ大森林の光景。
どうやら何かしらの力を使って、水晶に森の様子を映し出しているようだ。
これなら闘技場にいる観客たちも、今から行われる森でのバッジ争奪戦を観戦することができる。
「よくできていますね、あの魔道具。どういう原理で森を映し出しているんでしょう?」
「ヘルプさんに聞けばわかると思うけど、難しい話されそうだからできれば聞きたくない」
「それにしても、魔道具越しとはいえこれだけの数の人たちに見られていると思うと、なんだか緊張しちゃいますね」
「予選を抜けて本戦に進めば、たぶんこの闘技場で実際に戦うことになるから、余計に視線を集めることになると思うよ。今から覚悟しておかないとね」
まあそれも予選を通過できたらの話だけど。
巨大水晶に観客たちが夢中になる様を尻目に、僕たちは闘技場を後にした。
そして試験官さんの案内でイントロ大森林に到着する。
それから各々のチームはバッジに記されたスタート地点を確認し、森の中へと入っていった。
全チームがスタート地点に到着したタイミングで予選開始となるそうで、僕とヴィオラも指定された地点に向かいながら軽く雑談を交える。
「バッジを持ち帰るのではなく、予選終了時に三つ保持していなくてはいけないんですよね? 何か理由があるのでしょうか?」
「一度バッジを失ったチームでも逆転できる可能性を残してあげるためじゃないかな。多くのチームの戦意がそがれたら、見世物としてもしょっぱいものになっちゃうでしょ」
多くのチームが最後まで諦めずに頑張る姿を見られるように、バッジの“持ち帰り”ではなく“時間制”という形にしたのではないだろうか。
三つのバッジを獲得したチームから抜けて行ってしまったら、逆転の兆しがまったくなくなってしまうし。
逆にバッジをすべて失ったとしても、三つ持ったチームから全部奪ってしまえばそれだけで一発逆転が狙えるのだ。
そんな話をしている間に指定されたスタート地点に辿り着き、僕たちは予選開始の合図を待つ。
今のうちにメニュー画面を開いて【セーブ】をしておき、今一度森の雰囲気を確かめていると、どこからか腹に響くような大笛の音が聞こえてきた。
これが予選開始の合図。
いよいよ闘技祭の幕開けだと思ってヴィオラと頷き合っていると、唐突に脳内にヘルプさんの声が迸った。
『後方に生体反応あり』
「――っ!?」
刹那、後ろの茂みから影が飛び出してきた。