第七十五話 「グラップリングフック」
「おぉ! それが【グラップリングフック】というものですか!」
魔物討伐の依頼の最中。
遺跡地帯を探索していた僕たちは、昼食も兼ねて休憩を挟んでいた。
倒れた石柱をベンチ代わりにして、二人で並んでサンドイッチを齧っている。
僕はそのタイミングで先日覚醒させた【装備】メニューのことをヴィオラに明かした。
瞬時に装備の入れ替えができるようになり、さらには【クイックスロット】機能に標準搭載された【クイックツール】なるものがあることを。
そのうちの一つである【グラップリングフック】を使って、遠くに落ちていた石にフックを引っかけてみせた。
「こんな風に壁や天井、物や生物に吸着するんだ。だからこのまま【グラップリングフック】を引き戻せば……」
右手から伸びていた青白い光の縄が、みるみる縮まっていく。
そして先端にくっ付いていた石を右手で掴み取り、それをヴィオラに見せた。
「こうやって遠くのものを引き寄せることができたりするんだ。あとは天井とか木の上につけて、自分の体を牽引したりね」
「とても面白い機能ですね。なんだか戦闘にも応用ができそうですし」
真っ直ぐな褒め言葉をもらって得意げな気分になりながら、僕は右手の石を地面にほうる。
そして残り僅かになっていた左手のサンドイッチを一息に口に放り込むと、出しっぱなしにしていた【クイックスロット】の画面を見つめて顔をしかめた。
「まあでも、今のところはこの“魔法の鉤縄”をどう使っていいか僕もよくわかってないんだ。戦闘に生かそうにも、今まで筋力頼りでぶっ飛ばすだけだったから上手い使い道が思い浮かばなくて」
「確かに【グラップリングフック】は魔法に通じるものがありますし、格闘主体で戦っていた人がいきなりそれを渡されても使い道に困っちゃいますよね」
そうなんだよなぁ。
便利な魔法の鉤縄だからこそ最適な使い方というのが定まらない。
“何か”できそうなんだけど、その“何か”が具体的に思い浮かばないんだよね。
喉のところまでは出かかっている気がするんだけど。
これまで鎖とか鞭とか、似た形状の武器を得物として使っていればよかったな。
「ちなみに縄の耐久性と長さはどの程度なんですか?」
「僕が本気で引っ張れば引きちぎれるくらいだよ。あとかなり鋭利な得物だったら切れると思う。長さは最大で三十メルくらいだったかな」
「では非力な人や魔物が相手でしたら、【グラップリングフック】を巻きつけるだけで無力化できそうですね」
「うん、拘束道具としては充分に使えるかもね」
射出速度も速いので、身のこなしが遅い相手なら【グラップリングフック】を伸ばして拘束するだけで勝負はつくと思う。
けど一定以上の相手にはそれが通用しないだろう。
優れた反応速度の持ち主なら避けられてしまうし、力が強い相手なら引きちぎられてしまう。
拘束する以外の用途で、戦闘に生かせる使い方を会得しておきたいところだ。
一応補足しておくと、一度【グラップリングフック】がちぎれても、消してから再び取り出せば元通りに直っている。
一通り【グラップリングフック】の性能を聞いたヴィオラは、しばし考え込むように目を閉じながら腕を組み、やがてゆっくりとこちらを向いた。
「シンプルに相手にくっつけて体を引き寄せて、ガツンと殴ってしまうのが一番いい気がしますけど」
「その使い方が無難だよね。相手は逃げられないし、引き寄せる力を上乗せして殴れるし」
一度引っつけてしまえば引き剥がすのも難しいので、こちら側が有利な展開を取りやすくなる。
ただ一対多の場合ではそこまで有効的な使い方とは言えないし、相手が僕より膂力があれば逆に縄を引っ張られてこちらがピンチになってしまう。
大勢の相手だったり力で勝る相手だったり、多彩な能力を持つ厄介な強敵たちをねじ伏せられるような、そんな大逆転の能力を僕は欲しているんだ。
もう、魔人集団アンサンブルとの戦いの時みたいな、惨めな思いはしたくないから。
「あっ、いっそのこと鞭みたいに振り回して、【グラップリングフック】自体で敵をめった打ちにするというのはどうですか?」
「残念ながら【グラップリングフック】にはほとんど重さがないから、武器として転用するのは無理っぽいんだよね」
僕としてもその考えは思い浮かんでいたけど、この魔法の鉤縄をぶつけたところで威力はまったくない。
先端の吸着判定の部分に当たったらくっついてしまうし。
「なかなかいい案だと思ったんですけどねぇ。武器として使うのも難しいんですか……。ヘルプさんにはもう聞いているんですか? こういうの一番詳しいじゃないですか」
「うん、【グラップリングフック】が使えるようになったその日に聞いてるよ。ヘルプさんによれば、先端に短剣や石なんかをつければ分銅鎖や投石器として応用が可能かもしれないってさ」
「分銅鎖と投石器……? って、縄の先端に重りをつけてぶつけたり、石をつけて投げたりする?」
「そそ、遠心力を用いた武器だね」
【グラップリングフック】を上手く使えば、それらの武器と似たようなことができるそうだ。
重りをつけて振り回してそれをぶつけたり、石をつけて振り回して高速で射出したり。
その遠心力と僕の筋力を合わせればかなりの威力になるとヘルプさんは教えてくれた。
「けど扱いがすごく難しいから、戦闘で実用的な運用を可能にするには相当な修業が必要だってさ」
「あー、下手をしたら自分が大怪我をするかもしれませんからね」
そう、扱いに慣れていない鉤縄をぶんぶん振り回したら、自分の体を打ちつける可能性が非常に高い。
最悪、力加減を誤って縄をちぎってしまったら、短剣や石があらぬ方向へ飛んでいくかもしれないのだ。
それが万が一自分や味方の方に飛んでいったらと思うと鳥肌が立つ。
だったら自分で短剣を握って戦った方が確実である。
使い慣れてきたらありな使い方ではあるけどね。
ともあれ現段階では、相手を拘束したり、敵を吸着して引き寄せたり、自分の体を牽引して機動力を補強することくらいしか考えてはいない。
我知らず難しい顔でもしていたのだろうか、ヴィオラが励ますようにこちらに言ってくれた。
「それもこれも闘技祭で実戦を経験したり、色々な方々の戦いを目にすれば、自ずと上手な使い道は思いついていきますよ」
「だといいね。それまでは少しでも慣れるために、【グラップリングフック】は小まめに使っていくことにするよ」
再び右手から青白い光の縄を伸ばして、遠くに落ちていた石を吸引する。
それを地面にほうっていると、不意にヴィオラが隣で首を傾げた。
「ところで、【クイックツール】の残り一つの機能ってなんなんですか?」
「あぁ、そういえば【グラップリングフック】で三つ目だったっけ? 最後の一つはね……」
すでに【クイックツール】の四つの機能のうち、【フロートランプ】と【トラベルポート】については口頭で説明を終えている。
そして【グラップリングフック】も披露することができて、いよいよ最後の一つとなっていた。
ヴィオラはそれが何か気になっていたようで、僕が手元に出している【クイックスロット】画面をうずうずした様子で見つめている。
見た方が早いと思った僕は、ベンチ代わりにしていた石柱から立ち上がると、画面に指を伸ばして“鳥の翼”に見えるアイコンをポチッと押した。
瞬間、背中に両腕より僅かに大きいくらいの真っ黒な翼が、火を起こしたように唐突に現れる。
「えっ、翼?」
きょとんと呆けるヴィオラを横目に、僕は翼に『飛べ』と意識を向けた。
その刹那、足の裏が地面から押し返されるように、ふわっと浮き上がる。
不可視の力によって全身が空へと引っ張られて、僕の肉体は風に乗った木の葉のようにふわりふわりと上空へと昇っていった。
「おぉぉ!」
思わずヴィオラも石柱から立ち上がって、黒い三角帽子を地面に落としながらこちらを見上げている。
先刻の【グラップリングフック】を見た時以上にいい反応だ。
僕はヴィオラの五メルほどの上空で滞空しながら、背中の翼について説明をした。
「これが【クイックツール】の四つ目の機能だよ。【エアグライダー】って言って、背中に飛行ツールを装着して飛行が可能になる機能なんだ」
「そ、空を飛べるようになったってことですか!?」
「まあね」
おぉ! とヴィオラが再び驚いてくれて、僕も得意げな気持ちになって頬を緩ませる。
それから少し自由に空を飛んで、【エアグライダー】の飛行の様子を見てもらうことにした。
空を泳ぐように飛んだり、高速で急上昇や急降下をしたり、“∞”の字を描くように器用に飛び回ったり……
やがて一通りの動きを見せ終わってヴィオラの前に下りると、彼女はパチパチと拍手を送ってくれた。
「まさか【クイックツール】の中に空を飛べる機能まであるなんて……! これでしたら上空を縄張りにする魔物や魔人とも対等に戦えますね」
「一応、【エアグライダー】の駆動時間は最長で三十分だから、そこだけは気をつけないといけないけどね」
ちなみに【エアグライダー】の駆動時間は【クイックツール】に戻している間だけ回復するようになっている。
だから三十分使用したら、同じ三十分を待って駆動時間を回復させなければならない。
ということ以外には欠点らしい欠点がない、実に素晴らしい便利機能だ。
飛ぶことに慣れてきたら通常の戦闘にも応用ができそうだし、こちらも【グラップリングフック】と合わせて小まめに馴染ませていきたい。
ヴィオラが物珍しげというか羨ましそうに背中の翼を見つめていたので、僕はふと疑問に思ったことを尋ねた。
「ヴィオラは空を飛べるような魔法とか覚えてないの? 【賢者の魔眼】のスキルで色んな魔法を習得してるでしょ?」
「自己強化魔法や風系統魔法で“跳躍”はできますけど、さすがに“飛行”は無理ですね」
ヴィオラは頬を掻きながら苦笑を浮かべる。
あのヴィオラもさすがに飛行できる魔法は覚えていないのか。
ヘルプさんが言ったように希少な力であることは間違いないみたいだ。
ヴィオラができなくて僕ができることって意外と少ないから、僕だけにしかできないことが増えたのは素直に嬉しい。
「なので私も空を飛ぶという感覚を味わってみたいです」
「あっ、それなら僕が上空まで運んであげるよ。【エアグライダー】の力なら二人くらい余裕だと思うし」
「ホントですか!? ぜひお願いします」
そう言ってヴィオラは一歩こちらに近づいてきて、僕も同じく一歩だけ足を前に出す。
途端、二人してその場でピタッと固まってしまった。
僕が【エアグライダー】を装着した状態で、ヴィオラを空まで運んでいかなければならない。
ということは、僕がヴィオラを“抱える”しかないというわけだ。
背中には翼があるから背負うとかではなく、前で抱っこする形をとるしかないわけで……
そのことを僕たちは遅まきながら悟り、気まずい視線を交換することになった。
「えっと……」
いや、今までもヴィオラを抱えたことはある。
でもそれは戦いの最中で彼女を助けるためにしたことだ。
緊急性という免罪符のおかげで抵抗感がなかっただけで、こうした落ち着いた場面で改めて体を抱えるというのは、さすがにかなりの恥ずかしさがある。
ヴィオラも同じ気持ちなのか目を泳がせており、心なしか頬が赤らんでいるように見えた。
「……ど、どうしよっか」
「ど、どうしましょうね。あっ、でも、私は別に構わないといいますか……」
気まずい空気に満たされる中、僕はどうにかして健全な運び方がないか頭を全回転させて考えた。
すると開きっぱなしだった【クイックツール】の画面が視界の端に入り、泡がパチンと弾けるように思いつく。
「あっ、そうだ」
五分後。
僕とヴィオラは空にいた。
「どうヴィオラ? 空を飛んでる感覚は?」
「あ~、え~と、すごく気持ちがいいですよー」
ヴィオラは風を浴びながら、声を張って感想を送ってくる。
僕の腕の中から……ではなく、僕の“真下”の方から。
背中には飛行ツールがあり、ヴィオラを連れて飛行するためには抱きかかえるしかないと思われていたが……
僕は【クイックツール】画面に映っていた“結ばれた縄”のようなアイコン――【グラップリングフック】を目にして、あることを思いついた。
右手から【グラップリングフック】を伸ばして、先端を左手で握る。
そしてどんどんと光の縄を伸ばしていき、人が一人座れるほどの長さにまでした。
そう、さながら“ブランコ”みたいに。
ヴィオラには【グラップリングフック】で作ったそのブランコに座ってもらい、あとは僕が上空まで運べば一緒に空を飛べるというわけだ。
言うなればこれは“空飛ぶブランコ”。なんとも健全な運び方である。
あんまり速く飛ぶとヴィオラが落ちちゃうかもしれないから、かなりゆっくりと飛んでいるけれど。
「これくらいの速度しか出せなくてごめん。でもその代わり絶対に安全運転で行くから」
「あ、ありがとうございます……」
【グラップリングフック】に意外な使い道があり、その奥深さに改めて気がつかされたのであった。
そしてヴィオラはといえば、せっかく空を飛べたというのに微かなため息をこぼしているような、そんな気がした。




