第七十話 「見えざる殺意」
広間に辿り着くと、男性二人と目が合う。
しかしすぐに二人は傷付いている仲間を心配するように視線を戻した。
「サズ! しっかりしろサズ!」
「なんだよこの傷は……!」
倒れている男性の背中には刺し傷があった。
それなりに深くて起き上がれない様子。
駆けつけてきた僕を警戒している気配がなさそうだったので、二人に問いかけることにした。
「何があったんですか……!」
「わからねえ! この広間に入ったら突然仲間が倒れたんだ」
「それで気付いたら背中に傷が……!」
まるで気が付くことがなかった背後からの刺客。
見えない何かに攻撃をされたかのようで、しかも傷は鋭利なものによる刺し傷。
間違いない、これは……
『黒妖精の可能性が非常に高いです』
僕が思っていることをヘルプさんが代弁してくれた。
認識阻害で姿を隠しながら、ナイフのようになっている手で彼を刺したんだ。
僕はそう断定すると、すかさず広間に入って竜晶の短剣を構えた。
そして注意深く周りを見ながら、男性たちに忠告する。
「姿を隠しながら攻撃してくる魔物がいます! 周りをよく見てください!」
細かく説明している暇がないため簡潔に促すと、二人の男性はすぐに剣と槍を手に取って力強く構えた。
仲間が傷付けられても派手に取り乱すことなく、即座に応対してくれた冷静さ。おそらく冒険者だろう。
密かにそう思いながら僕も周りを観察し、黒妖精の姿を探した。
――どこだ……どこにいる……!
認識阻害の力によって、自分への認識そのものを完全遮断する。
黒妖精が出す音も気配も臭気も、何一つ感じ取れない。
それだけなのにとてつもなく厄介な魔物だ。ヘルプさんでも認識できないから助言も何もあったものではない。
メニュー画面のシステムレベルの上昇に、こんな魔物の素材が必要だなんて改めて不運だと感じる。
いや、だからこそなのか。
メニュー画面を強化して新しい機能を覚醒させたいのなら、これだけの難関を潜り抜けなければならないという神からの啓示。
「……よしっ!」
僕は気合を入れ直し、同時にあることを思いついた。
先ほど【セーブ】したばかりなので、【ロード】を使って時間を巻き戻し、即座にこの広間にやって来るというのはどうだろう。
男性が刺される直前に戻れば、それを阻止しつつ黒妖精を捉えることができるのではないか。
しかし【セーブ】をしたタイミングと男性が刺されたタイミング的に、時間を巻き戻したところで間に合わないと、自分の考えにすぐにかぶりを振った。
続いて新たな作戦が思い浮かぶ。
これならいけると思った僕は、即座に人差し指を立てて下から上に弾いた。
メニュー画面が出てきて、そのうちの【セーブ】の文字を閃くような速さで押す。
【現在の進行状況を記憶しますか?】
【Yes】【No】
【Yes】の文字を押すと、水面に雫が滴るような音が頭の奥に鳴り、現在の状況が記憶された。
あとは【ロード】の画面を開いておいて、ただ待つだけ。
黒妖精は確実に、身構えている僕たち三人のうち、誰か一人を攻撃してくる。
そして誰が最初に刺されるかわかった時点で、【ロード】で記憶した時間に戻るんだ。
誰がどのタイミングで刺されるかわかっていれば、わざわざ黒妖精を目視で探し出す必要はない。
時間を戻した後、僕自身が行動を大きく変えない限りは、まったく同じ未来を辿ることになるから。
この二人には悪いから、できれば僕を刺してくれたらありがたいけど。
最低限、即死を免れるために首だけは守っておき、加えていつでも【ロード】できるように画面を出しておく。
その甲斐はどうやらなかったようで、不意に横で男性が倒れた。
「ぐ……あぁぁぁ!」
「カンテレ!」
背中から血を吹き、仲間の一人がその男性の名前を叫ぶ。
僕はすかさず【ロード】画面に指を伸ばし、【Yes】の文字を力強く押した。
【最後にセーブした地点に戻りますか? 警告:現在の進行状況は失われます】
【Yes】【No】
瞬間、視界が暗転し、目の前に広がっていた景色が一瞬にして切り替わる。
僕の横では、倒れたはずの男性が、再び剣を構えた状態で周りを見渡していた。
時間が戻った。
この後すぐ、カンテレと呼ばれたこの男性は背後から刺されることになる。
その未来を知っている僕は、竜晶の短剣を力強く握りなおして、カンテレの背後に斬りかかった。
「はあっ!」
ズバッ!!!
何もない空間を切り裂いたはずなのに、確かな手応えがナイフを伝ってやってくる。
するとジワリと目の前の空間が陽炎のように揺らぎ、青白い小人に黒い羽が生えたような、奇怪な見た目の魔物が空中に姿を現した。
「キキッ! キキキッ!」
「な、なんだよそいつ!?」
黒妖精は肩の辺りに切り傷をつけられて憤っており、二人の男性は驚いた様子で狼狽える。
彼らにも見えているということは、完全に認識阻害の力が解けている。
再び姿を隠される前に、確実に仕留めなければならない!
黒妖精は羽を動かして飛び退ろうとしたので、僕はすかさず逃走経路に回り込んだ。
その速さが意外だったのか、男性たちが息を飲む気配が伝わってきて、黒妖精も驚愕した様子で空中でブレーキをかける。
しかし止まり切れずにこちらに突っ込んできて、僕は迎撃する形でナイフを振り抜いた。
「シッ!」
黒妖精の首元に深い切り傷が刻まれ、軌跡を描くように鮮血がバッと散る。
奴は羽の動きを止めて地面に落ち、息づく様子もなく事切れていることが見て伝わってきた。
無事に倒せたことに安堵していると、男性二人が唖然とした顔でこちらを見ていることに気が付く。
「あ、あんた、よくそいつの居場所がわかったな」
「俺たちは何も見えなかったってのに」
「な、なんとなくそこにいるかなって思って……」
本当は来る場所がわかっていたからなんですけど。
それもカンテレという人が刺された未来を経験したからであって、申し訳ないことをしたと反省する。
時間を戻したんだからそれでいい、なんて思っちゃダメだ。
本当に一番いいのは、誰も傷付けられることがなかった平和的な結末を迎えることなんだから。
そのためにやっぱり、僕はもっと強くなりたい。改めてそう思った。
とにもかくにも一難は去ったので、最初に傷付けられた彼を助けるために僕は口早に二人に言った。
「怪我をしている彼を早く治療院へ連れて行った方がいい。なんだったら僕が……」
ファストトラベルで町まで送ろうかと提案しようとしたけれど……
「お、俺のことなら大丈夫だ。急ぐような怪我でもない」
「サズ!?」
サズと呼ばれた男性は、険しい顔をしながらも起き上がった。
自力で立てるほどにすでに回復しているのか。
傷はそれなりに深いように見えたけど、かなりタフな人物のようだ。
「本当に大丈夫かよサズ? なんなら俺がおぶっていくぞ」
「いや、自力で歩けるくらいには問題ない。そもそも俺が、冒険者依頼の帰りにこの遺跡を探索してみたいなんて言ったから、こんな目に遭ったわけだしな。煩わせるのは忍びない」
思った通りこの三人は冒険者のようで、ただの好奇心でこの遺跡に近づいただけらしい。
それでまさか希少な魔物である黒妖精に襲われるなんてついていないな。
サズは自分の足で歩けるくらいには余裕があるようだが、念のために治療院へ向かおうと話し合っていた。
そして遺跡を出ることに決めた後、彼らはこちらに向き直る。
「とにかく助かった。本当にありがとう。何か礼がしたいところだが、生憎今はこれといった持ち合わせがないんだ」
「見たところあんたも冒険者みたいだから、町やギルドで俺らを見かけたらぜひ声を掛けてくれ。その時に改めて礼をさせてもらう。俺らはいつもトランスの町にいるからよ」
「いえいえ、大したことはしていませんので」
僕としては黒妖精を見つけられただけで大満足だ。
いいように黒妖精を倒すのに利用してしまった感もあるので、お礼を受け取るのは申し訳がない。
三人はこちらに別れを告げると、足早に遺跡を立ち去って行った。
辺りが静けさに満ちた後、僕は改めて倒れている黒妖精に歩み寄る。
「……これでよしっと」
手早く黒い羽を剥ぎ取ると、さっそくメニュー画面のシステムレベルを上げることにした。
黒妖精探し、本当に長くて大変だった。
これまでのお金がかかる上げ方より断然きつく感じたな。
でもこれでようやく新機能の解放だ。
またできることが増えるぞ。
「ま、戦闘に実用的な機能かはわからないけど」
もし戦闘に活かしづらい機能だったらショックだなぁ、なんて思いながら、僕は祈るような気持ちでメニュー画面を開く。
最初に【アイテム】メニューの中に剥ぎ取った素材を入れてから、前の画面に戻って上部に表示されている『◇メニュー◇』の文字をぐっと押した。
◇メニュー詳細◇
システムレベル:6
フォント:タイプ1
ウィンドウカラー:タイプ1
サウンドエフェクト:50
ここのシステムレベルの部分も触れることができ、そこからシステムレベルを上げることができる。
さっそくポチッと押すと、聞き慣れた雨粒が滴るような音が響き渡って、目の前に新たな文字が表示された。
【システムレベルを上げますか? 必要素材:黒妖精の羽】
【Yes】【No】
必要素材はすでに【アイテム】メニューの中に入れてある。
これでシステムレベルを上げる条件は整っているはずだ。
僕は疲労感と達成感を同時に味わいながら、【Yes】の方に指を伸ばして気持ちを込めるように力強く押した。
すると再び頭の中に水音のようなものが響き、システムレベルの上昇を告げる画面に切り替わる。
それを見た僕は、思わず眉根を寄せてしまった。
【システムレベル上昇 装備メニューが解放されました】