第七話 「失敗をなかったことに」
ヘルプさんに突然そんなことを言われて、僕は咄嗟に傍らの岩陰に身を隠す。
ランタンの火も小さくして、静かに洞窟の先を見据えた。
動き回る影を見つめながら、僕は囁くような声でヘルプさんに尋ねる。
「ゴ、金兎? あの飛び跳ねてる影が?」
『はい。正式名称【金兎】。ごく稀に出没する角兎の希少種。通常の角兎に比べてさらに俊敏性が増した特別な個体となっております』
そ、そんな魔物がいたんだ。
確かに遠目に跳ね回っている姿を見ても、動きの速さが段違いだとわかる。
それに毛色も普通の白色と違って、何やら目立つ金色をしていた。
光って見えたのはその金毛のせいか。
「あ、あれって、討伐した方がいいのかな? 討伐対象には含まれてないけど……」
『金兎は角兎と違い、人間を襲うことはなく逆に逃げる性質を持ちます。しかしかと言って害がないわけではなく、人里に忍び込んでは迅速に田畑を荒らして逃げ去るので害獣認定をされております。そのため討伐を推奨いたします』
なるほどね。
ここで討伐しなければ洞窟外に逃げられて被害が出るかもしれない。
なら倒しておいた方がいいか。
『それと、金兎が持つ“金角”は希少価値が付いており、過去に25000ノイズでの取り引きが記録されております』
「にっ……!?」
25000ノイズ!?
驚きのあまり、思わず大声を上げてしまうところだった。
角一つで25000ってとんでもない値段だな。
宝石があしらわれた中古の装飾品でも2000ノイズかそこらなのに。
ていうか、もしあの金兎を倒して金角を回収することができれば……
「……30000ノイズに届く」
現在の貯金と今回の報酬を合わせれば、30000ノイズに届くじゃないか。
そしてシステムレベルを上げられる。
そうとわかった僕は、密かに喉を鳴らしてナイフを握りしめた。
ここで確実に金兎を討伐する。
「ぼ、僕の脚でも倒せるかな?」
『敏捷恩恵値700の冒険者でも捕縛できなかった記録がございます。そのため推奨恩恵値は800以上となっております。現在のアルモニカ様の恩恵値では、捕らえられる確率は一割にも満たないかと』
残酷ながらも正確な情報を伝えてくれる。
僕の敏捷恩恵値は現在320。
700の冒険者でも捕らえられなかったというのだから、確かに僕では難しいだろう。
確率は一割にも満たない。仕掛ければ逃げられてしまうのは必至。
だったら……
僕は右手の人差し指を立てて、宙をなぞるように下から上に弾いた。
そしてメニュー画面を呼び出して、一つの文字列をタンッと叩く。
【現在の進行状況を記憶しますか?】
【Yes】【No】
その文面が出るや、僕は【Yes】の方に指を伸ばした。
これで失敗したとしても、【ロード】をすれば失敗をなかったことにできる。
失敗しても、何度だってやり直すことができるんだ。
捕らえられる確率が低いなら、成功するまで挑戦すればいい。
そうやって何度も、仲間たちが死にゆく未来を変えてきたんだから。
「よしっ!」
準備を整えた僕は、金兎を捕らえるべく岩陰から飛び出した。
なるべく静かに、それでいて素早く洞窟の中を駆ける。
「キィ!?」
すると広場に入ってすぐに気付かれてしまい、金色の兎は見る間に逃げ出した。
必死になって後を追いかけるが、一瞬にして姿が見えなくなってしまう。
「くそっ!」
僕はすかさずメニュー画面を引き出し、【ロード】の文字に指を伸ばす。
【最後にセーブした地点に戻りますか? 警告:現在の進行状況は失われます】
【Yes】【No】
それを見るや、画面を貫かん勢いで【Yes】を押した。
瞬間、突如として視界が暗転し、目の前に広がっていた景色が一瞬で切り替わる。
先ほど岩陰に身を潜めていた時と同じ景色になり、広場には再び金兎の姿を確認できた。
無事に【ロード】成功。
「もう一回……!」
僕は再びナイフを構えて、金兎に斬りかかって行く。
しかしまたとしてもすぐに気付かれてしまい、あっと言う間に洞窟の外へと逃げられてしまった。
「も、もう一回……!」
再び金兎に飛びかかる前の瞬間に戻って再挑戦する。
それからも……
「キィ!?」
「あっ、また――!」
【最後にセーブした地点に戻りますか? 警告:現在の進行状況は失われます】
【Yes】【No】
「キィ!?」
「ぐっ、まだまだ――!」
【最後にセーブした地点に戻りますか? 警告:現在の進行状況は失われます】
【Yes】【No】
「キィ!?」
「ぜ、絶対に諦めない――!」
【最後にセーブした地点に戻りますか? 警告:現在の進行状況は失われます】
【Yes】【No】
「キィ!?」
「何度だってやり直してやる――!」
僕は何度も何度も【ロード】を繰り返して、金兎の討伐に挑んだのだった。
その結果……
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
逃げ道に罠を仕掛けたり、逃げる際の動きの癖を読んだり、様々な方法を試すことで……
五十一回目にして、ようやくナイフを届かせることができたのだった。