第六十二話 「勇気」
「このまま、帰る……? 何言ってるんだよライア、身清ぎの儀を受けずに帰ったら……」
神の愛し子は神聖な恩恵を授かっているため、肉体を清潔に保っておく必要がある。
下界の空気に触れ続けて体が汚れると、神聖な恩恵が拒否反応を示して強烈な痛みが襲ってくると聞いた。
それこそ、ショックで命を落としてしまうほどだと。
そのためになるべく天界に近い場所で体を清める儀式――身清ぎの儀を行わなければならず、僕たちはリミックス高山の山頂を目指しているのに。
「もういい、儀式は受けなくて。ギルドの人にも、私から断ったって言っておくから」
「な、なんで……?」
「突然どうしたんですかライアちゃん?」
ヴィオラと二人で怪訝な顔をしていると、ライアは目を伏せながら答えた。
「これ以上、私のせいで誰かが傷付くのが嫌だから」
「私のせい? もしかして、僕があの鳥みたいな魔人に付けられた傷のことを言ってるの? あれはさっきも言ったけど、ライアを狙ってたあいつらが悪いだけで……」
罪悪感を滲ませていたライアに対して、君は悪くないと言い聞かせようとした。
けどライアはずっと気持ちを落ち込ませ続けていて、今もその心情は変わっていないらしい。
「私は魔族に狙われている。その私を庇って誰かが怪我をする。そんなのはもう嫌なの」
「……だから、もう町に帰ろうって言ってるの?」
「……そう」
自分が魔物や魔人に狙われていて、周りの人が怪我をしたらそれはすべて自分のせいだと思っている。
そうなるのはもう嫌だから、儀式を諦めて町に帰ろうって言っているわけか。
「でもそうしたら、ライアの体には下界の汚れが蓄積されて、恩恵の拒否反応が出るんでしょ? その痛みは激しくて、ショックのあまり死んじゃうって……」
「死んでも、いいよ」
「えっ?」
「誰かに迷惑をかけるくらいなら、もう死にたい。私なんて役立たずで、生きてても意味なんてないから」
ライアの沈んだ感情が、掠れた声に乗って届いてくる。
本気で、もう死にたいと思っている様子だった。
「私はこれまで、色んな人たちに迷惑をかけてきた。孤児院の友達とか、護衛してくれた冒険者とか。それなのに私はずっと役立たずで、何もできない臆病者」
「……」
卑下する言葉が、抱え込んでいた感情を垂れ流すのと同時に溢れ出てくる。
「私は神の愛し子で、すごい恩恵を与えられているから、ギルドは期待してくれてる。けど、これから先自分が戦えるようになれるなんて、まったく想像できない」
ギルドが神の愛し子を保護している理由の一つは、貴重な戦力になる可能性があるから。
当然、魔物や魔人に狙われている存在を純粋に助けようという意思もあるだろうけど、ライアは戦えない自分は完全に無価値で迷惑な存在だと決めつけているようだ。
「いつかは誰の手も借りずに、一人で身清ぎの儀をできるようにしたいし、自分だけで戦えるようになりたいって思ってる。でもそれができないことは、自分が一番よくわかってる」
ライアは両手を開き、それを見下ろしながら呟いた。
「私はいつまで経っても、弱虫で臆病なライアだから」
……ライアがここまで長く喋ったのは、これが初めてだ。
だからこそ伝わってくる。これがライアの本心なのだと。
――本当は誰にも迷惑をかけたくない。
――自分のせいで誰かに傷付いてほしくない。
――役立たずな自分は放っておいてほしい。
これまで周りに迷惑をかけてきたことに多大な罪悪感があるんだ。
ライアは顔を伏せたまま黙り込んでいる。
そんな彼女に、僕は慰めのつもりではなく、偽りのない本心を伝えた。
「少なくとも僕たちは、ライアのことを迷惑だなんてまったく思ってないよ」
「えっ?」
ライアが驚いたように顔を上げる。
横ではヴィオラが僕の言葉に対してこくこくと頷いてくれていて、僕は思わず微笑みながら続けた。
「最初はもちろんギルドから依頼されたから、ライアの護衛依頼を引き受けただけだけど、ここまで一緒に旅をして来てライアのことが少しずつだけどわかってきた。君は優しくて誠実な子で、そんなライアのことを僕たちは本気で助けたいって思ってる」
「……」
ライアは淡褐色の目を丸くする。
まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
けどこれが僕たちの本心だ。
「どれだけ魔物や魔人に襲われたとしても、ライアちゃんのことは絶対に助けてあげたいって思ってるんですよ。きっと他の人たちもそうだったんじゃないでしょうか」
「本当に迷惑だって思ってたら、きっと誰も君のことを助けようとはしなかったはずだからね。何より今まで誰も、君を迷惑だって言った人はいなかったんじゃないかな?」
どうやらそのようで、ライアは気まずそうな沈黙を返してくる。
ギルドに言われたから仕方なくとか、報酬が高いからとか、そういう理由で護衛依頼を受けた冒険者はまあいたと思う。
けどだからって、全員がライアのことを迷惑だと考えていたとは思えない。
「まあ、誰もが本心を明かしてくれるわけじゃないから、心の中でどう思っていたかなんてわかりっこないよ。もしかしたらすごく迷惑に感じてた人だっていたかもしれないし」
「……」
再び落ち込んだように目を伏せていったライアに、僕は一つの提案を出した。
「だからさ、自分が迷惑をかけちゃったなって思った相手には、その分自分から何かお返しとか恩返しをすればいいんじゃないかな」
「おん、がえし……?」
「君にはそれができるくらいの、すっごい力が宿ってるんだから」
ライアはハッと息を飲んで固まる。
迷惑をかけたなら、その分何かでお返しをすればいい。
そもそも誰にも迷惑をかけずに生きてきた人なんているわけなくて、みんなそういう風に生きているんだから。
ていうか、ライアはまだ子供なんだから、誰かに迷惑をかけちゃうのは仕方がないことでもある。
それで罪悪感を覚えるのは、こう言ってしまってはなんだけど、少し時期が早いと思うな。
子供っぽくないと言い換えてもいいかもしれない。もっと周りに甘えていい歳だろうに。
「でも、私なんかがお返しなんて……。怖くて、魔物とも戦えないのに」
「まあ、いきなりそんなこと言われても難しいよね」
思えば僕も、最初は魔物が怖かったな。
痛いのが嫌だったし喧嘩だって嫌いだった。
僕はそもそも与えられた恩恵が少なかったし、スキルだって戦闘向きじゃなかったし。
それなのに他の仲間たちは自分と違って最初から才能があって、劣等感もすごかった。
でも、妹のコルネットを助けたい一心で、少しずつだけど頑張ってみた。
自分に何ができるのかをじっくりと考えてみたら、次第にやるべきことが見えてきたんだ。
だからライアも……
「まだ魔物が怖くて戦えないなら、別の方法でお返ししてもいいんじゃないかな。焦らずにゆっくりと、自分にできることを考えていけばいいと思うよ」
「自分に、できること……」
僕がメニュー画面の力で、かつてのパーティーメンバーたちを支援していたのと同じように。
できないことをいつまでも諦め悪く続けるより、自分にできることを着実にやっていくのが絶対にいい。
「そうだ、僕からいいものをあげるよ」
「……?」
勇気付けるため、というより気休めにしかならないと思うけど。
僕はメニュー画面を操作して、アイテムメニューの中からあるものを取り出した。
「ナイフ?」
「何も持ってないよりかは安心ができるでしょ。これ、僕がメニュー画面で作った特別製だし、少しでもライアを勇気付けられたらいいかなって思ってさ」
道中、襲いかかって来て返り討ちにした黒狼。
その素材で作った、敏捷の恩恵値が上昇する短剣だ。
寝る前にアイテムメニューの整理を兼ねて作ってみたものだけど、大きさからしてもライアにぴったりだと思う。
町に帰ったら売ろうと思っていたが、護身用にライアに持たせてあげる方がいいよね。
「……あり、がとう」
ライアはぎこちない様子でお礼を口にして、恐る恐るナイフを受け取る。
物珍しげにそれを見つめると、やがて大事に扱うようにそっと懐に仕舞った。
「では、汚れが溜まる前に山頂に行って、身清ぎの儀を終わらせちゃいましょう」
「だね。それまでは絶対に、僕たちがライアを守るから」
「……」
ライアは気持ちを入れ替えてくれたのか、僕たちに小さな頷きを返してくれた。