第六十話 「傷」
「なっ――!?」
狼魔人の突然の変化に面食らう。
その隙を突いてくるかのように、奴は地面を蹴って飛び出して来る。
瞬間、気が付いた時には、狼魔人は目の前まで肉薄していた。
「うっ……」
ジャグの蹴りを右目の端で捉え、咄嗟に右腕を上げる。
ドゴッ! と凄まじい衝撃が構えた右腕を襲い、痛みと共に僕は吹き飛ばされた。
と、思ったら、すでにジャグは僕が吹き飛んで行く先に回り込んでいて、右手を貫手にして構えていた。
「ぐっ……!」
なんとか空中で体を捻り、間一髪で爪に貫かれるのを回避する。
直後、片足を伸ばして地面を蹴り、ジャグから距離を取って息を整えた。
――速い。
さっきとは比べ物にならない俊敏さだ。
それに……
「ウ、ガアアアァァァ!!!」
ジャグは怒りを露わにするように声を荒らげて、時折苦しむように頭を抱えていた。
奴はいったい何をしたんだ?
『魔人ジャグは【四狼術】というスキルにより、四つの武術系スキルを体得しています。そのうちの一つの【赤狼】という武術系スキルは、理性を失う代わりに身体能力を大幅に向上できます』
なるほど、スキルの効果で身体能力が急激に上がり、その代わり理性が保てなくなっているわけか。
だとすると仲間の鳥魔人カバサが焦って上空に逃げたのも頷ける。
あの様子だと、敵味方問わず襲いかかって来そうだから。
「ウラアアアァァァ!!!」
ジャグは雄叫びを上げながら、再びこちらに接近して来た。
凄まじい速度と気迫。
神速で放たれた突きを、体を捻って紙一重で回避すると、後隙を晒すジャグに反撃の蹴りを浴びせる。
確かな手応えと共にジャグは吹き飛び、ますます怒りを燃やすように鋭い視線を返してきた。
明らかにさっきより格段に強くなっている。けど、理性を失っているせいか攻撃が直線的だ。
冷静に動きを見れば、倒せない相手じゃない。
「……ふぅ」
僕は改めて、逆手持ちにした【竜晶の短剣】を握り直して、呼吸を整える。
ジャグは怒りに任せるように真っ直ぐこちらに向かって来て、右手の鋭利な爪を突き込んできた。
――見える!
僕は体を右に傾けて、爪の一撃をギリギリで躱す。
直後、右手に持っていた短剣を左手に持ち替えて、左横を通り過ぎて行くジャグに刃先を向けた。
流れるようにして、ジャグの首を一閃する。
「ガッ……!」
刃は首の半分ほどまで通り、ジャグの首元からバッと鮮血が散った。
そのダメージによって、奴は走った勢いのまま地面に倒れて転がって行く。
「な、何やられてんのよあんた!」
上空で戦いを見ていたカバサが、慌てるように顔を蒼白させていた。
ジャグに与えた傷はかなり深く、絶命は必至なので当然の反応だ。
これで残るは、あの鳥魔人一体……
と思っていたら、地面に倒れているジャグの体が、不自然に脈打つような動きを始めた。
瞬間、赤色だった獣毛が、突如として緑色に変貌する。
「なっ――!?」
『【四狼術】のスキルの一つ【緑狼】です。自己治癒能力を底上げする武術系スキルになっております』
ヘルプさんの情報通り、ジャグの首元に付いた傷が見る間に塞がっていく。
咄嗟に僕は走り出して、ジャグにトドメを刺そうとしたが……
「させないっ!」
「――っ!?」
上空から刃の雨が降り注ぎ、身を守るために足を止めざるを得なかった。
よくよく見るとそれは、鋼のように強固で鋭い鳥の羽。
おそらくカバサが放ったものと思われる。
両腕を交差させて頭を守っていると、その隙にカバサが倒れているジャグの元まで飛翔し、手を取った。
その勢いのまま上空へと飛翔すると、ぐったりしているジャグを連れて飛び去って行く。
「私たちアンサンブルの邪魔をしたこと、絶対に後悔させてやるわ!」
そんな捨て台詞を吐いていくカバサを見ながら、僕は後を追うかどうか静かに考えていた。
今後のためにも、奴らは確実に始末しておきたい。
けど、奴らの仲間が他にいないとも限らないし、ここで深追いをして状況を悪化させるのは悪手だろう。
今はただ、追い払えただけでよかったと考えるべきか。
また襲撃をしに来たら、今度こそ倒せばそれでいいし。
そう思いながらカバサの背中が見えなくなるまで空を見つめていると、ヴィオラがライアと一緒に表空間に戻って来た。
「モ、モニカさん、大丈夫ですか?」
「こっちはなんともないよ。それより二人は?」
「あっ、えっと、怪我はありませんけど……」
ヴィオラは隣に立っているライアを不安げに横目で見る。
ライアはなぜか、いまだに怯えるようにして体を震わせていた。
魔人たちは去って行ったはずなのに、まだ緊張感が抜け切っていないのだろうか。
そう思ったのだが、ライアの視線が僕の方に向けられていると遅れて気が付く。
より正確に言うなら、カバサの羽であちこち切り傷が付いた、僕の体に。
「ご、ごめん、なさい……私の、せいで……」
「ライア……」
自分のせいで僕が怪我をしたと思っているのだろうか。
確かに奴らはライアを狙っていたけれど……
「ライアが謝ることないよ。悪いのはそもそも君の命を狙ってるあいつらの方で……」
「ほ、本当に、ごめん……なさい」
「……」
言い聞かせようとしたが、ライアはずっと申し訳なさそうに謝り続けていた。
傷の数は多いけど、一つ一つはすごく浅いから特に問題ではないんだけど。
異常なまでの罪悪感をライアから感じる。
僕とヴィオラは怪訝な顔を見合わせたが、ライアの気持ちが落ち着くまでじっと待ち続けたのだった。