第五十八話 「怯え」
翌朝。
夜間は特に魔物に襲撃されることもなく、充分に睡眠を取ることができた。
そして僕たちは再びリミックス高山に向けて前進を始める。
おそらく今日中には山の麓の辺りまでは辿り着けることだろう。
とりあえずそこを目標にして、僕たちは森の中を進んで行った。
やがて森の半ばほどまで歩いた辺りで、ヘルプさんから知らせが届く。
『この先、森を西に進んで行きますと、二百メルほど先で黒樹の大群と鉢合わせします。迂回しての進行を推奨いたします』
「えっ、ホント?」
言われて、僕はすかさずマップメニューを開く。
確かめてみると、ヘルプさんの言う通りこの先には黒樹の大群がいた。
僕はマップメニューに映し出されている地図を見ながら、ヴィオラとライアに提案する。
「ヘルプさんがこの先に魔物の大群がいるって教えてくれた。だからこのまま西進するのはやめて、魔物がいない北側から回り込んで進んで行こう」
「はい、了解しました」
ヴィオラからも了承を得たので、僕たちは進行方向を変えて森を進んで行く。
その後もマップメニューで魔物の位置を確認しながら、なるべく安全で穏便な道を選んで前進した。
正直、魔物たちを相手にしながら最短距離を突っ切った方が早いとは思うけど、なるべく消耗は避けていきたいからね。
何より、魔物と遭遇したらライアがまた怯えることになってしまう。
この先も長旅になることはわかっているので、極力彼女への精神的負荷も抑えて疲労を溜めないようにしないと。
「よし、このまましばらく西に進んで大丈夫そうだよ。また魔物の反応があったらすぐに知らせるから」
「お願いします、モニカさん」
僕はマップメニューを開いたまま、ヴィオラとライアの前に立って先導する。
次いでライアが疲れていないかどうか、後ろを一瞥して確かめると、彼女は僕の手元をじっと見据えていた。
より厳密に言うなら、僕が開いているメニュー画面を。
「……ど、どうかした?」
「……別に」
ライアはこちらから目を逸らしてしまう。
僕のメニュー画面が気になっていたのだろうか?
まあ、珍しいものだから当然か。
ここまでライアは、何度も怪訝そうな顔でメニュー画面を覗いていたし。
もしかして……
「メニュー画面、もしよかったらもっとよく見せようか?」
「えっ?」
「気になってるのかなって思ったからさ」
じっと見据えていたのは、もしかしたらもっとよく見たいと思っていたからかもしれない。
と考えてそんな提案をしてみたんだけど……
「い、いい」
「……そっか」
ライアはおもむろにかぶりを振った。
なんだ、メニュー画面が気になっていたわけじゃないのか。
我ながら珍しいスキルだから、興味があって見ていたのかと思った。
スキルと言えば、そういえば……
「ライアはどんなスキルを持ってるの?」
「スキル……?」
「あっ、いや、言いたくなかったら別にいいんだけどさ。神の愛し子って言われてる存在だし、莫大な恩恵だって与えられてるから、スキルも特別なものなんだろうなって思って……」
ようはただの好奇心である
もしかしたら僕の『メニュー画面』より珍しいものかもしれないし、下手をしたらヴィオラの『賢者の魔眼』より強力なものかもしれないからね。
と、興味本位で尋ねてみたのだが……
「…………こんなのあっても、意味ないよ」
「……?」
「魔物を倒すために使わなきゃ、意味ない」
そう言ったきり、ライアは何も答えてくれなかった。
まずいことを聞いてしまっただろうか。
魔物を倒すために使わなきゃ意味ない。
もしかして、莫大な恩恵を授けられているのに、怯えて戦えずにいることを申し訳なく思っているのだろうか?
神様から授けられる恩恵のすべては、人類が魔物に対抗するために存在している。
だから確かに、魔物を倒すために使わなきゃあまり意味はないけど、力があるからって魔物に立ち向かえる勇気があるとは限らない。
ライアのような小さな女の子なら尚更のことだろう。
ただ、ライアの怯え方は、少し普通の人のそれとは違うように見えた。
何か、理由があるのかな?
まあその辺りは、かなり繊細な部分になるだろうから、不躾に尋ねるわけにはいかない。
もっと仲良くなってから聞いてみようと僕は思った。
それから僕たちは魔物を避けながら西進し、リミックス高山への道中の森を抜けた。
途中、少なからずの魔物たちに襲われはしたけど、大群を避けて歩いていたので数は少なかった。
ライアへの精神的負荷もかなり抑えることができたんじゃないかな。
「ライアは疲れてない? 大丈夫?」
「……平気」
とは言うけど、その直後にライアのお腹の辺りから“きゅう”と音が鳴る。
瞬間、ライアは無表情だったその顔を真っ赤に燃やして、僕たちから目を逸らした。
神様から莫大な恩恵を授かっていて、身体的な疲れはほとんど感じていないみたいだけど、それでもさすがに人の体。
お腹は空いてしまうものだ。
僕とヴィオラは顔を見合わせて笑みを交換すると、マップメニューを見てからライアに提案した。
「周辺に魔物の気配がないみたいだし、今のうちに少し休んでおこうか。お腹にも何か入れておきたいし」
「……」
ライアはいまだに頬を赤くしながら、気まずそうに目を伏せていたけれど、僕からの提案を受けてこくっと控えめに頷いた。
どこかいい場所はないかなぁと辺りを見渡していると……
『北に僅かに進んだ先に、“ロシアンベリー”と呼ばれる果実が生った木があります。栄養価が高く美味であるため、食料調達を兼ねてそちらでの休憩を推奨いたします』
「果実か……」
食料の備蓄はまだまだあるけど、アイテムメニューに収納数の制限はない。
なるべく多くの種類の食べ物を持っておいて損はないし、果実の手持ちは少ないからここで調達しておこうかな。
ありがとうヘルプさん。
「向こうに美味しい果物があるらしいから、休憩ついでにそこで食料調達をしていこうか」
「はい、わかりました」
ヴィオラも賛成してくれたので、さっそくその果実が生っている場所へ向かうことにした。
程なくしてそれらしい果樹が見えてくる。
「おぉ!」
ヘルプさんが教えてくれたロシアンベリーなる果実は、先ほどライアが見せてくれた頬よりも鮮やかな赤色をしていた。
小ぶりだけどみずみずしさを感じさせる果実。
果樹に近づいただけで感じるほどの爽やかな香り。
これは確かに美味しそうだ。
『周囲の環境を受けての毒性は確認されず、虫食いの被害もほとんどありません。安全を保証いたします』
「じゃ、じゃあ、さっそく一口……」
プチッと枝先から捥ぎ、手巾で軽く拭いてから赤い実を口に放る。
そして歯で噛んだ瞬間、ジュワッと甘酸っぱい果汁が溢れて僕は目を見開いた。
「うん、美味しい! 砂糖に漬けたみたいに甘いよ!」
とても自然に出来たものとは思えない美味しさだった。
柑橘系を思わせる香りも口の中で広がって余韻を楽しめる。
僕が美味しそうに食べていたからか、ヴィオラもすぐに手を伸ばして果実を頬張り始めた。
「本当にすっごく美味しいですね! 誰かが掛かりっきりで面倒を見ていたような品質です」
「自然の恵みってやつだね。少し遠慮して、あまり取り過ぎないようにしないと」
そうは言っても食べやすい大きさと味から、果実を捥ぐ手が止まらない。
その時、ふと横目にライアの姿が映った。
彼女も果実を取ろうと手を伸ばしていたが、ギリギリで届かずに苦戦している。
それを見たヴィオラが代わりに果実を捥いで、ライアに手渡した。
「私が取ってあげますね」
「……あ、ありがとう」
やっぱりヴィオラはライアのことをすごく気に掛けているみたいだ。
同じ孤児院生まれで親近感が湧くと言っていたし、昨夜は女性用テントの方からも微かに話し声が聞こえてきていた。
初めて会った時に比べたらもう随分と打ち解け合ってきているみたいなので、僕も早くライアと仲を深めたいと思う。
「んっ?」
なんて思いながらまた一つ果実を捥いで食べると、口の中に衝撃的な風味が広がった。
これはそう、どこかの食堂に行った時に、興味本位で一度だけ頼んでみた、香辛料をこれでもかと投入した“激辛料理”を食べた時のような……
「からっ! めちゃくちゃ辛いんだけど!」
そのあまりの辛さに叫び声を上げると、ヴィオラとライアが揃って驚いた。
驚かせてしまって申し訳ないと思うけど、こればかりはどうか許してほしい。
だって耐えきれないくらい辛いんだから!
『ロシアンベリーの中には極稀に、他の果実と風味がまるで異なるものが混じっております』
「辛いのがたまに入ってるってこと!? そういうのは先に言ってよぉ!」
僕は“ヒィヒィ”言いながらアイテムメニューの中から水を取り出し、一気にそれを飲み干す。
それでも辛味が取れず、むしろ悪化してさらに悶えていると、ヴィオラがおかしそうに笑った。
その笑いに釣られてか、ライアの頬にも微かに笑みが滲む。
ライアの笑顔、初めて見た。
少し不本意な形ではあるけど、ライアの笑みが見られたからそれで充分かな。
やがて辛さが引いてきて、ヘルプさんの助言に従いながらある程度のロシアンベリーを確保すると、僕たちは再びリミックス高山に向けて歩き出そうとした。
しかし……
『250メルほど先から、急速にこちらに接近する反応があります』
「――っ!」
ヘルプさんからそう伝えられた、その瞬間――
ドゴッ! と目の前の地面に何かが落ちて来た。
凄まじい土煙が舞い上がり、僕とヴィオラは即座にライアを守るように身構える。
その中心には二つの人影があり、どことなく禍々しい雰囲気を滲み出していた。
急速に接近していた反応。250メルほど先って言っていたけど、今の一瞬でその距離を詰めて来たのか。
こいつらはいったい……
「おいおいなんだよ、護衛の冒険者は五人パーティーって話じゃなかったか」
「どうせここに来るまでに死んだだけでしょ? 手っ取り早く済みそうでいいじゃない」
やがて土煙が晴れると、二人の“魔人”の姿が露わになった。