第四十話 「自業自得」
ホルンは祝福の楽団を潰す計画を立てた。
アルモニカだけが地位や名誉を得ようとしている状況が気に食わないと思ったから。
アルモニカも自分と同じ目に……絶望の底に叩き落としてやる。
そのためにホルンはいち早くコード大樹海を訪れて、声を殺しながら機を窺っていた。
(祝福の楽団の後をつけて、戦闘中に大量の魔物をけしかける……!)
ホルンが考えていることは至極単純なことだった。
祝福の楽団が魔物との戦闘を開始したら、その隙に『誘花の花粉』という道具を使う。
魔物を興奮状態にして引き寄せる効果を持っているため、意図的に魔物をけしかけることができるのだ。
そうすれば事故を装って祝福の楽団を壊滅させることができる。
アルモニカだけ幸福になろうとしても、絶対にそうはさせない。
その意思を固めて入口付近で待っていたが、祝福の楽団は一向に姿を現さなかった。
トランスの町からこの樹海に来た場合は、ここが一番近い入口になるため、別の場所から入った可能性は低いと思われる。
そこまで考えたホルンは、不意に一つの可能性を脳裏によぎらせた。
(もう森に入って冒険者狩りの捜索をしている……?)
もし早々に目的を果たされてしまったら、この計画は成功しなくなってしまう。
という焦りがホルンの足を自然と動かして、彼女は単独でコード大樹海の奥地に足を踏み入れて行った。
本来であれば三大危険区域の一つであるこの場所に、たった一人で立ち入る愚行などはしない。
しかしホルンは頭を怒りで侵食されているため、正常な判断ができない状態になっていた。
彼女の胸中にあるのは、アルモニカ率いる祝福の楽団を壊滅させるという意思のみ。
「キィキィ!」
樹海の奥へと進んで行くと、次第に魔物に勘づかれるようになってきた。
なるべく気配を悟られないように静かに動いているつもりなのだが、魔物の感知能力はさすがに誤魔化し切れない。
特に感知能力が高い瞳羽には潜伏を見抜かれてしまい、しつこく追いかけ回されてしまう。
一つ目玉にコウモリのような羽が生えた魔物。
優れた透視能力を持っているため、その監視網を潜り抜けるのは至難の業だ。
「……鬱陶しいわね」
舌打ち交じりにそう呟いたホルンは、腰から長剣を引き抜く。
「【閃剣】!」
直後、刀身が白い光を放ち、閃くような速度で瞳羽を両断した。
武術系スキルの一つ――【閃剣】。
【聖剣術】スキルの技の一つで、発動と同時に閃光のような速さで目標に一太刀を入れる。
他にも【聖剣術】スキルには高速の剣技がいくつも宿されており、ホルンは『光速の剣士』として一部では名が知られている。
それこそが彼女の武器であり強さだった。
(そう、私は強い。これだけの剣技が使えるんだから、メロ兄みたいにいつか必ず周りの連中に力を認めさせてやる)
仲間の一匹がやられたことで憤った瞳羽たちは、コウモリの羽を刃のように鋭く尖らせて突撃して来た。
「キィキィ!」
小さな黒い影がいくつもホルンの元に迫って行き、彼女は再び舌打ちを漏らして剣を構える。
希少な【聖剣術】スキルで瞳羽たちを斬り刻むと、やがて辺りがシンと静まり返った。
一通り片付け終わったことを確かめたホルンは、深々としたため息を吐き出して再び祝福の楽団を探すために歩き始めようとする。
その時――
「んっ?」
ほのかな甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。
それを受けて一瞬だけ硬直してしまうが、直後に覚えのある香りだと気付いてホルンは息を呑んだ。
すかさず、腰の裏の小さなカバンに目を向ける。
するとカバンには微かな亀裂が入っていて、そこから薄朱色の粉のようなものがキラキラと漏れ出ていた。
(誘花の花粉が――!?)
先ほどのコウモリたちとの戦いのせいで、カバンを破られてしまったらしい。
そして花粉の入っている袋も裂かれて、そこから花粉が流出してしまったようだ。
すでに大量の花粉が散布されていて、ホルンの髪や衣服にも大量に付着している。
(このままじゃまずい……!)
その危惧の通り、周囲から魔物の雄叫びが木霊して来た。
同時にこちらに迫って来る気配を感じて、ホルンは顔を蒼白にさせる。
花粉に釣られた魔物たちが、一斉にこちらに押し寄せて来ている。
早くここから離れないと、コード大樹海の凶悪な魔物たちに囲まれることに……
「くっ――!」
祝福の楽団を壊滅させるという目的を一旦忘れて、ホルンは急いで出口に向かうことにした。
誘花の花粉は簡単に振り落とせるものではなく、これだけ盛大に浴びてしまったらしばらく剥がれることはない。
計画は一時中断して、改めて出直す他ないのである。
むしろ樹海の中でチンタラしていたら、立ち所に魔物に取り囲まれて……
「ガアッ!!!」
「――っ!?」
刹那、視界の端から黒い狼が飛び出して来た。
ホルンは咄嗟に身を屈めて狼の噛みつきを躱すが、道の先に同様の魔物が三匹待っていることに気が付く。
即座に道を変えて逃げ出そうと思ったが、右と左、そして後ろにも……すでに大量の魔物が花粉に誘われてやって来ていた。
仕方なく剣を構えて、突破口を開こうとするが……
「ぐあっ!」
死角から狼が飛びついて来て、鋭い爪の一撃を肩にもらってしまった。
その衝撃で剣を手放してしまい、地面に転ばされる。
肩の傷は浅いけれど、流れ落ちた鮮血が目に映り絶望を加速させた。
「私が、こんなところで……!」
ホルンは地面で悶えながら歯噛みする。
その時、周囲に大量の魔物が集まっているのを改めて見てしまい、ゾッと背筋が凍えた。
(……死ぬ)
魔物の大群に襲われる。
食い散らかされて殺される。
誰も見ていない暗い樹海で、孤独なまま死ぬ。
そう思った途端、ホルンは忘れていた冷静さを取り戻してしまい、同時に恐怖が全身を駆け巡った。
「うっ――」
これまで散々、傷付けられる仲間を見てきた。
体を切り裂かれたり、毒で焼かれたり、呪いで耐え難い苦しみを味わわされたり。
自分もあんな風にめちゃくちゃにされる。
そんな想像をしてしまい、ホルンは身震いを止めることができなかった。
死にたくない。殺されたくない。あんな思い、もう二度と……
(えっ……?)
もう、二度と……?
死ぬのは、初めてのはずなのに、なぜか我知らず経験があるような言い方をしてしまった。
刹那、ホルンの脳裏に“覚えのない記憶”が蘇ってくる。
過去に倒したはずの魔物たちに、呆気なく殺されてしまった時の記憶が。
一度だけではない。何度も何度も無惨に魔物に殺害された。
偽りのその記憶が朧気に頭に浮かび、ホルンの恐怖をさらに駆り立ててしまう。
「た、たす、けて…………」
獰猛な黒狼たちが迫って来る。
「たす、けて……」
鋭い牙と爪を立ててにじり寄って来る。
「だ、だれか……」
地面に倒れるホルンに鋭い視線を向けて、獰猛な笑みを浮かべる。
「誰か……助けて!!!」
彼女の涙が滴ると同時に、狼たちが咆哮しながら飛びかかって来た。
――刹那。
「はあっ!」
一つの人影が、視界の端を横切った。
その人物は飛びかかろうとしていた黒狼を蹴り一発で吹き飛ばし、立て続けに傍らの二匹を拳と脚で地面に沈める。
それに憤怒したもう三匹が、爪と牙を鋭く尖らせて、その人物の元に飛びかかって行った。
瞬間、その者は倒れている黒狼を片手で掴み、凄まじい力強さでぶん投げた。
高速で放たれた狼の砲弾は、三匹の狼を空中で撃ち落とす。
そのあまりの威力に狼たちは血肉をぶち撒けて、まとめて絶命させられていた。
一眼見てわかる、凶悪的な怪力の持ち主。
その人物の正体は……
「アル、モニカ……?」
自分が嵌めるために追いかけていた、幼馴染のアルモニカ・アニマートだった。