第二十六話 「悪魔的な思考」
（な、なんだ、この黒巨の数は……！？）
衝撃的な光景を前に、カンパネラとチャイムは言葉を失う。
同時に彼らの脳裏に『異常発生』という言葉がよぎった。
魔物は通常、危険区域と呼ばれる場所に、無作為に出現する。
出現するタイミングも場所も規則性はなく、いつどこにどんな魔物が現れるかは誰にもわからない。
そんな中、同じ場所に同じタイミングで大量の魔物が出現する現象のことを、冒険者界隈では『異常発生』と呼んでいる。
（なぜこのような時に『異常発生』が……！ しかもその対象が黒巨とは……）
危険区域ごとに現れる種族に偏りがあるが、今回の黒巨のように出現記録がない魔物が突然現れることもある。
その黒巨が異常発生によって大量発生するとは露ほども考えず、カンパネラとチャイムは激しく戸惑った。
たった今、同種の魔物を一体倒したところだ。
一体だけならば黄金の鐘の力を掛け合わせることで討伐ができたが、よもや二十や三十を超える黒巨を一度に相手にするのは不可能である。
加えて先手を打たれて回復役と支援役を兼任しているハンドベルがやられてしまった。
「グルウゥゥ……！」
漆黒の巨人たちが不気味な笑みを浮かべて近づいてくる景色を前に、カンパネラは思わず喉を唸らせた。
殺される。
一体や二体は辛うじて倒せるかもしれないが、そこで体力が尽きて他の黒巨たちに袋叩きにされる。
逃げ道なんてどこにもない。気を失ったハンドベルを抱えて生還するなんて確実に不可能だ。
「カ、カンパネラ様……！」
「……」
同様に慌てた様子で声を震わせるチャイムを見て、カンパネラは悪魔的な思考に至る。
それを噯にも出さず、カンパネラは長剣を構えて黒巨たちと対峙した。
「チャイム、先ほどと同じ流れで黒巨を討伐する。まずは後方の黒巨たちを拘束しろ」
「えっ……？ し、しかし、この数を相手にするのは……」
「いいから早くしろ！」
滅多に声を荒らげないカンパネラが叫び、チャイムは思わず肩を揺らした。
そして手に持っている杖を見下ろしながら、意を決したように一人頷く。
後ろの通路の方は、前や左右に比べて黒巨の数が僅かに少ない。
これなら確かに、ほんの一時的になら拘束できる可能性がある。
カンパネラはその隙を突いて黒巨を攻撃するつもりらしい。
「【グラビティパウンド】！」
カンパネラの考えを理解したチャイムは、決死の覚悟で後方に魔法を放った。
背中に重石が乗ったように、漆黒の巨人たちが突如として動きを鈍らせる。
奴らの耐久力とチャイムの魔力値。僅かにチャイムの魔力値が上回り、巨人たちが地面に膝を突き始めた。
「カ、カンパネラ、様……！」
そのタイミングでチャイムはカンパネラの名を呼び、同時に彼は飛び出していく。
今なら隙だらけの黒巨たちの首を落とすことができる。
そして僅かでも黒巨たちを討伐できれば、一時的に退路を作ることができるので、この絶望的な状況も脱することができるかもしれない。
すべての思いをカンパネラに託して、チャイムは彼の背中を見守った。
だが……
「えっ……」
カンパネラは、跪く黒巨たちを“飛び越えて”、通路の先に行ってしまった。
チャイムは思わず己の目を疑う。
しかしそれは見間違いや幻覚などではない。
黄金の鐘のリーダーであるカンパネラは、一人だけ魔物の包囲を抜けて仲間を置き去りにしたのだ。
チャイムに突破口を開かせて。
「な、んで……」
「せいぜい我のために、時間を稼ぐことだな」
そう言い残し、カンパネラは一人で黒巨の集団から逃げ出して行った。
ひたすらに坑道を走る中、カンパネラは自分に言い聞かせるように心中で言い訳をこぼす。
これは仕方のないことだったのだ。
チャイムとハンドベルはただの冒険者仲間で、自分の方が恵まれた血筋の人間である。
となれば当然、生かすべき人間は自分ということになる。
ゆえにカンパネラは、仲間の二人を犠牲にしてでも、生き残る選択を取ったのだった。
そうして窮地を脱したカンパネラは、人知れず歪んだ笑みを浮かべる。
しかし……
ドゴッ！
「ぐっ……！」
突如、右後頭部に激痛が走った。
その衝撃で吹き飛ばれて地面を転がされる。
痛みに苦しみながらなんとか視線だけを持ち上げると、通路の曲がり道に黒い巨大な影が見えた。
「ここにも、いたのか……！」
棍棒を振り下ろした体勢で、下品な笑い声を漏らしている黒巨。
しかも、一体だけではない。
巨大な影は通路の奥の方までびっしりと見えて、カンパネラは思わず低い声で唸った。
パッと見ただけでも十体以上はいる。
異常発生が広い範囲まで及んでおり、坑道の至る所に黒巨が出現しているようだ。
「うっ……ぐっ……！」
加えて先ほどの頭の打ちどころが悪く、立ち上がったカンパネラは足元をふらつかせた。
視界もぼやける。
剣を持つ手も痺れて感覚がない。
とても戦えるような状態ではなかった。
（こんな、ところで……！）
カンパネラはたまらずに跪きながら、ぐっと歯を噛み締める。
（我は、カンパネラ・フレスコだぞ……！）
そんな彼の前で、黒巨の大群が荒い息を吐き出し、恐ろしい笑みを豚のような顔に浮かべた。
カンパネラの背筋に、鋭い寒気が迸る。
「だ、誰……か……！」
頭を恐怖に支配され、我知らずに声を震わせる。
「だ、誰か……誰か我を……！」
仲間も見捨てて、今さらこんなこと許されるはずがないだろうと思ったが……
カンパネラは“死”を間近に感じて、情けなく助けを求めた。
「た、助けてくれ……！！！」
黒巨の振り上げた棍棒が、勢いよく頭上に落ちてくる。
刹那――
「【エアロブラスト】！」
鋭利な強風が吹き荒れて、目の前の黒巨が木っ端微塵に“弾けた”。
「…………はっ？」
ビチャビチャッ！ と黒巨の鮮血がシャワーのように降り注ぐ。
直後に鼻を刺すような生臭さが襲いかかってくるが、それに不快感を覚える余裕もなくカンパネラは固まった。
（いったい、何が起きて……？）
突然吹いてきた、驚異的な威力の突風。
訳もわからずに呆然としていると、自分が走って来た通路の方から誰かが歩いて来るのが見えた。
やがてその人影は鮮明に姿を晒し、カンパネラの瞳は限界まで見開かれる。
黒いローブに黒い三角帽子。
帽子の下からはボサッとした黒い長髪が覗いている。
その人物は、自らが足切りにして選考試験を不合格にした…………貧民街出身の黒髪の少女だった。
