第二十五話 「異常発生」
カンパネラ・フレスコは、フレスコ侯爵家の跡継ぎとして高度な教育を受けてきた。
フレスコ侯爵家は慣例として、跡継ぎの長男を他家の公爵家に住み込ませて、騎士修行を受けさせる。
期間は五歳から十五歳までの十年間。
学術的な教育はもちろん、剣術や舞踊といった武術的な修行も受けることになる。
それらを終えて能力を認められたら、騎士としての称号を授かることができる決まりになっていた。
そこでようやく跡継ぎとしてのスタートラインに立つことができるのだが、カンパネラは能力を認められずに騎士称号を授かることができなかった。
『この出来損ないの愚息が! 二度と我が屋敷の敷居を跨ぐことを許さぬ! さっさと目の前から消え失せろ!』
たった一度の失態により、カンパネラはフレスコ侯爵家を追い出された。
しかし彼はそこで諦めずに、父のグロッケンに改めて認めてもらうために“冒険者”になった。
跡継ぎになるには騎士称号を有していることが必須条件になるが、冒険者として成果をあげれば父も見直してくれるかもしれない。
その微かな希望に賭けて、カンパネラは冒険者として活動をしていたが……
『フレスコ家の次期当主、貧民街の隠し子に決まったらしいぜ』
風の噂でそんな話を耳にしてしまった。
父のグロッケンは正妻以外に、屋敷の使用人とも過去に関係を持っていた。
名前をカリジョンという。
代々フレスコ家に仕えてきた使用人は、分不相応な行いを禁じられており、主人と関係を持ったことで打ち首にまでなった者がいる。
何より子供への風当たりを心配し、使用人のカリジョンはグロッケンとの子を身籠ると、屋敷を辞めて逃げるようにして貧民街へと移った。
そのカリジョンとの間に生まれた子が、カンパネラの代わりにフレスコ侯爵家へと招かれたらしい。
貧民街で育ったカンパネラの弟に当たるその次期当主の名を……カリオンという。
カリオンはカンパネラと違い、十歳から修行を始めて僅か五年で騎士修行を完璧に終えた。
能力も認められて騎士称号も授かり、晴れて跡継ぎとしてのスタートラインに立ったのである。
完全に自分の居場所を奪われてしまったカンパネラは、弟のカリオンに多大なる恨みを抱え、同時に貧民街の人間に対しても嫌悪感を持った。
『貧民街の低俗な民が、我の居場所を奪いおって……!』
カンパネラはその地位の奪還のために、冒険者として今なお活動を続けている。
そして現在、その野望の実現のために昇級試験となる黒巨討伐に赴いていた。
場所はトラック地下坑道。
現在でも使われている採掘用の大きな坑道で、あちこちには専用の道具やランプなどが見受けられる。
度々魔物が現れて採掘作業が停止するため、定期的に討伐依頼が出されている場所でもある。
その中を、黄金の鐘の三人は躊躇いなく進んでいた。
「カンパネラ様、新しいメンバーを加えずに昇級試験に挑んでもよろしかったのでしょうか?」
地下坑道の探索をしている最中、副リーダーのチャイム・ガランテがカンパネラに尋ねる。
黄金の鐘はAランクへの昇級試験に向けて、至る町で新メンバー獲得のための選考試験を実施していた。
しかし結局、新しい戦力を加えることなくこうして昇級試験に挑んでいる。
「構わん。どうせあの町でも黄金の鐘に相応しい人材は見つからなかっただろうからな」
それはリーダーのカンパネラが、現在の戦力でも充分に昇級試験を突破できると判断したからだ。
本来であればスカの町でも選考試験を実施するつもりだったが、未熟そうな冒険者たちを見て気が変わってしまった。
「何より、我がいればこの試験も問題なく突破できる。戦力を整えるのはその後でもいいだろう」
「かしこまりました」
改めてリーダーの意思を確認したチャイムは、理解を示すように首を縦に振った。
その時、チャイムの視界の端に、もう一人の仲間の姿が映る。
褐色髪の女性冒険者で、危険区域の探索中だというのにうつらうつらと小舟を漕いでいる能天気な人物。
「ハンドベル、いつまでもウトウトしていないでシャキッとしなさい。いつ討伐対象が現れるかわからないのだから」
「うーん、ごめーん……」
黄金の鐘の回復役を務めているハンドベル・メスト。
終始眠そうにしているだらしない彼女も、カンパネラに実力を認められた人材の一人である。
以上の三人が現在の黄金の鐘のメンバーで、類稀なる才能を集結させてBランクパーティーまで一気に駆け上がって来た。
すでにSランクの実力を持っているとも噂されているほどで、無論カンパネラ自身もその地位を目指している。
冒険者として最高位の称号を得ることができたら、弟から自分の居場所を奪還することができるに違いない。
その思いに呼応するように、坑道の先の曲がり角から大きな影が現れた。
「グルウゥゥ……!」
炭のように黒ずんだ巨躯に、どっぷりと膨れた腹。
丸太のように太い四肢と豚に似た顔が特徴的な魔物。
今回の討伐依頼の対象である黒巨だ。
「……出たな」
黄金の鐘のメンバーは揃って身構える。
カンパネラは腰から長剣を抜き、チャイムは懐から小さな杖を取り出し、ハンドベルは後方で大きな杖を握りしめる。
いつもの型を作ると、黒い巨人は獣のような呻き声を上げながら走って来た。
「グオオォォォォォ!!!」
右手に持っていた巨大な棍棒を振り上げて、最前線に立つカンパネラに叩き下ろす。
その一撃を正確に見極めたカンパネラは、最小限の動きで棍棒を回避した。
「――ッ!」
直後、鋭く息を吐いて地面を蹴飛ばす。
黒巨に肉薄すると、勢いそのままに膨れた腹部を長剣で斬りつけた。
「はあっ!」
ガリッ! と不快な手応えが伝ってくる。
すかさず後方に飛び退いて黒巨を窺うと、だらしのない腹には傷一つ付いていなかった。
「……固いな」
カンパネラは内心で舌打ちを漏らす。
確実に斬ったと思ったが、硬質の肌によって刃を通すことができなかった。
黒巨はこちらの内心を悟ったように不気味な笑みを浮かべる。
Bランク昇級まで滞りなく討伐依頼を達成してきたが、さすがに討伐推奨階級Aランクの魔物はそう簡単には倒せないらしい。
「まあ、そうこなくてはな」
カンパネラは再び長剣を構える。
その動きに呼応するように黒巨も棍棒を振りかぶる。
両者の視線がかち合い、火花を散らした瞬間、同じタイミングで二人は駆け出した。
「【グラビティパウンド】!」
瞬間、後方からチャイムの声が上がり、同時に黒巨の足が止まった。
見えない何かにのしかかられているかのように、黒巨は次第に地面に押しつけられていく。
一定範囲に多大な重力を掛ける重力魔法――【グラビティパウンド】。
チャイム・ガランテは希少と言われている重力魔法の使い手で、戦闘では常に後方からカンパネラの支援に務めている。
重力魔法により強制的に黒巨を跪かせると、そのタイミングで今度はハンドベルが動いた。
「【リミットブレイク】」
彼女がそう唱えると、カンパネラの全身に赤い光が迸る。
対象者の筋力恩恵値を上昇させる支援魔法――【リミットブレイク】。
これまた希少な支援魔法の使い手のハンドベルは、戦況をより広く把握できる最後方に構えて、仲間たちの治療や支援に務めている。
二人の協力によって戦況を有利に傾けると、カンパネラは坑道の天井すれすれまで飛び上がり、両手で握りしめた長剣を全力で振り下ろした。
「は……あああぁぁぁ!!!」
ズガッ!
今度は確かな手応えと共に、地面に跪いている黒巨の首に刃を通した。
「グ、ガッ……!」
黒巨は微かな呻き声を漏らすと、その直後首がゆっくりと地面に落ちる。
鈍い音を立てながら首が転がり、カンパネラの足にぶつかって動きを止めると、遅れて勝利の実感が彼の胸中に湧いてきた。
同時にそれが新たな自信に繋がる。
やはり自分は出来損ないのクズなどではない。
フレスコ家の跡取りに相応しい、高貴な血族の人種だ。
黒巨の首を見下ろしながら密かにほくそ笑んでいると、後ろから仲間たちが駆け寄って来た。
「やりましたね、カンパネラ様」
「多少手こずったがな。だがこれで我らも、ようやく次の階級に昇級できる」
そう言いながら身を屈めて、討伐証明となる右耳を黒巨の首から切り取る。
それを仕舞って依頼を完了すると、カンパネラは心中で憎き弟への恨みを吐いた。
(これで黄金の鐘はAランクに昇級。そしてすぐにSランクにも昇級し、父に我の力を認めさせてやる。カリオンを後継者の地位から引き摺り下ろす日もそう遠くはない)
人知れず笑みを浮かべながら立ち上がると、黄金の鐘はトラック地下坑道を後にしようとした。
だが……
「――っ!?」
刹那、後方から“何か”が吹き飛んで来た。
カンパネラとチャイムの頭上を通り過ぎるように飛んで来たのは、小柄な人影。
鈍い音を立てながら地面に落ちたそれを見て、二人は顔を蒼白させた。
「ハンドベル!」
最後方にいたはずのハンドベルが、何者かによってこちらまで吹き飛ばされて来たのだ。
額には血が滲み、右半身の骨はめちゃくちゃになっていて意識を失っている。
カンパネラとチャイムはすかさずそちらに視線をやると、そこには……
「ト、黒巨……!」
今まさに倒したものと同じ種族の魔物が、そこには立っていた。
しかも、一体だけではない。
黒巨の背後には同じ姿の影が“何十”とあり、加えて右や左の通路からも“大量”の黒巨が出現した。