第百三十四話 「自由」
「お、お兄様?」
ミュゼットの反応を見た僕は、改めて目の前の“少年”に目を留める。
どこかで見た髪色と目の色の組み合わせだとは思ったが、確かにどことなくミュゼットに雰囲気が似ている。
それに前に兄がいるとも言っていたので、どうやらこのブロンド髪の少年はミュゼットのお兄さんで間違いなさそうだ。
お兄さん、という見た目ではないように思うけど……
あまりにも見た目が幼すぎる。反抗期真っただ中の少年にしか見えないぞ。
もしかして兄妹揃って幼い見た目をしているのは、そういう特徴の家系なのだろうか?
「ど、どうしてショームお兄様がここにいるのですか?」
「お父様とお母様に様子を見に行ってやれと頼まれたからだよ。頑固になった君を連れ戻すのは無理だろうけど、近くで見守るくらいはできるからってね」
幼げな顔の少年は呆れたように肩をすくめる。
家族の反対を押し切って闘技祭に出場したとは言っていたので、心配されてはいるだろうと思っていたけど。
まさかお兄さんを保護観察のために送っていたとは思わなかった。
ということは、闘技祭の間はずっとミュゼットの戦いを見守ってくれていたのか。
でもずっと姿を現さなかったのは……?
「マキナに来ていたのでしたら、声をかけてくださればよかったのに」
「ミュゼットは見守れるのとか好きじゃないだろ。気を散らしてしまっても申し訳ないと思ったから、陰で戦いぶりを見させてもらっていたんだ」
その言葉を受けて、ミュゼットは少し恥ずかしそうに紅潮した頬を膨らませる。
お兄さんなだけあって、ミュゼットの性格をよく理解しているらしい。
次いで彼はこちらに歩み寄ってくると、下から見上げながら挨拶をしてきた。
「申し遅れた。ボクの名前はショーム・ブリランテ。ここにいるミュゼットの兄だよ」
「ど、どうも、初めまして」
それに対して僕とヴィオラも、慌てて挨拶を返す。
とても幼げな見た目に似つかわしくない、重鎮の雰囲気。
自ずと僕たちの表情も強張ってしまう。
それも当然で、年齢で言えばミュゼットよりも上の、二十歳前後の貴族の青年にあたるのだから。
するとショームさんは優しげな笑みを浮かべて、改まった様子で告げてきた。
「妹の面倒を見てくれて本当にありがとう。闘技祭での君たちの様子を見させてもらったけど、出会って間もないミュゼットとここまで親しくなれるなんて驚いたよ。これは気が強くて参ってしまうだろう」
「ま、まあ、最初はすごくとっつきづらかったですけど……」
ガッ!
ミュゼットが肘で僕の脇腹を小突いてくる。
それを痛がってお腹をさすっていると、そんな様子を見ていたショームさんが微笑ましそうに言った。
「こんな妹だが、これからも仲良くしてやってくれ。そしてどうか、君たちの旅に一緒に連れて行ってやってほしいんだ」
「えっ?」
ミュゼットが再び疑問の表情を浮かべる。
一方で僕は先ほどのショームさんの台詞を脳裏によぎらせた。
『行ってくればいいじゃないか、ミュゼット』
ショームさんは今、ミュゼットの背中を押してくれているんだ。
たぶんさっきのミュゼットの言葉を聞いて、さらに涙を目にしたから。
「今までミュゼットには苦労をかけてきた。幼い頃にブリランテ家が没落したことで、落ちぶれ貴族の子女として蔑まれ、社交界でも散々陰口を叩かれてきた。おかげで仲の良い友人などもまったくできなかったんだ」
次いでショームさんは僕たちに順に視線を巡らせて、優しげな声音で続ける。
「そんなミュゼットが、君たちといる時はすごく楽しそうに笑っていた。貴族の重責に囚われることなく自由に、友人との時間を謳歌していた。だからミュゼットには、これからも友との時間を楽しんでほしいと思っている」
「で、ですが、わたくしにはブリランテ家の娘としての責務が……」
「小さい頃からずっとそればかりだな。ブリランテ家のためにと、子供の頃から勉学や習い事に一身を捧げて、自由な時間すらもすべて費やし続けて……」
ショームさんは申し訳なさそうな顔で僅かに視線を落とす。
そしてかぶりを振りながら続けた。
「でも、もう何も気にするな。ブリランテ家のことで、ミュゼットが責任を感じる必要はない。本当にやりたいことができたなら、自分のために生きていいんだ」
「自分の、ために……」
ミュゼットは目を伏せて黙り込んでしまう。
ショームさんの言葉に心が揺れ動いている様子が見て伝わってくる。
自分のために生きたい。でも令嬢としての責務も全うしなければならない。
そんなふたつの気持ちがせめぎ合っている。
そこでショームさんが、さらに背中を押すような言葉を送ってくれた。
「それに、ここからは実益的な理由になって申し訳ないが、ミュゼットが冒険者として躍進する方がブリランテ家の有益になると思ったんだ」
「ど、どういうことですの?」
「闘技祭で優勝はしてくれたが、それでもまだブリランテ家の名誉は完全に回復したとは言えないだろう。再び領地を賜りかつての地位を取り戻すには、まだまだ名声が必要になる」
ショームさんは青空を仰ぎながら、感慨深そうにさらに続ける。
「だからミュゼットがこれからますます活躍してくれたら、ブリランテ家が返り咲ける可能性がより高まるはず。今回の闘技祭での活躍ぶりを見て、ボクはそう確信したんだ。だから行ってこい、ミュゼット」
「……」
傍から聞いていた僕でもわかる。
ショームさんはミュゼットに理由を与えてくれているんだ。
令嬢の責務に囚われることなく、僕たちと一緒に旅をするための理由を。
それに今のはきちんと説得力のある理由でもあった。
ミュゼットがこれから僕たちと同じ冒険者として大きく活躍することができれば、ブリランテ家の名前はもっと広がっていく。
それこそ冒険者界隈に留まらず、王侯貴族の元まで。
腕っぷしで国境を守ってきた家系だからこそ、力を示すことが地位を取り戻すことに直結していると言っても過言ではないのだ。
そんな理由をくれたショームさんは、それだけ伝え終えるとこちらに背中を向けてきた。
「それじゃあボクは家に戻るよ。ミュゼットの勇姿をお父様とお母様にも伝えなきゃいけないからね」
「お兄様……」
「遅れてしまったけど、闘技祭優勝おめでとう。仲間の人たちと楽しくやるんだぞ」
ショームさんは小さな手を軽く振りながら、僕たちの前から立ち去っていく。
やがて彼の姿が見えなくなってからも、僕たちは無言でその場に立ち尽くしてしまった。
家族であるお兄さんから、旅をしてもいい理由をもらった。
ミュゼットは令嬢としての責務を果たす役目から解放されて、僕たちと離れる必要がなくなったのだ。
その事実を今一度伝えてくるように、ミュゼットが辿々しく口を開く。
「こ、『これからギルドに行きましょう』と言ったあの言葉……やはり、撤回させてくださいませ」
彼女は白い頬を赤らめながら目を逸らす。
やがて吹き出すように小さな笑い声をこぼすと、呆れたような、あるいはどこか安心したような笑顔を見せて言った。
「『祝福の楽団』の快勝を祝うために、打ち上げをしに行きましょうか」
僕とヴィオラは笑みを浮かべて、ミュゼットに大きな頷きを返したのだった。
こうしてミュゼットは、正式に『祝福の楽団』の仲間になった。




