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第百三十話 「祭りの終わり」

「ウッ……‼」


 セタールの右頬に僕の左拳が突き刺さり、奴は声にならないうめき声を漏らす。

 そのまま拳を振り抜くと、セタールは石畳の上で弾みながら遠くへ吹き飛んでいった。

 殺してはいけないという規則がチラつき、僅かに力を抜いた影響だろうか、奴は辛うじて場外へは出ずリングの縁で止まる。

 けど、手応えのある一撃を入れたので、意識はもう残っていないはずだ。

 と、思ったのだが……


「はぁ……はぁ……!」


 セタールは忙しなく息を切らしながら、おもむろに体を起こそうとした。

 手を抜いたとはいえ、今の一撃を受けて意識を保っているなんて。

 打たれ強さゆえに耐え抜いた、というよりも、気力と憤りだけで意識を繋ぎ止めたように僕には見えた。

 その証拠に、奴は先刻の僕の台詞に掠れた声で言い返してくる。


「誰もがあなたのような、真っ直ぐな人間だと思わないことです……!」


「真っ直ぐ……?」


「私は自分の身が、一番大事です。自分の名誉が、何よりも重要です。むしろ私のような人間の方が、世の中には圧倒的に多いでしょう」


 自分のことが、何よりも一番大切。

 認めたくはないけれど、そう思っている人間は確かにいる。

 世の中の人たちが身勝手と言っているわけじゃない。みんな自衛の意識が高まっているんだ。

 明日、自分の身に何も起こらないという保証はない。魔物や魔人に襲われるかもしれない。流行り病で床に臥すかもしれない。

 ご飯を食べられる保証も、屋根のある場所で寝られる保証も、心から笑えている保証だってありはしない。

 だからみんな、まずは自分のために生きている。

 セタールが自分の力で戦おうとせず、他の人たちを戦わせていたのは、自衛意識の高さからとった行動のようだ。


「私は何としても、この闘技祭で名前を残さなければならないのです。だから利用できるものはなんでも利用する。使える駒はとことん使い倒す。自分で戦わずに済むのなら他人に戦わせる。自分さえよければ、他の人間なんてどうでもいいではありませんか」


 僕から受けた一撃で体をふらつかせながら、奴はようやく立ち上がる。

 次いで周りに倒れている共謀仲間たちを一瞥し、乾いた笑い声を口からこぼした。


「愛情、友情、同情。そんな体裁のためだけの感情なんて必要ありません。自愛に勝る情など、この世には存在しないのですから」


 その言葉を受けて、言い返してやりたい気持ちでいっぱいになる。

 そんな感情に突き動かされて口を開きかけると、不意に横から人影が出てきた。

 黒い三角帽子に黒いローブを身に纏った少女ヴィオラ。

 彼女は僕の代わりに前に出て、セタールに言い返す。


「お金で懐柔した仲間しかいないから、あなたはそんなことが言えるんです」


 振り返ると、セタールのチームの他ふたりは、すでにヴィオラとミュゼットによって倒されていた。

 意識を失った状態でリングの外に転がされており、それを見たセタールが舌打ちをこぼす。

 そんな彼の態度を見て、ヴィオラはさらに語気を強めて続けた。


「本当に心を通い合わせている仲間がいれば、そんな気持ちには絶対になりません。大切に思っている家族や友人がいれば、自愛に勝る情がないなんて言葉は出てきません。自分さえよければ他人はどうでもいいと考えている人は、あなたが思っているよりずっと少ないですよ」


「綺麗事だ……! 他人の本心を見抜けていないからそんな能天気なことが言えるのだ! 誰も彼もが自分のために生きている。だから私もそうしてきた。そしてこれからも生き方を変えるつもりはない……!」


 セタールは強い意志を込めた目でこちらを見てくる。

 まるで他人を信用していない顔と目。

 過去に他人に騙されたのか、あるいはもっと酷い目に遭わされたのか、奴の事情は知らないけれど……


「自分のために生きることは別に否定しないよ。でも、誰かを犠牲にする生き方だけは絶対に許さない」


 周りに仲間たちが倒れていて、自分ひとりだけが立っている光景が正しいはずがない。

 僕はそれを証明するかのように、力強く地面を蹴った。

 リングの端で立ち尽くすセタールに、瞬く間に肉薄する。

 反応し切れずに唖然としているセタールの前で、僕は怒りのままに右拳を握りしめた。


「これで終わりだ、セタール・カランド!」


 腹部を目掛けて、真っ直ぐに右拳を突き出す。


 ――ドゴッ‼


 セタールは咄嗟に両腕で防いだが、先ほどの一撃ですでに弱っていたのか、脚の踏ん張りがまったく利いていなかった。

 拳の衝撃で奴の体は後ろへ吹っ飛び、場外の壁面に背中を激突させる。


「がはっ――‼」


 セタールはそのまま力なく地面に落ちると、周りの仲間たちと同じように意識を失って完全に静かになった。

 客席にいる観客たちも言葉を失くしてその姿を見守り、一時の静寂が闘技場全体を満たす。

 そんな静けさの中でリング上に立っているのは、ヴィオラとミュゼット、そして僕の三人だけだった。

 僅かに遅れて、主任試験官のグーチェンさんがリング上にやって来て、静まり返った会場を見渡してひとつ頷く。

 そして闘技祭の試験官として、会場全体に向けて声を響かせた。


「最終本戦終了! 此度の闘技祭、栄えある優勝は……モニカ・アニマートのチームだ!」


 長かったお祭りが、ついにこのとき終幕を迎えたのだった。


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