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第百二十九話 「怒りの鉄槌」

 セタールは取り出したナイフを構えて、高速でこちらに接近してくる。

 相手を死なせてはいけないという規則を忘れているのではないかというほど、その刃には強い殺意が込められていた。

 しかし僕は臆さずに身構えて、セタールの動きを注視する。

 その時、奴は叫んだ。


「チター! 寄こせ!」


 瞬間、セタールはナイフを掲げて、同時に後方の仲間ひとりが両手を構える。


「【エアレイド】!」


 チターと呼ばれた男の手から、強烈な風が吹き荒れるのが見え、その風は吸い込まれるようにしてセタールのナイフに集まった。

 風が刀身を包み、超速の流れを作って高音を発している。

 これは風魔法をナイフに纏わせて鋭利性を高めているのか。

 見ただけで伝わってくるほどの凄まじい鋭さ。

 ミュゼットの加護をもってしても、この風魔法を纏ったナイフを無傷で受け切れるかわからない。

 これほどの風魔法の使い手がまだ残っていたなんて……。

 不意に脳内にヘルプさんの声が響く。


『セタール・カランドは、オルガン・レントに託していた恩恵を自らに戻し、今度は仲間のチター・トランキロに“魔力”の恩恵を与えたのです』


 なるほど、それであれだけ強い風魔法の支援を受けられたってわけか。

 他人に恩恵を与えることができるスキル【神の冒涜者】。

 誰かに恩恵を譲渡することしかできない力だと思ったけれど、強化した味方に自分も強化してもらえば、自分の力の恩寵を間接的に受けることもできるのか。

 その風魔法の支援に背中を押されるように、さらに勢いづいてこちらに迫ってくる。

 間合いまで肉薄すると、セタールは風を纏ったナイフを逆手で持って僕に振ってきた。


「シッ!」


 首筋を狙った一閃。

 僕は僅かに首を後ろに傾けて躱す。

 続けてセタールはナイフを振り抜いた勢いのままに、右脚を横に薙ぐように振ってくる。

 僕は左腕を構えて『ドンッ!』と受け止め、反撃の右拳を顔に目掛けて突き出した。

 すかさずセタールは後方に飛んで回避する。

 およそ瞬きひとつの間で行われた攻防。

 しかしセタールは疲れの色を見せず、再び後ろに叫んだ。


「ダルシマー! 隙を見て貴様も攻撃しろ!」


 その声に、後方で構えていた味方が頷く。

 するとその人物の姿が陽炎のように揺らぎ、次第に薄くなって消えてしまった。

 その時、不意に脳裏にひとつの情報が蘇る。

 確か【至極の迷い子】という、透明になれるスキルを持っている人物がいたはず。

 名前はダルシマー・オクターブ。

 その力を使って闘技祭の最終本戦の対戦形式を事前に調べたという話だ。

 セタールの仲間のひとりで、どうやら今回はそのスキルを使って僕の不意を突くつもりらしい。

 ヘルプさんに適宜ダルシマーの居場所を特定してもらうことはできるけど、セタールと応対しながらだとさすがに少し危ないかもな。

 と、思ったその時――


「【グラビティパウンド】!」


「――っ⁉」


 突如石畳が陥没し、その中央に不可視の力で押し潰されそうになっているダルシマーが姿を現した。

 これはヴィオラの重力魔法。

 彼女は感知魔法も持っているので、ダルシマーの居場所を常に特定することができるのだ。

 唐突なヴィオラの援護射撃に、もうひとりの仲間が歯噛みして、魔法を使用しているヴィオラに右手を向ける。


「【エアネイル】!」


 刹那、三つの風の刃が連なって飛来し、まるで大型獣の爪の一撃を思わせた。

 先ほどセタールのナイフを強化した風魔法とは違う、攻撃的な風魔法。

 弾速もかなりあり、重力魔法に意識を割いているヴィオラでは、この風魔法を避けるのは非常に難しかった。

 その時、小さな人影がヴィオラの前に割り込む。


「ミュゼット!」


 鉄壁の淑女ミュゼット。

 彼女はヴィオラを守るように構えて、風の刃をその小さな身ひとつですべて引き受ける。

 客席の方から小さな悲鳴が上がる中、しかしミュゼットの体には傷ひとつついておらず、どころか服も無傷で綺麗に保たれていた。

 圧倒的な頑強値を持つ彼女は、肉体そのものがまさに鋼鉄の鎧。服にも同等の強度の加護を付与し、絶対的な守護神としてヴィオラを守ってくれた。

 そんなふたりが僕の方を見て告げてくる。


「このおふたりは私たちで対処します!」


「そろそろわたくしたちにもいい恰好をさせてくださいまし!」


「ヴィオラ、ミュゼット……」


 そして足止めをされた仲間のふたりを見て、セタールは人知れず毒吐く。


「チッ、役立たずどもが……!」


 次いで奴は仲間たちの方にはもう目もくれず、諦めてひとりでこちらに攻め込んできた。

 僕も懐から竜晶の短剣を取り出して応戦する。

 ここにきてようやく、チームらしい三対三の構図になった。


「ハッ!」


 セタールは風を纏った鋭利なナイフを突き込んでくる。

 僕はそれを体を捻って躱し、お返しに軽傷で済む右手を狙って短剣を振った。

 奴は即座に腕を引いて回避すると、ナイフを握りなおして真一文字に切り払おうとする。

 対抗してこちらも短剣を振ろうとすると、セタールは途中で腕を止めて後ろへ飛んだ。

 武器のぶつけ合いをえらく嫌がっているように見える。


 僕は今、自己強化魔法の【オーバードライブ】の状態で、筋力値が凄まじい数字にまで跳ね上がっている。

 おそらく刃を交えれば鍔迫り合いにすらならず、セタールはリングの彼方へ飛んでいくことだろう。

 そんな僕の力を、奴もここまでの戦いで完全に見抜いているようで、まともに攻撃を受けずに避けるか捌くかで対応しているんだ。

 冷静な判断力と、対抗策を実行できるだけの身体能力。

 腐ってもSランク冒険者ってわけか。

 認めるのは癪だが、この男は間違いなく強い人間だ。

 だからこそ、なおのこと許せない。


「それだけの力があって……」


 僕は右手の短剣を懐に収めて、二本指を立てる。

 下から上に弾くように指を動かすと、【クイックスロット】画面が表示されてひとつのアイコンに指を伸ばした。

 青白く光った右手をセタールに向けて、【グラップリングフック】を飛ばす。


「――っ⁉」


 魔法の鉤縄を高速で射出し、セタールの腕を吸着すると、全力で引っ張って奴を引き寄せた。


「なんで自分の手で、戦おうとしなかったんだ!」


 左拳を握りしめ、引き寄せたセタールの顔面に拳を叩き込んだ。


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