第百四話 「倒れないという強さ」
確か【淑女の加護】の効果は、自分には適応できなかったはず。
身につけている服には加護を付与することはできるが、その内側のミュゼット本体には攻撃の衝撃が伝わるはずだ。
そしてミュゼット本人を倒せば核の加護も解けるはずなので、オルガンの勝利の道はまだ完全には失われていない。
素早くミュゼットの前に迫ると、オルガンは彼女の横腹を狙って右脚を振りかぶる。
そして閃くような速さで、右脚を振り抜いた。
「砕け散れ‼」
一瞬の風切り音の直後、ブーツの先がミュゼットの横腹に突き刺さる。
予想通り、ワンピースに似た赤ドレスは薄い膜に覆われていたが、内部に衝撃を与えた感触が脚先から伝わってきた。
同時に蹴りの衝撃でミュゼットの小さな体は地面から浮き、右脚を振り抜いた方向に吹き飛んでいく。
華奢な肉体が部屋の壁に激突すると、木造りの壁は大きく破損し、木くずと埃が視界を覆うほど宙を舞った。
手応えを覚えたオルガンは不気味な笑みを浮かべて、粉塵が舞う光景を見つめる。
だがその中で、小さな影がすくっと立ち上がった。
「筋力の恩恵値は低いままなので、やはり踏ん張りが利かなくて飛ばされてしまいますね。服が埃まみれですわ」
「なっ……⁉」
ミュゼットは不服そうに赤ドレスの裾を払いながら、おもむろに粉塵の中から出てくる。
そんな彼女からはダメージを負った様子がまるで感じられず、オルガンは思わず言葉を失った。
(あの手応えならあばらが粉砕して、立つこともままならねえはずなのに……!)
蹴られた腹部を痛がっている感じもなく、ミュゼットは服の埃の方を気にする始末だった。
いくら服の方を加護で守っているからといって、内側の肉体へのダメージが皆無なんてことはあり得ない。
頭に至っては被り物もしていないので、あれだけの勢いで壁に激突したなら脳震盪を引き起こしていても不思議はないのに。
目の前の現実が受け入れられないオルガンは、ギリッと歯を食いしばって再び地面を蹴る。
即座にミュゼットの真横に回り込むと、今度は左脚でミュゼットの左腕を蹴った。
また確かな感触が脚から伝わってきて、ミュゼットの華奢な体は紙のように吹き飛んでいく。
オルガンの猛攻は、それで終わらなかった。
地面を蹴って疾走し、ミュゼットの吹き飛ぶ方向に先んじて回り込む。
飛んできたミュゼットをまた全力で蹴り飛ばし、再度飛ぶ方向に回り込む。
それを三度繰り返して、最後に首筋に決定的な一撃を叩き込むと、ミュゼットは床で弾んだ後に壁に激突した。
先刻以上の粉塵が部屋に舞い散る中、オルガンは今度こそ勝ちを確信して笑みを浮かべる。
死んでいてもおかしくない。失格になる可能性すらある容赦ない猛攻。だからこそ確実に仕留めた手応えがある。
オルガンは怒りのあまり闘技祭の規則すら忘れて、ミュゼットに全力を注いだのだった。
……が、粉塵の中で小さな影がゆっくりと立ち上がる。
「まだ続けますの?」
「て、てめえ……‼」
またも裾の埃を払いながら、粉塵の中からミュゼットが出てきて、オルガンは憤りと絶望を同時に味わう。
手応えはあるのにダメージが通っている様子がまるでない。
避けられたり防がれたりしたのならわからなくもないが、ミュゼットへの攻撃はすべて的確に入っているはずだ。
だからより大きな絶望感が脳を支配する。ここから先どうしたらいいのかまったくわからない。
攻撃が効かない。ただそれだけのはずなのに。
今までに味わったことのない感情に満たされて立ち尽くしていると、ミュゼットが呆れたようにため息を吐いた。
「どうしても退いていただけないようでしたら、もう仕方ありませんわね。わたくし自身、まだ制御が完璧ではないのでできれば使いたくありませんでしたが」
その発言に思わず背筋が凍える。
自分が今とてつもない状況に置かれていると理解しているからこそ、オルガンは絶大な恐怖を覚えた。
退いていればよかったかもしれない、そんな情けない気持ちが脳裏をよぎる中――
「わたくしのことをいじめた罰、しかとその身で受けていただきますわ」
ミュゼットが右手を開いて前に向けた。
「従者召喚――『侯爵』」
刹那、彼女の手が眩い金色に光り始める。
その光は手を向けた前方に集まっていき、やがて大きな人の姿を模ると、誰に操られるわけでもなく独りでに動き始めた。
全身金色の光によって作られた人間。上背は2メルほどで、三角の帽子と丈の長いフロッグコートらしきものを羽織っているように見える。
衣服もすべて光で出来ており、帽子は目深に被っているため顔ははっきりとはわからなかった。
そして右手には大きな剣が握られており、小さな娘を守る大柄な父のような風体を感じさせる。
【淑女の従者】、というスキルがオルガンの脳裏をよぎる。
【淑女の従者】・攻撃を受けることで従者の召喚が可能
・攻撃の蓄積量に応じて従者の強さが変動
・従者階級――男爵
先ほど見たミュゼットの恩恵の中に、このスキルが記載されていた。
文面のままに受け取ると、ミュゼットが攻撃を受けるほどに強い従者を召喚することができるスキルである。
そして自分は今、ミュゼットに対してとてつもない猛攻を仕掛けてしまった。
加えて【淑女の加護】も本人として扱われると記されており、それを纏った核にも強烈な蹴りを二発も叩き込んでしまった。
そのすべての攻撃は蓄積され、従者の力に変換される。
「くっ……!」
オルガンは驚愕の面持ちで、目の前に立つミュゼットの“従者”を見据える。
これまでもこの手の“召喚物”を扱う使い手たちとは何度も戦ってきた。
自らを模った分身体だったり、魔物を模した使役獣だったり……
しかしこれは今までのどの分身体や召喚獣とも違う、明らかな異彩を放っている。
圧倒的なまでの威圧感。目の前に立たれているだけで息苦しささえ覚えさせられる。
見た瞬間に生物として上であると思い知らされて、自ずとオルガンの額に脂汗が滲んだ。
「昨日のまでのわたくしでしたら、たとえ四肢を吹っ飛ばされたところでここまでの従者は呼び出せなかったでしょう。けれど今ならこれだけ強い従者も呼び出せます」
並大抵の攻撃なら受け止め切れてしまう強靭さ。
それゆえにオルガンの猛攻すらも蓄積することができて、従者の力の糧としてみせたのだ。
自分が攻撃をしすぎたことによって招いてしまった厄災。
因果応報を人の手で実現させる力。
ミュゼット・ブリランテの才能が覚醒した瞬間を見てしまった。
「こ、こんな見てくれだけの奴に、俺が……!」
オルガンは金色の従者の前に立ちながら身を震わせる。
そして怒りに任せて右脚を振りかぶり、従者の腹部に目掛けて鋭い蹴りを突き出した。
「俺が負けるかぁぁぁ‼」
刹那――
強烈な痛みが側頭部を襲い、視界がブレる。
一瞬、目の前の景色が暗転したのち、視界には埃を被った木造りの“床”が映っていた。
遅まきながら気が付く。自分が横たわっていることに。
(何を……された……?)
体が重い。側頭部に激痛が走っている。
辛うじて動かせた目で状況の把握を試みると、遠く離れた場所で金色の従者が左腕を振り切っている姿が見えた。
あの従者に“殴られた”のだと、オルガンはぼんやりと悟る。
(一撃で……この俺が……)
体が床にへばりついたかのように動けずにいると、いつの間にかミュゼットが傍らに立っていた。
「まだ息があってよかったですわ。死なれてしまったら失格になってしまいますから」
懸命に視界を上に持っていく。
ミュゼットはこちらを見下ろしながら、何かを思い出すようにして続けた。
「ヘルプ……? という方の話によれば、『侯爵』よりひとつ弱い『伯爵』で、Sランク冒険者の上澄みと大差ない強さらしいですわ。『侯爵』の一撃を受けて生きているだけでも大したものです」
次第に視界が霞んでくる。
思考もままならなくなってくる。
霧がかるように意識が遠のいていく中、ミュゼットの透き通る声だけはしっかりと耳に届いた。
「それに、これだけの従者を呼び寄せるほど、あなたはわたくしに攻撃を与えたことになります。オルガン、やはりあなたは強い人ですわ」
「く……そがっ……!」
ミュゼットのその声を最後に、オルガンは憤りだけで保っていた意識を手放した。




