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第百二話 「鉄壁の淑女」

「ど、どうなって、やがる……」


 オルガンは脚先から感じる圧倒的な固さに全身を強張らせる。

 あまりにも想定外の事態に、何が起きたのかすぐに理解することができなかった。

 なぜなら一次本戦の概要説明の際、主任試験官のグーチェンがこう言ったからだ。


『……ってことなんで、端的に言えば一次本戦の内容は、自分の城を守りながら相手の城を崩すって感じだな。で、城の心臓となる核は、十歳の子供がぶっ叩いたくらいで簡単にヒビが入るほど脆いから要注意な』


 十歳の子供が叩いたくらいでヒビが入る。

 そう言っていたはずなのに、オルガンの蹴りを受けたガラス玉のような核は、何事もなかったかのように無傷で宙に浮いたままだった。

 意味がわからずに固まっていると、オルガンは核の周りに“半透明な膜”のようなものがかかっているのを見る。

 同時に横目にミュゼットの勝気な笑みが映り、脚先から感じる圧倒的な固さの正体を察した。


「……あの黒髪の女の防護魔法か」


 ミュゼットのいるチームには黒髪の少女がいた。

 そして彼女は魔法使いの証とも呼べる杖を後生大事そうに両腕で抱えていた。

 加えて核を包む謎の半透明な膜。

 この核にヒビひとつ入っていない理由は自ずと察することができた。

 これはあの黒髪の少女が、核を守るために張った防護魔法だ。

 これだけ強固な防護魔法を張れる魔法使いには見えなかったが、防護特化の魔法使いなら決して不可能では……


「ふっ、残念ながらハズレですわ」


 確信を持ってその答えを出すと、傍らでミュゼットが控えめにかぶりを振っていた。

 その態度が気に入らずに鋭い視線で彼女を射抜くと、ミュゼットは肩をすくめて続ける。


「ヴィオラさんの格好を見て魔法使いと判断したのはいいですが、あの方は自己防衛魔法しか使えないそうですわ。他人にかけたり任意の対象物を防護することはできないと仰っていました」


「あっ? じゃあこいつはいったい誰が……」


 他に思い当たる可能性は何もない。

 どう見ても核を守っているこの膜は、魔法かスキルによって生成されたものだ。

 あの魔法使いが張ったものではないとしたら、残るのはあの少年だけになるが、おそらく彼の能力は戦闘に偏ったものになっているはず。

 でなければオルガンの蹴りを片手で制していた説明がつかないから。

 よもや核の防護までこなせる能力を持っているなんてことは……と考えていると、オルガンはハッとひとつの小さな可能性に気が付いた。


「【淑女しゅくじょの加護】……。てめえの仕業か」


「あらっ、わたくしのことなんてまるで眼中にないと思っていましたのに、こちらの能力を存じていたのですね。今度はこちらが意外と思わされてしまいましたわ」


 ミュゼットは軽く目を見張って小さな手をパチパチと叩く。

 オルガンはその仕草を苛立った気持ちで見ながら、記憶の奥底に眠るミュゼットの力に関して懸命に掘り起こした。


【淑女の加護】・触れた対象に加護を付与

       ・使用者の頑強値に応じて耐久性が変動

       ・加護も本人として扱われる


 触れた対象に守りの加護を付与するスキル。

 防護魔法とは違って『精神力』を消費するのではなく、『体力』を消費して使う体術系スキルとなっている。

 効果それ自体は防護魔法と大差ないものだが、耐久性が『頑強』に依存しているのが珍しい。

 その点が印象的で、オルガンの記憶の中に辛うじて残されていた。

 だから核を包む半透明の膜を見てくだんのスキルを思い出したが、すぐに次の違和感がオルガンを襲う。

 ミュゼットの仕業なのだとしたら、これは不可解なほどに……固すぎる。


「俺の記憶違いじゃなけりゃ、こいつはてめえの頑強値に基づいて強度が決まるはずだ。どんな小細工を仕掛けやがった」


「なぜ小細工を仕掛けたと決めつけているのでしょうか?」


「てめえの貧弱な恩恵で、この核を守れるはずがねえからだよ。ましてや俺の蹴りでヒビひとつ入らねえなんざあり得ねえんだ」


 オルガンは今一度、宙に浮いている核に目を向ける。

 ぼんやりした半透明の膜に覆われており、ガラス玉のような本体には傷ひとつ付いていない。

 もしこれがミュゼットの持つスキル【淑女の加護】による守りの加護なら、オルガンの蹴りでヒビひとつ入らなかった説明がつかない。

 黒髪の少女から支援魔法の類をかけられていたとしても、オルガンの蹴りを防ぐことはどう考えても不可能だ。


◇オルガン・レント

筋力:A+820

頑強:A750

敏捷:A780

魔力:B550

体力:C+480

精神力:B520

幸運:C+450


◇スキル

【覇者の剛脚】・脚先に対してかかる筋力恩恵値1.5倍

       ・脚先の自己治癒力強化


【蒼炎魔法】・保有魔法数3


 オルガンは特別、素の身体能力に上乗せされる恩恵の数値が高いというわけではない。

 冒険者として見たらSランクに辛うじて到達できるかもしれないというくらいだ。

 しかし【覇者の剛脚】というスキルひとつによって、彼は長い歴史を持つ武闘派レント侯爵家で歴代でも最高の逸材と周囲に言わしめている。

 その効果は、脚先に対してだけ『筋力』の恩恵が1.5倍に増加するというもの。


 記録されている中で、歴代最高の恩恵値は980。

 かつてSランク冒険者として数々の逸話を残した英雄が叩き出した数値だ。

 その恩恵値評価は最高位と言われているSで、いまだに公的にその記録は更新されていない。

 だが、実質的な数値であればオルガンはそれを超えている。

 オルガンの脚に上乗せされている恩恵の力は、数値としてあらわすと“1200”オーバー。

 その規格外の剛脚によって、オルガンは数多くの魔人や魔物を蹴り倒し、蹴り技の名手としてその名を轟かせている。

 だからこそ、今の状況があまりにも不可思議に映った。


(俺の脚にかかってる筋力恩恵値は1200を超えてる。こいつで砕けなかったものは今までにひとつもありはしねえ……!)

 

 硬質の皮膚を持つ魔人の頭部すら、オルガンの蹴りひとつで肉片となって散るほどだ。

 その蹴りを完全に防がれた。認めがたい事実にオルガンは沸々と憤りを募らせる。

 そしてオルガンは改めて核を睨みつけると、再び右脚に全霊の力を込め始めた。

 今度は上体が完全に床を向くほどに全身を傾けて、先ほどよりも大きく右脚を後ろに振りかぶる。

 彼の翠玉色の目がぐっと細められると、同時に右脚が閃いて風を切った。


「シッ‼」




 ガンッ‼




 再び脚先に絶望的な感触が走る。

 固い。まるでビクともしない。砕けるイメージがまったく湧いてこない。

 子供の頃、恩恵の力を授かる以前に、酒がパンパンに入った大きな酒樽をふざけて蹴ったことがあるが……

 それ以上の絶望感が、脚先から迸ってきた。


「どうやら事実をお伝えしなければ、退いていただけそうにありませんね。ですから特別に、ひとつだけお教えします」


 右脚を力なく下ろしながら、おもむろにミュゼットの方に視線を向けると、彼女は得意げな顔で端的に言った。


「わたくしの頑強値……今は1500ですのよ」

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