第十話 「怪物の誕生」
力を試す場として選んだのはスコア大森林だ。
ここには鬼魔が出没する。
前回の討伐依頼で一撃で倒すことができなかった悔しさがあり、力を試すのならちょうどいい相手だと思った。
今の僕ならたぶん、一撃で簡単に鬼魔を倒せるだろうから。
そう思いながら、月明かりに照らされている夜の森を探索していると……
「きゃあぁぁぁ!!!」
「――っ!?」
鬼魔の鳴き声ではなく、明らかに人間の声が耳を打った。
「い、今のって……」
『女性の悲鳴かと思われます』
「……いや、それは言われなくてもわかるけど」
どうやらヘルプさんに疑問として捉えられてしまったみたいだ。
それはいいとして、今の悲鳴の感じからすると、ただならぬことが起きたのだとわかる。
誰かが魔物に襲われたのかもしれないと思って、僕は声のした方に向かうことにした。
すると程なくして人の気配が集まっている広場が見えてくる。
その近くの茂みに身を潜めながら、騒ぎの中心と思しき広場をこっそりと窺った。
「ちゃ、ちゃんと積み荷はすべて渡しただろう! 娘には手を出さない約束だったはずだ!」
「あぁ? 気が変わったんだよ。殺されたくなかったらさっさと女を寄越しな」
そこには、僕の予想とかけ離れた景色が広がっていた。
まず目を引かれたのが、積み荷がある荷台付きの馬車。
次に物騒な武器を片手に、下品な笑い声を漏らしている男性集団が目に映る。
最後に、そんな彼らの前で怯えたように体を震わせている、中年男性と若い女の子が見えた。
先刻の台詞とこの景色だけで、どういう状況なのか察することができてしまう。
「あ、あれってもしかして……」
『この辺りを縄張りにしている野盗のようです。主に夜間に活動をしている集団で、町に向かう商人の積み荷を中心に狙っています』
やっぱりそうか。
つまりはあのおじさんが商人で、娘さんと一緒に町に向かう途中で野盗に見つかってしまったと。
で、言われた通りに積み荷を差し出しはしたが、次に野盗は娘さんの身まで狙ってきたということだ。
なんとも穏やかならない状況。
腕試しにちょっとこの森を探索しに来ただけなのに、とんでもない場面に遭遇してしまったものだ。
「ぜ、絶対に娘は渡さん……! ケーナは必ず私が……」
「へぇ、よっぽど痛い目に遭いてぇみてえだな」
野盗たちが各々武器を手にしながら、商人らしきおじさんに下卑た笑みを向ける。
この後に訪れる展開が容易に想像できてしまい、僕は思わず生唾を飲み込んだ。
このままでは、あのおじさんが野盗たちに暴行されてしまう。
いったいどうしたら……
「おい女ァ! このおっさんを殺されたくなかったら、大人しく俺たちについて来い」
「……」
野盗たちのリーダーらしき大男が、集団の先頭に立って声を張り上げる。
呼び出された十七、八と思しき金髪少女は、一瞬怯えるように顔を強張らせたが、意を決したようにおじさんの後ろから前に出た。
「ケ、ケーナ! 行くんじゃない! そっちに行っては……!」
「ごめんなさいお父さん。でも、お父さんが傷付けられる姿を、私は見たくないの……」
そう言いながら無理矢理の笑みを作って、震えながらお父さんに微笑みを返した。
野盗たちのドス黒い笑い声が森に響き渡る。
時間を戻すか?
おじさんたちが野盗に襲われる前の状況に戻って、事前に危険を知らせることができれば……
「…………いや」
最後に【セーブ】をしたのはこの森に入る直前だ。
もし【ロード】して時間を戻したとしても、おじさんたちが野盗に襲われる展開を変えることは難しい。
最悪今度は僕だけが野盗に取り囲まれる危険もある。
となれば……
僕は意を決して茂みの中から飛び出し、野盗と女性の間に割り込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「……?」
ここでなんとしても野盗を食い止める。
周囲に他の人の気配はないし、この人たちを助けられるのは僕しかいないだろうから。
一人で立ち向かうのはめちゃくちゃ怖いけど。
「あっ? 誰だてめえ?」
「ぼ、僕は冒険者のモニカです。この人たちに危害を加えることはやめてください」
連中は“冒険者”と聞いて、僅かにざわつく。
しかし僕の周りを一瞬だけ見渡した後、すぐに余裕を取り戻して笑みを浮かべた。
「へぇ、冒険者ねぇ。あいつらは基本的に仲間と連んで行動してるって聞いてんだが、本当にてめえ冒険者か?」
「ちゃ、ちゃんと冒険者手帳も持っています。仲間は、今はいないけど……」
自信なさげにそう言うと、突如として奴らの笑い声が耳を打った。
どうやら僕が一人だとわかって余裕ができたらしい。
単身の冒険者は確かに珍しいし、一人で野盗たちの前に立ち塞がったのも命知らずに映ったことだろう。
彼らの笑いも納得できる。
でもだからって、困っている商人さんたちを見捨てられるはずがないじゃないか。
「たった一人で俺らの前に出て来たのかよ! その度胸は認めてやるが、そいつは少し無謀ってもんじゃねえか。死にたくなかったらてめえも指を咥えて見てろよ」
「こ、この人に手を出さないでください。今すぐに全員を連れて、ここから引き下が……」
なんとか口先だけで彼らを引かせられないかと思ったけれど……
ドゴッ!
「がっ……!」
突然、左頬に激痛が走った。
その痛みと衝撃で、草の生い茂る地面に倒される。
見ると、大男が右拳を振り抜いた体勢で、僕のことを見下ろしていた。
殴られたのか、僕は。
「退くのはてめえだヒョロヒョロ冒険者。みっともなく震えやがって。てめえじゃ力不足なんだよ」
「……」
気が付けば恐怖で手足が震えていて、それを大男に悟られてしまった。
周囲の野盗たちからも野次や笑い声を頂戴して、強烈な劣等感に苛まれる。
その時、彼らの嘲笑うような笑い声を聞いて、Sランクパーティーを追い出された時のことを思い出してしまった。
『俺たちの中で明らかにお前だけ実力が不足してる。このパーティーにいられるほどの力はお前にはない』
あの時と似た悔しさが込み上げてきて、僕はぐっと拳を握り込んだ。
僕は変わるって決めたんだ。
コルネットを助けるために、冒険者として大成するって。
今度こそ信頼できる仲間たちと出会うために、絶対に強くなるって。
もう、パーティーから追い出される苦しい思いは、味わいたくないから。
「さあこっちに来い女ァ! 俺らの隠れ家まで案内してやるからよォ!」
「い、いたっ! 引っ張らないでください!」
強引に少女を連れ去ろうとする大男を見て、僕はすかさず立ち上がった。
その勢いのままに、右拳に全体重を乗せる。
直後――
「その手を……はなせっ!!!」
先ほどのお返しと言わんばかりに、大男の左頬に右拳を叩き込んだ。
ドッゴオオオォォォォォン!!!
「…………えっ?」
ググッと、男の頬に拳が当たったと思った瞬間――
僕よりも一回り大きな体の、屈強な大男が――
まるで、突風に吹かれた紙のように、一瞬にして彼方に“吹き飛んだ”。
「……」
奴は木々を蹴散らしながら飛んでいき、最後に人形のように手足を投げ出して地面に落ちる。
完全に静かになった大男を見つめながら、僕は振り抜いた拳をそのままに固まってしまった。
てっきり拳が押し返されると思っていたのに、逆にまったく抵抗感がなくて驚いている。
鳥の羽でも殴ったみたいな軽さだった。
商人のおじさんやその娘さん、そして野盗たちも、大男が吹き飛ばされた光景を見て目をひん剥いている。
すると一瞬遅れて、大男の元に一人の仲間が駆け寄って行った。
「お、おい! ドンブラ完全に気ぃ失っちまってる!」
それを聞いた野盗たちは、ひん剥いた目をおもむろに僕の方に向けてきた。
「う、嘘だろ……!」
「ドンブラが、一撃で……」
「な、何しやがったんだあいつ……!」
一方で僕は、自分の右拳を見つめながら、力の正体に気付いて身を震わせた。
「もしかして、ステータスメニューのおかげで……」
恩恵の数値を操作して、筋力値を“1220”まで引き上げたからだろうか。
明らかに格上と思しき大男を、一発で倒すことができた。
今までこんな力、感じたことない。
恩恵の数値を操作することで、ここまで目覚ましい成長ができるなんて。
野盗たちは怯えながらも、武器を構えてその矛先を僕に向けていた。
いまだに争う意思があると見た僕は、脅しをかけるように拳を振り上げる。
「はあっ!」
そのまま全力で地面に振り下ろすと、爆発するような勢いでその場が“陥没”した。
その衝撃で周囲に亀裂が走り、風圧で森の木々が激しく揺れる。
これが筋力恩恵値“SS+”の力。
我ながらその凄まじさに絶句してしまう。
しばらく森全体が震えるようにざわめく中、その場にいる全員が揃って唖然としていた。
僕はゆっくりと右拳を上げながら、固まっている野盗たちに睨みを利かせる。
「まだ戦うっていうんだったら、本当に容赦しないぞ」
その一言が決め手となったようで……
野盗たちは小さな悲鳴を漏らすと、リーダーと思しき大男を抱えて、僕の目の前から逃げ去って行った。